母に対して思うこと。
頭の中でなんかわかりそうなので、書いて整理したい。
今日の夫との会話で、自分が今まで母に対して思っていたことが形になってきた気がする。
それはこんな内容。
まだ育休中ではあるが、仕事関係でどうしてもしたいことがあって、1日息子を預けたい日がある。
夫もその関係者なので、一緒に考えたが預けることで合意。
預けるなら私の母。
母なんだけど、私が時期が迫ってもなかなか言い出せない。
言い出せないから、もうその仕事の方はいいかって思ってしまう。逆やろ。
先日実家へ遊びに行ったときに、なぞの勇気を振り絞って母へ聞いた。
「息子を預かってくれるとしたら、何時間くらいいけそう?」
どんだけ回りくどいねん。
「もうちっちゃいわけじゃないし、ごはんとか用意してくれたら結構いけると思うよ」とのこと。
私は「ほーっと」した。
そのときの気持ちがなんだろうって不思議だった。
夫に「結構いけるらしい」って話した。
そしたら「お義母さんはたくさん孫と一緒にいられたらうれしかったりするんちゃう?」
ん?そうなるのか?なるほど。それが普通か。
そのあたりから私の中で何かが形になってきた。
私は言った。
「嬉しいかもしれないけど、なんて反応されるか分からんやん?」
「その時の気分でどうなるかわからないやん?」
あ、そうか。そういうことか。
どんどん形になる母に対しての思い。
どうやら、私はいつまでも母に否定されたくないみたい。
母から否定された記憶はない。ないけど、だからこそ否定されたくない。
今回のことでいうと、「小さい子をほっていくのか。」「今は子どもが一番」そんな風に言われたくない。
育ててもらった母だから。私たち兄妹のために、家のことを懸命にやっていたって子どもながらに覚えているから。私はそれより自由にやってるって思っているから。
もちろん母はそんなことは思わないだろう。
でも、母がすごいなって思うから、だからこそそんな母にやろうとしていることを否定されたら、それで私はストップしてしまいそう。
そんな感情がずっとあったんだと思う。
それが、今日の夫との会話で急に形になってきた。
形になってきたとき、昔のエピソードが思い出された。
大学卒業して講師として働いていたとき。
当時乗っていた車にはナビがついていなかった。
色々なところに出かけたかったので、ナビを買おうと思った。
「ナビ買おうと思うんやけどいい?」
「自分の給料で買うんでしょ。聞かなくていいよ。」
「ほーっと」した。否定されなかったから。
なんでナビ買うことで否定されるんやって今なら思うけど、当時は本気。
母は厳しいわけでもなく、結構自由にって感じの人。
でも、いつまでも母は母で…
否定されたくない、裏返すと認められたいって気持ちが心のどこかにまだまだあるんだなって、夫との会話からようやくわかった。
こんなこといいながら、大学進学のときには、勝手に九州の大学への受験を決めた。そして合格した大学から九州の大学を勝手に選んだ。
「ここにするから」
母は、「自分で決めたならいいんじゃない」
やっぱり母はすごかった。
文句ひとつ言わずに私の決断を受け入れた。覚悟を決めた。
私は、そのときは分からなかったけど、急に娘が九州に行くって結構大きなこと。それを「ほいさ」って覚悟する母は本当にすごかった。
かなわない母にだからこそ、認められたいという気持ちがいまだにあるのかもしれない。
まだまだ色々な言葉になりそうだけど、今回は簡単なことばでもこの気持ちが分かって嬉しい。
そして、母はきっとなんでも受け入れてくれる。これからもたくさん話をしていきたい。
ちょっとずつ否定を恐れずに、ありのままの私を話せるようになっていくことが楽しみ。
今日は頭の中を整理してみた。
でも整理ってすごく難しい…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?