見出し画像

【考察】『五等分の花嫁』は「犯人当て」として観ても面白い

出典:http://www.tbs.co.jp/anime/5hanayome/

先日、テレビアニメ『五等分の花嫁』2期と劇場版を観て参りました(1期は観たことありました)。世間的にもヒットしているようですし、そもそも人気タイトルでもありますから、語彙力豊かな感想は既に沢山出ていると思います。
ですが、私なりの感想を書ければいいなと思い筆をとりました。

そもそも、私は『五等分の花嫁』を観そうなタイプの人間じゃありません(あまのじゃくなのです)。友人に勧められ何となくで観ただけで、視聴も一回ずつだけ。ファンのかたから見れば浅い感想しか出てこないかもしれません。

でも、私と同じような人は意外と多いのではないでしょうか?

「けっ、なんだよ五等分の花嫁って。軟派なアニメだぜ」とか「俺は流行りにはのっからねーぜ」とか。その気持ちは分からないでもないので、同じような立場だった自分がどう感じたか備忘録的に残しておければと思います。

おもしろかった?

もし訊かれたら「面白かったよ」と答えます。

特にテレビアニメ2期からはアニメーションのクオリティがグッと上がって、キャラクターもかわいく魅力的でした。1期では動きの少なかったストーリーも、後半にかけてエモーションの高まりが随所に用意され、素直に楽しめる作品に仕上がっていたと思います。

劇場版は完結編ということもあって、見せ場にもかなり力が入っていました。五つ子みんなが可愛く描かれているので、テレビシリーズを楽しんだ人は間違いなく楽しめるでしょう。

ですが私(あまのじゃく)は、少し変わった見方をしたことによってよりこの作品を楽しむことができました。それこそが…………

「犯人当てミステリー」として楽しむ『五等分の花嫁』

おいおい。『五等分の花嫁』には事件も探偵も出てこないぞ、と反論されそうですが、もちろんその通りです。ここで言う「犯人」とは、殺人事件の犯人という意味ではなく、「花嫁」。

すなわち、「最終的に結ばれるメインヒロイ」のことなのです。

※以下、ネタバレあり※

五等分の花嫁は五つ子をヒロインとするラブコメ作品ですので、残念ながら結ばれるヒロインと結ばれないヒロインとに分かれます。一人が花嫁として選ばれるというのは、物語の冒頭でも示されていますしね。

そこまでは普通なんですが、『五等分の花嫁』という作品では、結ばれる理由がきちんと作品内の理屈で説明がつくようになっています。つまり、作品を読み解けば「誰がメインヒロインか?」の答えを出すことができるようになっているのです。

「誰が結ばれるんだ」などと邪な気持ちで作品を観るのは正直邪道だと思います。が、作品をより深く楽しむひとつの視点と思っていただければ。

どのようにして『犯人』を当てる?

もしかして?と私が感じたのは、テレビシリーズ2期の第4話(見返していないのでおそらく)を視聴した時です。
内容としては、陸上部の手伝いで勉強に集中できないのに、陸上部のお願いを拒めない四葉。彼女を助けるべく、ケンカして家を出ていた二乃がばっさりと断髪して姿を表し、姉妹が和解する。…というものです。

素晴らしいエピソードだと思いますが、私がおや?と感じたのは「断髪した」件です。視聴していたその瞬間にははっきりと気づいていませんでしたが、2期を観終えて思考がまとまると、私はこう結論しました。

髪型こそ、犯人を特定する手がかりだ!

五つ子たちのヘアースタイル

五つ子たちは、身長体重スリーサイズ等、嗜好以外の部分では似かよっています(誤差はあるようですが)。
容姿において、最大の違いはヘアースタイル。
髪型を読み解くことが、キャラクター性を読み解く手がかりになるだろう、と推測しました。

では、髪型はキャラクターの何を表しているのでしょうか。

私はそれを、「執着、呪縛、そして役割」の象徴だと仮説を立てました。髪が長ければ長いほど、より強い執着や呪縛に囚われているのではないか、と。

五つ子の髪型について整理しましょう。

◯一花

長女の一花は、五つ子の中で最もショートヘアーで、執着や呪縛が薄いキャラクターとして設定されています。彼女に、諦め癖や姉妹尊重癖があることはテレビシリーズ1期から示されていたことですね。

と、ここまで書くとツッコミが飛んできそうです。
おいおい?お前はちゃんと2期の終盤を観たのか?一花は執着が深いキャラクターだろ?
指摘は分かりますが、詳しくは後述します。

◯二乃

次女の二乃は、先述の通り作中で髪の長さが変化しています。その変化のタイミングを考えると、髪の長さが執着と呪縛の程度に連動しているという仮説の、ひとつの根拠になります。

そもそも二乃は姉妹愛が最も深く、風太郎や父親にすら排他的に振る舞うキャラクターでした。それは言い換えると、姉妹に対する執着が深いということ(これは作中の台詞でも触れられていたと思います)。
だから物語開始時点での彼女の髪の長さは、姉妹のなかでもトップでした。

そんな彼女は、五月とのケンカを通して姉妹との向き合い方を見直し、四葉を助けるため髪を切ります。執着や呪縛の象徴である髪が、短くなる。それは不健全な執着からの解放ともとれるでしょう。それ以降の彼女は、人間的ないびつさが表層に出てくることが減っていきます。

◯三玖

三玖の髪は五月や二乃(断髪前)より短いが、一花や四葉よりは長い。一言で言えば「まあまあの長さ」。これも彼女のキャラクター性に即した長さになっています。

三玖に関して最初に提示されるパーソナリティーは「歴史オタク」。オタクは事物に対する執着と、その他の事象に対する温度の低さとが混ざり合った状態で、「好きなものにも嫌いなものにも固執しすぎない」健全な状態だと思っています。これはある意味「普通の状態」で、そこそこの長さの髪に合致します。
加えて風太郎への想いは積極的ながら、決断を先延ばしにして、テストの結果やパンなど、成り行きに委ねようとする臆病さは、ある意味「普通の状態」。これは、そこそこの長さの髪に合致すると思います。

つまり三玖というキャラクターは、自分に自信がない。ひたむき。
普通だけれども無二の輝き。
もっとも普遍的で等身大なキャラクターなのだと思います。
(だから人気なのかも?)

◯四葉

もちろん後述。

「髪の長さが執着や呪縛に比例してるってならよ~ぉ、四葉の存在が矛盾になるよなぁ!」なんてことは言わないでください。後述します!

◯五月

五月は姉妹のなかで最も長い髪を持った人物です。彼女は真面目でちょっと抜けがあって、食いしん坊で慈愛に満ちたキャラクター。

ですが劇場版にて、大きな呪縛が開示されることになります。

それが「」であり「」。
母の「教師」という職業への憧れ、そして母そのものへの憧れは、やがて彼女を苦しめることになります。

二乃の長髪は「姉妹への執着」であるのに対し、五月の長髪が「母への執着」であるのは示唆的ですね。テレビシリーズの展開で彼女らが姉妹喧嘩の中心になるというのはある意味自然なのです。

やがて彼女は母の呪縛から解き放たれて、晴れて教師を目指すことができるようになります。姉妹のなかで最も大きな歪みを抱えているのが、五月(と四葉)であるのは、やはり意外ですね。

◯幼い頃の五つ子

幼少期をある種象徴的に描くために、五つ子を同じ姿で描いているという事情はあると思います。同時に、容姿や心理の状態に大きな差異がないが故に髪の長さも同じだったのではないかと。
いうなれば、プレーン状態です。

役割を終え、呪縛から解き放たれる=髪が短くなる

ここまで、四葉を除く姉妹達のヘアスタイル、そしてそれが「執着や呪縛」と関連しているのではないかという仮説を展開してきました。

問題は、「だからなんなん?」ということです。

私はこの仮説から、二乃の部分でも触れたように、髪が短くなる=「執着と呪縛の象徴から解放されること」ではないかと推測を立てました。そしてそれこそが先述した、『犯人』を特定する手がかりなのです。

私はここまでの仮設を立てた段階で、テレビシリーズ2期のストーリーを思い返して推理を始めました。必ず『五等分の花嫁』における『犯人』を突き止めてやる!その一心で。

髪が短くなり、役目を終える=メインヒロイン候補から外れる

髪が短くなり、執着と呪縛の象徴から解放される。
そうなると、作品がヒロインに課した役目がなくなり、物語を閉じるために絶対必要な「メインヒロイン」の候補からは外れてしまう。この理屈を適用すると、テレビシリーズ2期を見終えた時点で、容疑者は二人にまで絞り込むことが出来ます

テレビシリーズ終了時点で、一花、二乃、三玖は容疑者候補から外れました。三人には、「呪縛から解き放たれる描写」が存在するからです。

二乃は一番わかりやすいですね。

彼女は「姉妹に対する呪縛」から解き放たれ髪を断髪し、人として成長します。もとは反発していた風太郎に対する想いを、(自分でも思わず)彼に告げてしまうシーンなどは、彼女が人間としてまっとうになったことの証左でしょう。

想いが暴走してしまう彼女は可愛いうえに、感情に対して素直で在ることができる人間になった、という感慨深いシーンにもなっているんですね。素晴らしい作品だぁ!

しかし彼女はこの時点で、ヒロインとしての役目をある種全うしたため(その後にも良いシーンはたくさんあるとはいえ…)、メインヒロイン容疑者候補からは外れたのです。

次は三玖です。

彼女に関しては、実は推理ミスをしていました。
私は劇場版に足を運ぶ前には、三玖は容疑者候補から外れていると思っていましたが、厳密には劇場版のラスト付近にてようやく「容疑者でないことが明示」されたキャラクターです。つまりテレビアニメ視聴時点では、「限りなく白に近い容疑者」なのですが、私はすっかり三玖は呪縛を解かれた側だと思い込んでいました。

ともあれ、テレビアニメ時点でおよそ半分ほどの呪いを乗り越えていましたので、ご勘弁ください。

彼女が断ち切るべき課題は二つあります。
一つは「自分に自信がない状態」。これは「自分が自分を受け入れる」ことによって解消可能です。ストーリー上では、二乃に「アンタだって可愛いじゃない」と発破をかけられたことで乗り越えました。
もう一つは「決断を先延ばしする心」。テストの結果やパンなど、告白のきっかけを外に求めすぎる彼女が、それを受け入れ乗り越える必要があります。これは、一花との対決の中で自らの非を認め、姉妹との和解を果たすことによって乗り越えました。

つまり彼女は、葛藤をほとんど乗り越えていたので、後は呪縛がどの段階で解けたのだろう?ということが疑問でした。

私は当初、旅館の五つ子ゲームにて、三玖の正体を看破するシーンで、風太郎が三玖からの好意を認識したことによって解放の通過儀礼を終えたのだと思っていました(五月の変装用カツラがとれ、髪が短くなっているため)。

だから三玖は容疑者候補から外れたと思っていたのですが……
私は2期ラストシーンを見落としていました。彼女は「自分の好きなもの」を風太郎に教えていく流れで、風太郎への告白を果たします。結果それは未遂に終わりますが、この「未遂に終わった」ことが、三玖の通過儀礼はまだ終わっていないと言うことの証でした。

四葉について書くときに、詳しく追記します。

容疑者候補から外れた最後の一人である一花。

先ほど「後述する」とした件。
一花は一番のショートヘアで執着が薄いはずなのに、アニメ2期では風太郎への想いに傾倒していったのは、先に立てた仮説と矛盾するんではないか?という件について。

注目すべきは一花が吐いた衝撃的な嘘。目がぐるんぐるんになって、ちょっとダンガンロンパ的な恐ろしさを感じさせるシーンでしたが、あのシーンで重要なのは一花が誰の格好をしていたか?です。

彼女はあのシーンにて、三玖の変装をした状態でした。つまり普段よりも「髪が長い(カツラを被っているから)」のです。
一花は擬似的に三玖と同じかそれ以上の執着と呪縛に取り憑かれていたということだと思っています。そしてあのシーンがやってきた時点で、一花には「自らがしでかした嘘の清算」と「そうさせてしまった自分の心と決着をつける」ことが必要になります。
つまり、「髪が短くなる(カツラを失う)」という展開がセットで必要になってくると言うことです。

それこそが修学旅行のエピソードでした。

一花は風太郎を再び騙すべく三玖に変装しますが、風太郎にそれを看破されてしまいます。非常に胸の痛むシーンですが、注目すべきは風太郎が変装用のカツラをむしり取っている点です。

カツラといえど、嘘を吐くときに被っていたカツラが失われて髪が短くなるというのは、前述の「役割を終える」ための通過儀礼
彼女はコレをきっかけに風太郎への想いに囚われていた状態を断ち切って、前に進むことが出来るようになるのです。

嘘を見破られ、「お前の言うことは信じられない」とまで言い切られることによって、一花は風太郎の前で偽る理由を失います。そうなると、必然的に自分がしでかしたことと向き合うことになります。そこで初めて彼女は自分の嘘を清算すべく、三玖にデートのチャンスを譲るのです。

また同時に、彼女は自分の心とも決着をつけました。本当に幼少の頃出会っていたという事実を胸の内に秘め、風太郎の頬にキスをして「全部嘘」と言い放つのは、まさに通過儀礼を終えた一花が、自らの心にしまい込んでいた呪縛と決着をつけた証でしょう。

個人的にはこの「全部嘘」のシーンはかなり好きです。四葉と同じ「昔出会っていた」というアドバンテージを、自ら「嘘」の一言に託して手放してしまう。それは、呪縛から解放されていなければ不可能な行為であり、痛みを伴う成長のシーンでもあるでしょう。
一花は、成長の痛みを思い起こさせる魅力的なキャラですね!

実際の髪の毛が切られているワケではない点を除けば、一花のエピソードについてはかなりキレイに整理されていると私は思っています。

残る容疑者は二人。

上記の通り、一花、二乃、三玖(推理ミスの部分については後述)の三人は容疑者から外れたと私は思いました。テレビシリーズで深く触れられることのなかった四葉と五月が残る容疑者で、おそらくこのどちらかが『花嫁』だろうと私は予想しました。

正直な話、この二択なら五月じゃないの?普通に

と思ったのが正直なところです。キービジュアルにはメインヒロイン的な顔をして居座っていますし、逆に四葉はサブヒロイン的な要素が盛り込まれたキャラクターだから。普通のラブコメ文脈で言えば、花嫁は五月だろう、と。

しかしここで、私は二つのシーンに注目しました。

一つは何話か忘れましたが、お母さんの元教え子で塾講師をしている女性と、五月が対面するシーン
そしてもう一つが、観覧車で四葉と勉強するシーンです。

この二つのシーンを思い出したとき、私の中に初めて浮上しました。

『犯人』は…………四葉?

なぜ五月が『容疑者』から外れるのか

五月はテレビアニメ時点で呪縛から解き放たれるシーンがないため、そこへいくと容疑者から外す道理はありません。
……ですが、シナリオを通して五月は容疑者から外しても良いのではないか?と私は思ったのです。

なぜなら五月のストーリー上乗り越えるべき、あるいは受け入れるべき障害は『母親の存在』だからであり、それは風太郎と「教師・生徒の関係」であることとの表裏一体であるからです。
そして教師・生徒の関係から五月が自ら卒業し、自らの意思で歩き始めるために必要なことは、風太郎との決別(別に仲が悪くなる必要はなく、ここで言う決別は一種の自立です)。

ストーリー上必ず風太郎からの卒業が待っている以上、五月と恋愛関係になることはないのでは?というのが、私の推理でした。
風太郎への恋愛感情と風太郎からの卒業は両立できないわけではありませんが、両立しようとすると卒業の趣旨がぼやけるだろう、そんなことはしないんじゃないか?というのが思考の流れです。

ここで信じがたいことに、四葉犯人説が持ち上がってきたのです。

なぜ四葉が『花嫁』になりそうなのか

後述するとしました、四葉の呪縛について。
そして、観覧車で四葉と勉強するシーンがなぜ重要だと思ったのか。

理由は二つで、一つは風太郎のモノローグ中に、「姉妹でいることの呪縛」という言葉が出てくる点。そしてもう一つが……

そう!転校前の四葉は、髪が長かったのですッッ!

散々書いてきたとおり、髪が長いというのはつまりそれだけ囚われているものが大きいということ。ところが四葉は、「五つ子としてそれぞれの個性が表層化した」以後、転校前の高校時代。ビジュアルに大きな変更があった唯一のキャラクターだったのです。

私は混乱しました。

転校に際して四葉は、自らの手で何らかの呪縛を終わらせている。
だが、それは一体何だ?
お前は何を隠している、中野四葉…!

手がかりは、落第したのは四葉だけで、姉妹はそれに付き合って転校してきたということ。自分ではなく、姉妹に幸せになって欲しいと願っているということ。そして彼女が、『約束の少女』だったということ。

確かめに行くしかない。
劇場に。
この事件の、真相を…!

私が予想した劇場版

ここまでの推理で、(完結編だと知っていた)私は、劇場版のストーリーを大きく二軸で構成されるのではないかと予想しました。

①五月が『母親』の存在について自ら決着をつけ、風太郎の生徒という立場から卒業する。(そして髪を切るか、それに類するシーン)
②四葉がかつて何に囚われていて、どうしてそこから解放され、そして彼女が今抱えているものは一体何なのか。(髪が短い彼女が何らかの方法で通過儀礼を済ませる?)

さて、実際の劇場版ではどのようになっていたのか?

謎は全て解けました。予想外の部分も、「なるほど!」と納得させられました。恐ろしい作品だ!

真実①五月の場合

展開自体は意外なものもたくさんありましたが、ストーリーの大筋を大きく外すことはありませんでした。風太郎の力を借りることなく、自身の力だけで『母親』の呪縛と戦い、彼の生徒という立場から卒業する。

五月が、本当の意味で解き放たれるための物語になっていたと思います。

風太郎と恋愛関係になることはないだろう、という予想は的中したのでかなりテンションが上がりました。最終的なメインヒロインにならなかったことも当然そうですが、四葉までは1人1キスあったのに、五月だけはそれがなかったのもかなりポイントが高いです。
彼らの関係性は素敵ですが、あくまでも恋愛ではない。
そこを外してこなかったのも『五等分の花嫁』の恐ろしさでしょうか。

さて、問題は通過儀礼です。

「おいおい、五月は髪を切るシーンも、ウィッグを外すシーンもなかったよなぁ推理は外れたんじゃねえか探偵さん!」
という指摘が聞こえてきそうですが、実はそうではありません。

今回の映画には、五月にも、そして四葉にも(ついでに三玖にも)、通過儀礼のシーンが用意されていたのです。
そう!
「髪飾りやリボンを外す」というシーンです。

五月の場合は、実父との対決に際して三玖に髪飾りを託し、自らの思いの丈を口にします。実父には愛がなく、五つ子を見分けることが出来ない。髪飾りを外しているのはそのための前振りですが、それだけのためではありません。

髪飾りを外し、素の自分だけで勝負している。
そうして、風太郎の教え子であることからも、母親に囚われた状態であることからも解き放たれている状態で「やはり教師を目指す」と選択するからこそ、それは五月の選択に他ならず、彼女が人間として自立する瞬間を描き出しているのです。

真実②四葉の場合

さて四葉です。
もはや言うべきことはあまりないですが、「四葉がかつて何に囚われていて、どうしてそこから解放され、そして彼女が今抱えているものは一体何なのか」については、完全に全部を教えてくれましたね。正直かなり好きなシーンです。

四葉がかつて何に囚われていたのか?
どうして解放された(=髪を短くした)のか?
今、彼女が抱えているものは何か?

その真実は、劇場で確かめてください。というかここまで散々ネタバレしてるんであんまり意味ないかもしれませんが。

問題は「今現在の四葉が解放されるための通過儀礼は何か?」
答えは五月と同じ髪飾り。四葉の場合は、「五つ子の中でも特別たれ」との思いで自ら着用するようになった、彼女にとっては呪縛の象徴でもある大きなリボンでした。

劇場版のラスト付近、四葉は結婚式場のスタッフにリボンを差し出され、処分するように申し出ます。それはつまり、自ら呪縛の象徴を切り離す行為。彼女にとっての通過儀礼でしょう。
四葉が特別なのは、髪とリボン、二回も解放の儀式があったことでしょうか。

一回目の解放では、五つ子の中で最も優秀でいなければならないという考えから解放されます。一方でこの通過儀礼によって、彼女は「姉妹を幸せにする」「自分は正しき努力を積むことの出来なかった人間」という、別の呪縛に囚われてしまいました。
これを、二回目の解放にて断ち切ることが出来たのです。姉妹の幸せを本人に委ね、四葉自身が前を向くということを受け入れる。「正しい努力を重ねてきた上杉さん」と違ってダメだった自分、を受け入れる。そうすることで初めて彼女は真に解放されたのでしょう。

余談ですが、四葉のキスについても、キスしなかった五月と同様、作中では特別な扱われ方をしていました。眠っている風太郎にキスするというシーンですが、これは「風太郎が約束の少女の正体を知らないまま四葉に告白する」ことの補強でしょう。

つまり風太郎は、キスや過去の約束とは関係ない四葉のことを好きになった、という話だと思っています。風太郎はお守りを海に流されてなくしていることから、過去への執着を手放しているキャラクターですので。まあ、あんまりよく分かりません。

余談 三玖について

先ほど三玖について読み違いをしていたと記述しましたが、劇場版にて「三玖が完全に容疑者でないことが明示されたシーン」は、ストーリー最終盤で四葉とカラオケに行くシーンのことです。
その時点で風太郎と四葉が両思いであると明かされているので、もう容疑者もクソもないだろうがと言えばその通りなんですけど。

カラオケの帰り、三玖は「私は私を好きになれた」と述懐します。
これは三玖が抱える問題「自分のことを好きになれない自分」に対する彼女からの明確なアンサーで、ここまでストーリーを追いかけてきた人間にはかなり感慨深い台詞だと思います。

このシーンで三玖は、四葉のものまねのためにつけていたリボンを海に投げ捨てます

コレはもう…ねぇ?
四葉と同じ解放の通過儀礼でしょう。
これで五つ子全員が、髪と髪飾り、リボンのいずれかを通じて執着と呪縛から解放されるシーンが描かれたことになるのではないかと思います。

まとめ

長々と書いてきましたが、「なんだよ『五等分の花嫁』ってさ。俺は流行には乗らねえ硬派なオタクだぜ」と思っている私のような人間も、角度を変えると非常に楽しめる作品でした。
もちろん、ストレートにラブコメ作品としても楽しめます。こんなひねくれた見方をする人もいるんだなぁ、でもそんな人も楽しめる作品なんだなぁと思って頂ければいいと思います。

いないと思いますが、まだ『五等分の花嫁』を見ていない方は、「髪の長さはキャラクター性に連動している」という私の仮説を頭の片隅に入れて置いて頂ければ、「言っていたのはこういうことか」と思って頂けるかもしれません。
そして、元から『五等分の花嫁』が好きな方も、見返したときに「ここは確かに言ってたこと当たってるかも?」などと感じながら、より楽しんで視聴することができるかもしれません。

ともあれ、楽しい作品でした。ここまで読んでくれた人(いるのかそんな人)には、感謝を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?