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ある日の郵便配達員


昭和の時代、東中野にある
中堅土木設計会社に
関口(32歳)がいた。

土木は男社会、社員の多くは独身である。
当時は恋愛結婚も少なく、
見合い結婚が主流であった。

長野の実家から見合い写真が送られてきた。
山口良子さんという名前の
長野郵便局支店長さんの娘さんである。
関口家も長野の名家なので
家柄的にはつりあっている。

写真の良子さんは、中々の器量良しで、良子さんも気にいったようで、見合いすることとなった。

見合いの場所は、長野の料亭なので、関口は帰郷した。

見合いの席で話が弾み、お互い気に入り、話はとんとん拍子に進み、ついに結婚話まで進んだ。

結婚式は、長野の会館で執り行われた。

新婚旅行は二人が行ったことがない、宮崎県で、言わずと知れた新婚旅行のメッカである。

関口は一人アパートから、
2LDKのアパートにうつり、新居とした。

幸せな新婚生活が続き、妊娠の知らせがあり、二人は大喜びした。

ところが、運の悪い事に、良子さんは、突然、不治の病である「膠原病」に侵されてしまった。

病状は進み、胎児も成長してきた。

主治医から、残酷な言葉を聞かされた。

「このままでは、母体を犠牲にするか、お子様を犠牲にするか、どちらかの選択肢しか残されていない。」
つまり、どちらかが生きるにはどちらかが死ぬしか無い。

良子さんは夫に告げた。

「お願い、私は不治の病でいつ死ぬかわからないの、私の分身である子どもの命を救って、お願い。」

関口は答えた。

「何を言うか!。どんなことがあっても俺が愛しているのはお前だけだ。子どもは天からの授かりもの、最初からいないものと思ってお前の命を救うぞ。」

良子さんは涙を浮かべて、夫の愛を受け止めた。
そして、子どもを堕ろした。

良子さんの命は救われたものの、残酷にも病状は悪化していった。


関口は、故郷の長野、それも
空気の綺麗な高原近くに居を構え、良子さんを静養させることにした。

関口は、良子さんの父親の郵便局支店長のコネで、郵便配達員の職を得た。
そして、ほそぼそと配達員を
続けながら、良子さんの看病にあたった。

長い年月、病と闘った良子さんではあったが、難病には勝てず、痩せ細った身体はついに息絶えた。


関口は、霊園に小さな墓を建て、その隣に水子地蔵を建立した。

良子さんは、母子共々同じ場所で眠ることとなった。


関口は、いつまでも、二人の霊を弔った。




           完

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