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下手と言われるフェーズを受け入れられない今の私

三日前私は、色々あってハマっていた非公式カップリングを卒業することにした。

新たなカップリングを探して2日目、オリキャラ同士のカップリングにハマるのはいかがだろうと思って、歴代の推しカプを書き出しチャットGPTの協力も得て属性や関係性を分類した。
のだが、途中で飽きてしまい一般的に好まれるカップリングの傾向をチャットGPTに教えてもらい、そこから読者(私の周辺の人物。候補は五人いる)の好みそうな傾向を割り出し、一次創作を考えることにした。
これが間違いだった。
一次創作を書くのに必要なユーモアも壮大な世界観設定を考える力もない私にとって、やはり面白い一次創作を書くのは難しかった。

そう、〝面白い〟。
力を抜いた駄作なら時間をかければいくらでも書けるのである。
でも、時間をかけるのに値しないものは作りたくない。

しかし、絵も小説も、一生懸命完成させた後に「駄目」「下手」と言われるフェーズを経ないと、一生上達しないことを知っている。



私は今おそらく、完璧主義になっている。
模写を元の絵そっくり描けないから「そもそも私は絵を大量に描ける脳みそをしていない」と脳トレに逃げた。

しかし、その脳トレも面倒くさくて文字で簡単に表現できる小説に逃げた。
逃げて、逃げて、逃げて。

私は今、駄作を作るということについて魂を注いで向き合わなければいけないのかもしれない。
だって、そうしなければ私は一生何も作れない。 
散文でいいから、下手絵でいいから、駄作でいいから、都合の良い妄想の塊でいいから。
まずは何かを作るべきでは?


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