愛猫「にゃたろー」と歩んだ18年間
愛猫が天国へ行ってしまった。18歳だった。
名前は「にゃたろー」。みんな1回は聞き返してくる名前だ。
にゃんたろうではないし、にゃたろうではない。
にゃたろーである。
にゃたろーとは自分の家族よりも、旦那よりも長く一緒に暮らしている。
家族であると同時に、人生のパートナーのような、絶対に隣にいてくれる相棒のような存在だった。
にゃたろーとの長く濃い18年間を忘れたくない想いと自分の心を落ち着かせるために、ここに記しておきたいと思う。
またにゃたろーと私の思い出話にはなるが、これを見た人がにゃたろーの存在を知ってくれることも嬉しいと思い、投稿することにした。
にゃたろーとの出会い
あれは私が17歳のとき。にゃたろーと初めて会ったんだ。
私は16歳から工場で働いていた。
勤め始めて約1年経った春先の晴れた日、事務のおばちゃんが工場の駐車場で猫を拾ったと勤務中に噂が流れてきた。「猫がいたんだって!」「泥だらけだったらしいよ」
おばちゃんばかりの職場で働いていたので、手を動かしながら噂話は当たり前だった。
そのあと昼食の鐘がなった。
「猫ちゃんさ、事務所にいるらしいよ」
そう聞いて、私もどんな猫ちゃんなんだろうと興味が湧いた。ちなみに私は猫を飼ったことはなく、ほんの少しの興味だった覚えがある。
事務所に行くとキレイに洗ってもらった真っ白の猫が事務のおばちゃんに抱っこされていた。
まだ毛は濡れて束になっていて、タオルに巻かれて優しく拭いてもらっている。
体はまだ20センチくらいの男の子だった。
私は可愛い…と思いながらも躊躇してしまい、抱っこはできなかった。
にゃたろーは工場の駐車場で保護されたらしい。
工場の駐車場はトラックやフォークリフト、ワゴンが行ったり来たりしていた。
人間だったら高速道路で大型トラックやショベルカーがガンガン通っている中、ポツンと立たされている感じだろうか。
きっと、にゃたろーはすごく怖かっただろう。
親のような猫もおらず、一人ぼっちだったそうだ。
事務のおばちゃんは猫をたくさん飼っている。工場では有名な猫おばさんだったので、扱いは慣れたものだった。
「明日は病院に連れていくんだ」と張り切っていた。そのあと「この子どうしようか」「とりーちゃん飼う?」と突然言われ、「えええええ猫飼ったことないし……」
という返事しかできなかった。でもにゃたろーはとても可愛くて私が飼いたい…でもそんな、私が責任持って飼えるのだろうか。と。
私は17歳で実家を出ており、当時同棲していた。だから1人で決められない状況だったし、少し考えることにした。
昼食を食べながらも考えていて、他の人に決まったらもうあの子は飼えない…嫌だな…一緒にいたいな…と思った。
次の日同棲中の彼に相談したところ、あっさり「飼いたいならいいよ」という返事をもらい、背中を最後にトンっと押してもらった。
「私が飼います!」と事務のおばちゃんに言いに行った。
これがにゃたろーと私の出会いだ。
猫との暮らし
名前は同棲中の彼と決めた。にゃたろーはすでに体長20センチ程あったが、年齢は0歳の赤ちゃん。生後何ヶ月なのかは病院でも正確にはわからなかったらしい。誕生日を4月に決めた。
遊び盛りで、私のカバンにすっぽり入るのが大好きだった。
おもちゃをたくさん買って、にゃたろーの息が上がるほど夢中になって一緒に遊んだ。
猫の可愛さの虜になっていった。
猫は「懐かない」「気分屋」らしい。
噂は確かにそうかもしれないが、実際飼ってみると適度な距離感をもって自分の個を大切にしているようだ。
甘えたいときには甘えて、自分の時間もしっかりと確保する。
懐かないは違うかな。犬みたいにお手や芸はできないけど、表情や行動で愛情を伝えてくれる。
猫はこんなにも可愛いし、人間味があるんだと感じた。
「にゃち」と「にゃたろー」
その2年後、また「野良猫ちゃんがいるんだけど、誰か飼えるかな」という話をもらい、うちで引き取ることにした。
猫を飼っている人ならわかる人もいるかもしれないが、猫を飼っていると「野良猫が産んじゃったみたいで〜」と声をかけられることが多くなる。
まだ手乗りサイズの真っ黒の猫で、ミルクをあげなくてはいけないくらい小さい。
名前は「にゃち」とつけた。
にゃたろーと相性が気掛かりだったが、にゃたろーはとても優しくクンクンし、気づけば隣に座って子猫を温めてあげている優しいお兄ちゃんだった。
絶対に小さい猫をいじめたりしなかった。
本当に優しい子だ。
このときからにゃたろーとにゃちは最期までずっと一緒。親友だったかな。
この頃には、にゃたろーは7,8キロの大きな大きな猫になっていた。
にゃたろーは狸と猫の赤ちゃんなのではと、彼と話していたのは懐かしい。
大きい尻尾は特大のエビフライに見えた。
後日談ではあるが、動物病院で「きっとラグドールが入っているよ」と言われた。
毛並みはフワッフワの高級猫のような雑種猫だ。雑種猫なら頂点とれるかな(親バカ)。
にゃちと一緒にサンタコスをした日には、とても不満そうな顔をしていたが、長い時間嫌がらずつけていた。
まんざらでもなかったのだろう。
これもいい思い出である。
同棲していた彼
少し話がそれるが私と同棲していた彼の話をしようと思う。
私は17歳から彼と同棲し始めた。
最初は普通のカップル。
でも月日が流れるにつれて私は彼に依存していった。嫌われたくない、好かれていたい気持ちから自分を否定するようになった。
省略するが……うん、私の黒歴史だ。
彼はサッカーのサポーターをしていて土日不在のことが多く、サッカーの日は私は家に引きこもっていた。理由は彼がいない間に出掛けて、何か疑われたら嫌だという意味不明な行動だ。
友達との付き合いもほぼなくなってしまい、完全に依存していたのだろう。
そんな、自分から檻に入っているような生活が苦しくてたまらなかった。
にゃたろーが家にきてからも相変わらずこの生活が続いていて、1人の夜は何度も家で泣いた。
その度ににゃたろーは優しく鳴きながらすり寄ってきてくれる。
心配して側に来てくれるのがわかる、温かい鳴き声だった。
私は何度もにゃたろーに「ありがとうね」と伝えた。救われていたんだ。
私はにゃたろーがいなかったら鬱にでもなっていたんじゃないかな、と思っている。
同棲は5年した。別れるときはまぁ、いろいろあって大変だった。
同棲していた彼と別れることになり、私は1人暮らしの家を見つけるために1ヶ月間実家に戻ることになる。
1人暮らしをしたら、猫2匹とも私が引き取ることになっていた。
「でも1ヶ月間どうしよう、実家には事情があり、連れてこれない……猫たちに忘れられたくない」そんな思いがあった。
そこで私は元彼に相談し、ご飯だけあげに毎日会いに行くことにした。
実家と同棲していた家は車で30分程。朝6時に実家を車で出発し、朝ご飯だけをあげに同棲していた家に戻る。
そのあと車で実家に戻り、バスと電車で仕事に行く。
夕方も一緒。
この生活を1ヶ月続けた。
ちょっとだけ大変だったが、にゃたろーとにゃちに会えるならそれで良かった。
にゃたろーとにゃちは私が玄関を開けると走って来てくれて、離れて暮らす1ヶ月も毎日触れ合って過ごした。
3人での生活がスタート
晴れて1人暮らしの家が決まり、引っ越しをした。
私は1人暮らしが始まると同時に転職をして、サービス業になった。
早番は9時5時だが、遅番は5時から夜中になることも多かった。
次の日が休みでも絶対に朝ご飯の時間には私の上に乗り、猫パンチが飛んでくる(笑)
「お腹すいた!」「はよ起きろ!」と(笑)
私は目を擦りながらも必ず起きて朝ご飯をお皿に入れて、そのまま起きてしまう。そんな日々も楽しかった。
ある日は買ってきたミスドを食べ荒らされてたこともあったっけ。
朝起きたら食べかけのドーナツが床に転がっていて、にゃたろーとにゃちは満足そうに顔を洗っている。
次は絶対に戸棚にしまっておこうと誓った日だ。
その半年後、今の旦那と付き合うことになった。
旦那はとても大らかな人で、元彼とは真逆だった。私は「私」を思う存分出していいんだと思えた人である。
旦那がうちに初めて来たとき、にゃたろーに引っ掻かれた(笑)。
これが旦那とにゃたろーの初対面。
きっと「なんだこの男は?また変なのきたんじゃねえか?」と警戒していたのかもしれない。
にゃたろーたちと過ごす時間も長くなり、旦那とにゃたろーは仲良くなっていった。にゃちもね。
「にゃっちゃん」と「にゃたろー」
その後旦那と同棲することになり引っ越すことに。
そのあとにうちにきたのは「にゃっちゃん」。
この子も野良猫の赤ちゃんだった。
引き取りに行ったとき、5〜7匹くらいの猫の赤ちゃんがいて、私の服を一生懸命よじ登ろうとしていたのがにゃっちゃんだ。
まだ手乗りサイズの小さな赤ちゃん。
にゃたろーは家族が増えることに慣れたのか「おうおう、また増えたんか」くらいにはドンと構えていたように思う。
にゃっちゃんの虚勢後も、ずっと隣で寄り添ってあげていた。
いつもどんな子にも温かく接してあげられるにゃたろーは本当に偉いし、受け入れてくれてありがたいと思っていた。
私と旦那はその後結婚した。
そのときに親戚に送った「私たち結婚しましたハガキ」には、2人と3匹で写真を撮った。
いい思い出だ。
にゃたろー、長男と出会う
結婚を機にまた引っ越すことになる。
猫は引っ越しが嫌いと知っているので、申し訳なかった。にゃたろーとにゃちは引っ越しが3回目。
そのせいか「はいはい、また違うとこいくのね」とやれやれな顔。
ごめんなさい(汗)
次の家では長男が産まれた。
にゃたろーは猫には優しかったが、大丈夫かな……と少し心配したが全く問題なかった。
最初見たときはビックリしていたけど、猫が増えたときと同じように優しく接してくれた。
にゃたろーは私と会ってから亡くなる数日前までずっと甘噛してくる甘えん坊だったけど、子どもたちに爪を立てたことはないし、噛みついたりもない。
「これはとりーの大事だもんね」とわかっていてくれていた。
子どもが奇声を上げてキャーと騒いでるときには「うるさいな〜」と顔に出していておもしろかったなぁ。
長男が1歳のときに今の戸建てにやってきた。ここに住んでもうすぐ10年になる。
にゃたろーたちは「かかかか階段があるぞーーー」と階段で運動会を始める。
今までなかったからね。猫も家を気に入ってくれてよかった。
5人と3匹の暮らし
そこから次男、長女が順番に誕生した。
にゃたろーは次男、長女に雑に触られても怒らずじっとしていた(私がメっ!!した)。
それでも、のそのそと赤ちゃんの近くにきては座っていた。
危なっかしい赤ちゃんを見て、にゃたろーは心配していてくれていたのかもしれない。
育児中は私が疲れてしまうこともあった。新生児のお世話で、昼夜逆転し夜通しリビングにいたことも。
そんなときも側にいてくれたのはにゃたろーで、横にスッときて座ってくれる。
「まぁ、俺でも撫でて癒されたまえ」と言っているのかのように。
私はふわふわの体を撫でて、気持ちが落ち着く。ありがとうにゃたろー。
子どもが増え、私は子どもの世話に家事に仕事に毎日忙しかった。
きっと昔よりも頭を撫でる回数も減ってしまっただろう。
足にスリスリきても「ちょっと待っててね」と言い、3回ほど撫でてまたバタバタと移動を始める。
寂しい思いをさせてしまっただろうか。
にゃたろーは歳を重ねるにつれて、眠る時間が多くなってきた。
おもちゃを持ってきてもしらんぷり。
食器棚の上に登るのが好きなのだが、そこまで行くのにはいくつか試練があった。
まず猫トイレに登り、次に冷蔵庫、そのあと食器棚にジャンプだ。
体が大きいにゃたろーは体力も落ちてきていたせいもあり、登れるときと登れないときがあった。
登りたいときには猫トイレと私を交互に見て「にゃー」と鳴く。
猫トイレの上には、たまに抱っこで乗せてあげていた。
にゃたろーの日課は洗濯物を私と一緒に畳むこと。にゃちも一緒に来る。
私は和室で畳むのだが、洗濯物の山を作るとすぐに私の隣にきて横に座る。にゃちは左、にゃたろーは右だ。
畳み終わるとまたスタスタと大好きなソファの上に戻る。
畳んでいる間は靴下を被せて帽子にしたり、タオル巻いてみたり、たくさん笑わせてもらった。
にゃたろーはそのたびに少し不満そうな顔をしたが、まんざらでもなさそうな顔も見せた。
みんなが笑っているのが嬉しかったのかな。
こんなことをしているので、洗濯物をたたみ終えるのにとても時間がかかった。
でも私はとても楽しい時間だったから良いのだ。
フリーランスになったことで、自宅で一緒にいる時間が増えた。私がソファにいるときには、必ず隣にきて何をするわけでもなく座っていて、私はモフモフさせてもらう。
とっても幸せな時間だった。
最期の日は突然やってきた。
前日までは普通にご飯を食べてトイレも行けていた。
最期の日はほとんど動けなくなり、長男は「にゃたろーが外を見たそうにしている」「和室に行きたがっていそう」と移動してあげたり話し掛けてあげたりしていた。
最期の夜、私はにゃたろーと2人きりで和室に寝た。
思い出話をしながら過ごし、頭や体を撫でる。たくさんおしゃべりをした。看取ったのはそのあとすぐだった。
にゃたろーとの思い出はここに書いた以外でも語り尽くせないほどある。
ただ、にゃたろーは幸せだっただろうか。
家にきて幸せだっただろうか。
とても気掛かりだ。
私はにゃたろーがいてくれて良かった。
ここまでの人生の多くをにゃたろーと過ごした。私の隣には必ずにゃたろーがいた。
本当に感謝しているし、楽しかった。
にゃたろーがいたことで救われたことが何回もあった。
ありがとう。
今そっちはどんな感じだろうか。
ゆっくり休んでいるかな。体は軽くなって走れているかな。ご飯も食べてお水もいっぱい飲んでいるかな。
いつか私が死んだらまた一緒に遊ぼう。
天国ならにゃたろーも遊べるくらい元気だよねきっと。
楽しみにしているよ。
あとがきみたいなもの
ここからはあとがきのようなものを書く。にゃたろーが亡くなって、死について考えさせられたことを書いていこうと思う。
私はとても身近な人が亡くなったことがまだない。
祖父や祖母は亡くなった人もいるが、年に数回会う程度だった。
一緒に暮らしていたにゃたろーがいなくなるのは例えようのない悲しさだ。でも生きている人は、悲しみに浸る時間が少ないのだなと感じた。
特に母親は悲しくても洗濯をして、ご飯を準備して、洗い物をして、生きている家族のことも考えなければいけない。
ただみんながいるから、元気をもらえていることもあるのかもしれない。
一緒に涙を流せる人がいることは救いになるのだと感じた。
もし亡くなったのが人間だったなら、事務的な作業が山のようにあるから、きっともっと時間がないのだろう。
生きるとは忙しいのだと、改めて感じた。
あと、にゃたろーが亡くなったことで自分が死んだときの楽しみが増えた。
きっとまた会えると思う。
私はよく「死」に関して考えてしまうのだけれど、これは防衛本能なのだと以前調べて知った。
大切な人が亡くなったときに心が壊れてしまわないように考えてしまうらしい。
にゃたろーがもし死んでしまったら……旦那が、子どもが、母親が、など考えてしまったことがある。
自分が死んでしまったらということも、考える。でも死んだらにゃたろーに会えるかもしれないと、そのあとの楽しみができた。
別に自◯願望があるわけではない。
1人恐怖に怯えて死ぬ瞬間を想像していたけど、その先に光があるなら怖くないと感じた。
もう1つ、にゃたろーが亡くなってからフランダースの犬の物語を思い出した。
フランダースの犬は最後、少年と犬が亡くなってしまうが、2人にとっては幸せだったのかもしれないと思ったのだ。
どちらかが残されたら、それはそれは辛かったのではないかと。
にゃたろーも今1人で寂しくないかとても心配だ。
魂がどうなっているのか私にはわからないけれど、寂しかったら成仏せずにうちにずっといても大丈夫だからね、と伝えたい。
現実と霊の関係は知らないし、悪いことなのかどうかもわからない。
でも1人はきっと寂しいだろう。
仲良しだったにゃちも寂しそうだ。
今は広いソファで1人で座っている。にゃちだけじゃ広すぎるソファだ。
にゃちは「なんでいつまで経ってもにゃたろーが来ないのだろう……」そんな表情をしている。
にゃたろーが亡くなってから数日間、吐く回数が増えてしまった。
にゃっちゃんにもシャーシャー言うようになった。
にゃちは滅多に鳴かない猫なのだが、にゃたろーがいなくなってから必ず毎日大きな声で鳴くようになった。「どこにいるの?会いたいよ」と言っているように聞こえる。
きっとストレスが溜まっているのだろう、寂しいのだろうと思う。
家族みんなでにゃちのケアもしている。
寂しいよね、ずっと一緒だったもんね。
私も寂しいよ。
振り向くとにゃたろーが寝ている気がするし、洗濯物を畳めば来てくれる気がする。
でも、もういない。
いつもよりも汚れていない猫のトイレ、減らない水を見て、現実を突き付けられる。
死とはこんなに悲しいものなのだなと、どうしようもできない気持ちなのだなと感じている。
今はペットと人が同じお墓に入れるようだ。私が死ぬのはおばあちゃんになってからなのか、いつなのかはわからない。
だけど死んだときにはにゃたろーのお骨も一緒にいれてもらいたい。
旦那には伝えたけど、大きくなったら念の為子どもたちにも言っておこう。
この先の人生ににゃたろーはいないけど、頑張って生きるよ。
また会おうねにゃたろー。
会ったら一緒にたくさん遊ぼう。
あとはさ、生まれ変わったらどういう形であれ、また会えたら嬉しいと思っているよ。
にゃたろーありがとう。大好きだ。
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