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サッカーが好きなんだよ

こんにちは南仙台の父です。
noteでは初めてのサッカーネタかもしれません。
(記憶にございません。)
今回は私が好きなサッカーの話です。

日本でもJリーグが発足して既に30年程度が経過しました。
それ以降はワールドカップにも出場できるようになって、テレビやネット
でも当たり前のようにサッカーの話題が出て来るようになりました。
私は残念ながらそれ以前からのサッカーファンでした。
もちろん、今の日本のサッカーの勢いは正直うれしいです。
ただ、サッカー自体がアングラな世界感だった頃からサッカーを見てきた
ので、今の日本サッカーはまったく別世界のものみたいな感覚です。

私は1980年代頃からサッカーに関心があって、当時はまだJリーグもあり
ませんし、サッカーの試合をテレビでやること自体もありませんでした。
天皇杯の決勝くらいしかテレビ中継がなかった時代です。
当時はプロスポーツといえば野球の一択、その他のスポーツは五輪中心に
あって、アマチュア精神がどうのこうのという世界観でした。
高校サッカーが年末年始にやってましたけど、テレビで見られるのはその
程度でしたが、唯一の世界との接点がテレビ東京で放送していた三菱ダイ
ヤモンドサッカーでした。
今でこそネットとかでも簡単に欧州のサッカー事情は簡単に入ってきます
し、日本選手の活躍も日々入ってきます。
しかし、当時は三菱ダイヤモンドサッカーか、サッカー雑誌くらいしか情
報がない時代でした。
日本も日本リーグで社会人のリーグはありましたが、プロ契約ができるよ
うになったのもだいぶ後の時代でした。
そんな頃から、欧州の五大リーグと呼ばれる情報を得るために、休日の夕
方に放送していた三菱ダイヤモンドサッカーは貴重な映像で情報が得られ
る場でもありました。
ここで名だたる選手たちの活躍を目にしていましたが、日本がこうした選
手たちが躍動する場所に行くことはおろか、試合すらできない状況を長く
見ていたので、特にアジア枠が1のみというワールドカップへの出場など
は夢のまた夢で、一生見ることはできないと思っていました。
(その後、アジア枠は2になりましたが、相変わらずアジアの壁はぬりか
べの如く立ちはだかったのは言うまでもありません。)

最近の若いサッカーファンはドーハの悲劇すら知らない人も多いと思いま
すが、それより前の1986年のアジア予選では韓国との最終予選一騎打ちと
なり、韓国に敗れて出場はできませんでした。
その際に、旧国立競技場で行われたホームアンドアウエーの日本での一戦
では、伝説の木村和司のフリーキックのゴールがありました。
試合は結局負けてしまいましたが、この伝説のゴールはとにかく凄い弾道
でゴールに吸い込まれていったので、これだけは冥途の土産として大事に
しています。
その後もなかなか最終突破ができず、日本でも先行してプロ化をした韓国
に倣って、プロ化を進める動きも出てきました。

元々、日本リーグができたのも、1964年の東京五輪開催と1968年のメキシ
コ五輪での銅メダルがきっかけでした。
今でも名前が上がる釜本さんや杉山さんといった人たちの活躍があって、
第一次サッカーブームが到来し、日本リーグが開設されたのがきっかけで
した。
やはり何かきっかけがないとこうした動きは難しいですが、それも長くは
続かず、日本リーグ低迷の時代が続くことになりました。
今でもこそ、天皇杯決勝ともなれば国立競技場が満員となって当たり前の
ような感じですが、一番悲惨な時代はプロ野球のパ・リーグの川崎球場み
たいとまで言われた閑散さで、それはもう情けない時代が長く続きました。
その後、日本リーグにも外国人選手が来たり、海外から招へいされたコー
チの存在などもあって、奥寺康彦さんのようなブンデスリーガでプロ契約
した選手なども出てきました。
それだけでも、サッカーファンにとっては凄いことでした。
今とは全く違う環境で、サッカー自体の認知度は五輪競技のバレーボール
やバスケットボールよりも百段くらい下にあったかもしれません。
ただ、こうした先人たちの努力と忍耐もあって、その後のプロ化への道筋
が開かれ、それから30年でワールドカップで決勝トーナメント進出できる
くらいまで行ったのは驚き以外の何物でもありません。
辛抱を続けたサッカーファンにとっては信じられない進化ですから。

Jリーグの発足時もけっこう色々な問題があって、東京・大手町に本社にあ
る某新聞社のエライ方(〇ベツネさんとかいう人)が、プロ野球と同じシ
ステムでの運営を主張し、チーム名も企業名を入れるべきと主張していま
したが、それは達成されずに今に至っています。
これはサッカーファンにとっては当たり前の話で、欧州ではサッカーだけ
ではなく、バレーボールや陸上といった総合スポーツクラブの単位が当た
り前だし、そういう世界観が当たり前のサッカーファンからすれば、〇べ
ツネさんのいうことは世界の非常識だったからです。
また、地域に根差したという理念も日本で違和感なく定着し、今でもJ3ま
で数多くのチームが存在して、入れ替え戦ありで運営されています。
また、プロとアマチュアが条件はあるものの、天皇杯で戦うことができ、
実際にJFLや大学・高校のチームがプロを撃破することも珍しくありません
でした。
プロ野球では、間違ってもカップ戦があって、大阪桐蔭高校対阪神とかっ
て試合はあり得ませんから・・・。
そこがサッカーとの大きな違いかもしれませんし、天皇杯って意味なくね
えって人もいますけど、欧州でも各国のカップ戦には国王杯などのレギュ
レーションは多く、1部のチームが4部のアマチュアに負けてしまい、サポ
ーターからここでは出せないほどの厳しい言葉で叱責されています。
また、クラシコやライバル同士の対決も数多くあって、Jリーグでも最近は
こうした対戦もありますけど、海外では場外乱闘や流血の事態になるくら
い凄いことになります。
バルセロナFCとレアル・マドリードとか、ユナイテッドとシティーとかは
本当にファン同士の戦いからして凄いことになります。
プロ野球でも巨人・阪神戦なんていうものもありますけど、ファン同士は
おとなしいですし、マリノス・レッズ戦なんかよりもずっと安全かもしれ
ないと思うのは私だけじゃないはずです。

元々はサッカーは貧乏人・庶民のスポーツでした。
最近はメガビジネス化していますし、その勢いは欧州・南米だけから、ア
フリカやアジア、最近は北米でも勢いが増しています。
ロシアが強制的にワールドカップ参加を没収されて、大きく凹んだのもそ
れだけ国民にとって大きな関心事だからでしょう。
最近は欧州でも政治家や経営者、王室や貴族階層の人たちも公式の場でど
のチームが贔屓かを語る場面も増えています。
昔はこうしたこともなかったのですが、今ではそれだけグローバルなスポ
ーツとなったのかもしれません。
スペインでは国王・フェリペ6世はアトレチコ・マドリーのファンで、娘の
ソフィアはレアル・マドリーのファンなんだそうで、きっと王室内でクラ
シコになっているのかもしれません。

私は特に行ってみたい場所とかあんまりないんですけど、どこか行かせて
もらえるのなら、カンプノウに行ってみたいです。
カンプノウはバルセロナFCのホームスタジアムで、収容人数が10万人弱だ
そうです。
10万人弱ですよ、ある程度の小さな都市の人口と同じですよ。
東京ドームだってそんな人数入りゃしませんから。
でも、私は本当はインテリスタだったりします。
だったら、サンシーロだろって言われますけど、サンシーロでもいいんで
すけど、やっぱりカンプノウの雰囲気が好きだったりします。
でも、バルサは好きになれませんね。
あと、私にミランのステッカーとか、赤のユニフォームとか見せちゃだめ
ですからね。
私はインテリスタですから、それだけで宣戦布告になっちゃうので。
でも、レッズとかの赤は大丈夫ですよ。ミランの赤だけは許せねえ・・・。

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