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稀代の変わり者は大学教授に多かった

こんにちは南仙台の父です。
見事に鑑定を当てて気を良くする中で、6月の定例議会前のタイミング
で退陣を表明した川勝静岡県知事ですが、辞世の句まで出して悪ノリ
したとの報道が飛び交っています。
辞世の句まで出さなくても、もっと自制すれば世間のネタにはならな
かったのに、ここまで来ると計算されたあざとさまで感じさせます。
きっと時代を間違って生まれて来なかったら、あざといアイドルとし
て売れたに違いありません。
一定の制限の下で自由に発言することは許されるとしても、やってい
いこととやってはいけないことがあり、選挙で選ばれた県知事となれ
ば当たり前のこと、静岡県の知名度アップには貢献したのかもしれま
せんが、富士山よりも悪目立ちしてしまいました。
でも、某愛知県知事みたいに辞任が決まってからあいつは悪いヤツだ
とか言っているのも関心しませんけどね。
どうして本人に面と向かってお前のせいでリニア新幹線ができねえの
はクソだって言えなかったんですかね。
(元県民としてはあんたもいい加減にせいよって言いたいですが。)

今回はこの川勝知事の話題ではありません。
この方は大学教授だった方であり、そういえば自分が大学生だった頃
はこんな人はウジャウジャ居たよなっていうのを思い出しました。
大学教授って言ってみれば知識人のはずなんですが、意外に変わった
人というよりも変人・奇人という人が多かったように思います。
今回はそんな昭和の変わった人たちの想い出話をしたいと思います。

私は国立大学に通っていたので、1980年代にもちょっと赤がかった人
がかなり残っていて、僅かながらも学生闘争的な全学連ぽい人たちに
よるデモなんかもありました。
私は政治に興味もないし、遊んでばっかりの人でしたのでそういう人
とはまったく接点などありませんし、馬鹿らしくて話を聞く気にもな
りませんでした。
ある時、国立大学の授業料が上がるという話があって、それに対する
講義でもなるものが学内でありました。
そもそも、授業料が上がるのはこれから入ってくる人たちに対してで
あって、その時点で通っている学生には適用されません。
仮に留年しても同じ授業料なので、在籍する学生には何の関係もない
話です。(ちょっと冷たい言い方ですけどね。)
講義の間もマイクを使って演説してましたが、講義室の一番後ろの方
で寝ている私にとってすら迷惑なくらいの音量でした。
この令和の時代だったら間違いなく近所のジジババから苦情が入るレ
ベルの音量で「授業料値上げ粉砕!」とか叫んでいました。
ちょうど毎年のように国立大学の授業料が上がっていたタイミングだ
ったこともあって、客観的には可哀そうな感じもしなくはありません
けど、私と3年上の先輩たちでは授業料が倍くらい違う状態だったの
で、元々が世間のレートからズレていただけなのかもしれません。
うるさい中で講義をしていた某教授が講義を止めて話出しました。
「君たちはよく平然として講義なんか聞いていられるね! 彼らのよう
に熱く社会や政治と闘うという意志はないのかね・・・。 本当に嘆か
わしいとしか言いようがない・・・。」と大きな声で言いました。
講義を受けている全員にそんな言葉は響きません。
だって、とりあえず出席してるだけだったり、早めに終わってバイト
に行かなきゃって考えている学生が99.999%の状態です。
しかも、学生運動が華々しく行われていた1970年代ならともかく、ベ
トナム戦争もとっくに終わり、ベルリンの壁ももうすぐ崩壊するって
時代にそんな話されても響くはずもありません。
というよりも、まさか俺たちにあそこのくだらないデモに加われと言
ってるんですか・・・。
「君たちの中で良心がある者があればあの輪に加わるべきではないの
か! 君たちは闘う闘争心というものがないのか!」
えっ、大学の教授って体制側の人なんじゃないのか・・・。
しかも国から給料もらって雇用されているのに、国の方針に逆らって
そんなこと言っても大丈夫なの・・・。
講義室にいた全員がそう思っていたことは間違いなく、私のような遊
び人から金時計を狙って勉学に励む学生まで同じ感情だったのはこの
時だけだったように思いました。
この教授は本来やっちゃダメなのに、その後も講義はせずに社会と闘
争する重要性を1時間程度に渡って力説していました。
でも残念なことに誰も賛同せず、教授は寂しそうに講義室を去ってい
ったのでした。
きっと、選挙への無関心や政治への興味のなさはこの頃からの伝統芸
だったのかもしれません。

他にも色々な怪しい教授陣が揃った大学だったので、ここでは紹介し
きれませんが、毎年3名だけしか単位を与えないという助教授(当時
はそういう言い方でした。)が居ました。
もちろん、大学側からは是正の指導勧告も出ていて、かなりヤバい立
場にあるというのも学生たちは知っていました。
私の在籍する学科ではこの講義は選択科目だったので良かったのです
が、単位がぎりぎりだったりすると選択せざるを得ないこともあるの
で、毎年最初の講義と最終の講義+試験の人数の差が大きいというこ
とでも有名な講義でしたが、私の時は同じ学科のほぼ全員が興味本位
で最初に講義には出席していました。
最初に助教授から説明があり、3名しか単位は出さないので興味がな
い者や単位に余裕がある者、成績を悪くしたくない者がこの講義を受
けないよう話がありました。
そう、単位をもらえたとしても、ぎりぎりの成績しかもらえないとい
う、それはそれは過酷な講義でした。
その時は昔だったので、「優・良・可」で成績がつくので、優を集め
るコレクターはこの講義を受ける意味がありません。
かなり特殊な講義内容なので、受けなくても社会でそれほど問題にな
ることもないので、興味も湧かず単位に余裕がある者はみんなここで
は受講の対象外となります。
私も多少の余裕はあったので、面倒になったのでこの講義は最初の講
義以外は出ませんでした。
しかもこの助教授は頻繁に休講が出るといういわくつきの方だったの
で、所定の2/3程度しか講義はなかったようでした。
怖いもの見たさで受講していた学生も結局はこの講義に何の意味があ
るのかわからず、教科書を見れば講義を聞かなくても理解できる、む
しろ講義を聞くとかえってわからなくなるということで、最後まで我
慢することはできなかったそうです。
そう、最後まで我慢して頑張った奴だけがご褒美として「可」の単位
がもらえるというシステムだったわけです。
まだ昭和の時代だったからこんなのも許されたんでしょうけど、この
時代では考えられない話だと思います。

他にも強烈な教授陣に囲まれた4年間を過ごしましたが、そういった経
験をしてしまうと多少の変わったレベルでは動じることもありません
でしたから、大学で得たものとはこうした奇人変人と関わったことで世
の中の諸行無常の境地を理解できたことなのかもしれません。
でも、閉じた大学の世界の中ならまあいいのでしょうが、こういう人が
政治家になっちゃダメだと思うんですけどね。
選挙の投票の際には候補者の肩書や経歴に「大学教授」ってあったら注
意した方がいいかもしれませんよ。

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