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先が見えるつまらなさ

こんにちは南仙台の父です。
今回は先が見えるつまらなさという話題です。
私は一切見たり読んだりしませんけど、テレビドラマや映画だったり小
説だったり、こうしたものが最終的な結論や結果が先にわかっていたら
あまり興味が湧かないと思います。
先がわからないから面白かったり、その過程を楽しんだりできるから人
の人生って面白いところがあると思います。
中にはギャンブルとかの結果がわかればどんなに楽しいかというような
人も居ますけど、本当にそうなんでしょうか・・・。
当たれば楽しいかもしれませんけど、自分が望んでいない結果になった
りしたら、結果がわかっていたらこんなつまらないものってないと思う
んですけどね。
やっぱり、当たるか当たらないのかってドキドキするから楽しいわけで
、射幸心を煽られないギャンブルくらい面白くないものはないです。
だから、私は一切ギャンブルはやらないようにしてます。
そもそも、確率論的にいえば期待値が賭け金を上回ることは絶対になく
、もしもそんなことが起きたら行政によって摘発されちゃうからです。
人生の中でこの先の結果が視えたらどんなに楽かって思う人も多いです
けど、楽しい事ならともかく病気だったり死だったりしたらどうでしょ
うか・・・。
こういったものはできれば知らないにこしたことがありません。
今回はこうした先がわかることで本当につまらないことはないという話
です。

ご縁や運勢的な面から人生での出会いや出来事があることは間違いない
のでしょうが、それが先にわかっていたらどうなんでしょうか。
中には知りたいと思う人もあるかもしれませんけど、そんなことが現実
にあったら本当につまらないかもしれません。
私も何度かそういう体験をしましたけど、先がわかってしまうと何つま
らない感覚にもなりますし、テンションが上がらないというか本当につ
まらない感じがあります。
今までも、自分が行くであろう学校だったり、転職先だったり、住む場
所であったり、様々なものが先に視えることで何かつまらない感じがし
てしまったことがあります。
ただ、どうしてそこに辿り着くことになるのか、どういう経緯でそうい
う結果が生じるのかといったところは楽しみではありますが、結果これ
かよって感じは変わらないのも事実です。
高校進学の時ですけど、本当にそうなるのかも視たくて試してみたこと
もありますけど、私の入試時代はまだ学校群制度というのが残っていて
、公立の高校だと学校群全体として合格者を決めて、その後に学校ごと
に振り分けるという形でした。
受かるかどうかだけでなく、どちらに振り分けられるかの二つの選択肢
がある中で、見事に自分がここに行くんだろうなと思った高校に見事に
振り向けられてしまいました。
まあ、別の学校・学校群を選択すりゃ良かったんしょうが、どれくらい
当たるんだろうという方が先に立ったのでこういう結果になったのかも
しれません。

今までの人生を振り返ってもそういうことは多々あって、一番きつかっ
たのは恋愛だったかもしれません・・・。
私は恋愛に恵まれるような環境でもなく、モテるような感じでもなく、
そんなご縁をまったく感じない状態で生きてきたので、そういうドキ
ドキ感はまったく体験したことがありませんでした。
結婚するときもそうでしたが、ご縁を感じない人に対しては何の感情も
いだくことができず、結果が視えちゃっていることに対する罪悪感ばか
りがそこにあった感じです。
そりゃ飽きるほどの合コンやったりもしましたが、ご縁を感じさせるも
のなんてまったく感じたことがないので、その場限りで終わっちゃうと
いうのも何とも味気ない感じがありました。
恋愛するのが当たり前みたいな感じで周りが考えていても、何のご縁も
感じない人と付き合ったところで何も生じませんし、つまんないだけで
付き合おうとも感じません。
もちろん、無理をして付き合って、何か悪いことが起きることもありま
せんけど、気持ちも入りませんし何も感じないので何ともなりません。
こういうのを考えると先が視えるくらいつまらないものはないのではな
いかと思います。

人だけでなく、モノに対しても同じであって、ご縁を感じるモノとは必
ず巡り会えるというのもあります。
ご縁を感じるものとは相性もかなり強い感じがありますから、お互いに
引き合う形でエネルギーが向かっていきます。
もちろん、それが高価なものとは限らないので、周囲から見れば何の価
値があるのかわからないようなモノもあったりはします。
お金や仕事もそうだったりするので、一攫千金みたいなものとは全く縁
を感じませんし、仕事でもご縁のないお客様とは仕事もできませんし、
一度ご縁ができると自分の立ち位置が変わるまではそのご縁が続くこと
になります。
ご縁もその時の状況や自分の成長によっても変わっていくので、今まで
のご縁と離れてしまうこともあります。
ただ、その分だけ別のもっと高いご縁に出会うことにもなります。
やっぱりご縁があるもので、良いご縁と感じるものは大事にしておくと
その後も更に良いご縁に恵まれるみたいです。
(当然、悪いご縁は断ち切って、二度と巡り会わないようにすることも
大事になりますけど・・・。)

自分の母親も私と同じような感覚があったみたいで、自分が亡くなるの
を察知してからそのための準備をやっていたようで、たぶん私も自分の
死がわかったら同じように所謂「終活」を始めるかもしれません。
自分の先が視えるとしても、一番知りたくないのは自分の死なんだろう
なとは思いますが、まあわかっていれば逆算してやるべき事をやってお
けば良いし、後々残った人たちが困らないように準備だけしておけばい
いわけで、まあそれも悪くはないかなと思います。
ただ、イヤなのは自分の死が苦しむような死であった場合かもしれませ
ん。
自分が苦しみ抜く姿が事前にわかっていたら、それはそれで結構テンシ
ョンが下がるんだろうなと思います。
余計な心配かもしれませんが・・・。

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