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変形性膝関節症で骨切り術。ドタバタ闘病記録を公開します。

これから骨切り術を行う予定の方おられますでしょうか?

怖いからなんの知識のなく初見でいくわ、という方(過去のワタシ)
最初に言っておくと
大丈夫です、3ヶ月後には日常生活がもどってきます。
しゃがめるし、ポキポキ音がするのを恐れずに歩けるようになる。

この記事は手術は骨切り術での入院生活をもりだくさんに綴っています。

そもそも変形性膝関節症とはなんぞやというと
膝の軟骨がすり減ってしまう病気で、軟骨は骨と骨の間のクッション的役割をしているものだから、それが減ってしまうと曲げる時に痛みを感じるんですね(当事者)

今年の春先に感じた膝の違和感。
ワタシは昔、膝の半月板を損傷していて、そのせいかと思って整形外科に行ってみたら
変形性膝関節症・・・・・という診断だった。
ショックで頭真っ白状態で聞いた先生の説明が痛みを和らげる対処療法か、骨切り術しかないという話であまりの恐怖にワタシ、この病気のことを調べるのをずっとずっと後回しにしていました。

べちくん(次男7歳)だってまだ小さいのに、ワタシこれから一緒にスポーツしたりキャンプ行ったりできないのかしら?
ていうか車イスになっちゃうのかしら。
なんとか対処療法でいけないものかと、膝にヒアルロン酸を5回も打ったんですけどね。
先生もよくなったでしょう?って言うんですけどね。
ダメでしたね。
正座はむろんのこと、しゃがめないし走れないし痛いし。
あきらめの悪いワタシもようやくひざ専門の医療機関で診てもらうことにしたのが猛暑の8月
レントゲンを見たお医者さまは一言
ああーこりゃあ、骨切り術ですね。将来を考えても
・・・・・・・
お仕事は一ヶ月おやすみできそう?
ハイ
まだお若いから治りも早いと思いますよ。
2週間入院してもらって
!?
2、2週間はちょっと・・・・
お、夫が単身赴任なんですう
子どもがまだ小さいんですう
ワタシのあまりの狼狽ぶりに同情したのであろう先生(チャウチャウに似ている素敵な先生でした、以下チャウチャウ先生とお呼びします)は
あー、いやあ、そうね、まだお若いしおやせになっているから
1週間くらいで退院できると思いますよ
と言ってくださったのだが、今思うとこれはとっても異例なことだったらしい。

とにかくバタバタと決めた手術日が夏休みの最後の週だったのだけど、その日は前から家族旅行の予定が入っていて、もうお金も払っていまして、泣く泣くワタシの分だけキャンセルして、パパとににくんとべちくんで行ってもらうことになりました。
いざ旅行に出発という子どもたちに、
ママはこれから入院で1週間会えないけど、楽しんできてね
と行ったら、べちくんに泣かれてしまった。
あれ?手術で入院って結構前から説明していた気がするのですが?
どうもあんまり理解していなかったらしく切ない。
しかもみんなが出掛けたあとに、金曜ロードショーでやっていた映画が
となりのトトロで号泣してしまった。タイムリーすぎるだろう。

入院は手術の前日から。
麻酔医の先生から説明を聞く。
万が一のこともありますという説明書きを読んで恐怖に震える。
麻酔から目覚めなくてそのまま終わり、みたいなのが一番恐ろしかったワタシは、なんとか意識を保っていたくて
麻酔って局所麻酔にできないですかね?
・・・・いや、骨切りますから全身ですね(それはそうだろう)

看護士さんに大部屋に案内してもらう。
そして今後の計画書みたいなものを見せられたのだけど、なぜか2週間入院予定になっており
あの先生は1週間で退院できるって言われたんですけど。
と聞いたら心底驚かれた。
え?
院内で1、2を争う痛い手術ですよ。
みなさん2週間入院されます。
1週間なんて聞いたことないですよ?
なんですって(おのれチャウチャウ先生め、謀ったか)
なんてことはなく、本当に8日で退院させてもらったのですが
おそらく院内記録の最速でした。

ワタシという人間は本当にビビりで、手術についてあらかじめ調べることができず(想像すると恐怖に耐えられない)
もうこの膝がなおるならなんでもいいから、お願いします神様仏様権現様という感じで本当に手術に対する予備知識がなかった。
骨切り術を予定している方に先に言っておきますと、できるならきっちり2週間入院していた方がいいです。
ワタシの場合はパパにリモートワークに切り替えてもらったのですが、それも1週間くらいが精一杯で、なおかつ子どもたちのケアとメンタルを考えての早期退院だったわけでやはり回復には2週間いると後日実感しました。

大部屋にはおふたり手術済みの先輩がいて、一人は人工関節を入れた美容師のマダムで、もう一人はバレーボールで半月板損傷の手術をしたマダム。
あとでネタにされるくらい
ドキドキしていたワタシを励ましてくださいました。

手術当日。朝ごはん抜き。
早朝にシャワーを浴びて、手術用の作務衣みたいなのを着る。
術後は便秘になりやすいから、下剤を飲みますかと看護士さんに勧められたけど、痛いのが嫌いなワタシは却下し、後日便秘に苦しむことになる。
点滴をつけられます。キャスターをガラガラ押して手術室へ。
麻酔科医の先生から短い、簡単な手術ですから大丈夫ですよとにこやかな励ましを受ける。
美容師マダムに手術台はポカポカで気持ちいいとの情報をもらっていたので横になってみると、おおこれは温かい。
過去に3度手術で麻酔を受けたことがあるワタシだがこれはダントツで気持ちいい。
3度もあるのにこんなにビビるのかという感じだけれど
昔はもういつ死んでもいいくらいやさぐれていて自分を大事にしていなかったから怖くなかったが、今はもう失くしたくないものがある。
愛するパパと、かわいい2人の子どもたちを残しては死ねない。
絶対に死ねない。しかし気持ちいい。
はい、麻酔いれますよーの言葉を聞いたところまでは覚えているのだけれど、そこから一瞬のうちにワタシは眠ったらしい。

モモムギさん、終わりましたよ

肩を叩かれて目が覚めて
初めに目に入ったのはこちらをのぞきこむパパの顔だった。

先生の説明聞いてきたよ、みたいなことを言っているが夢うつつなワタシは
説明されても頭に入ってこない。

そして寒い。体がガタガタ震えるくらい寒い。手術室は低温に保たれているらしく台のポカポカと毛布ぐるぐる巻きをもってしても寒い。

じゃあもう帰ってもいい?というパパに
ありがとうと返事をし、しばし待機した後ベットごとガラガラ運ばれてワタシは大部屋にもどってきた。

第1日目である。

両足首にはエコノミークラス症候群にならないよう、血の循環を促すための装置がとりつけられていて一定時間でウイーンという音とともに稼働している。

お小水の管もとりつけられているのでトイレの心配もなく、なにより眠くてこの一日は寝たり起きたりを繰り返すことになった。

肝心の手術した左膝はというとあまり感覚がない。動かそうとすると痛いけれどそれよりも眠さが勝つ。

むくまないように足首を動かしていてくださいね、と結構頻繁にアドバイスを受けていたので、がんばって動かそうとしたけれど、いかんせん眠い。

初日にこの痛みなら後はどんどんよくなっていくはずだから、まあ大丈夫かと踏んだワタシは甘かった。

知らなかったけれど、術後は麻薬と同等の効果と言われる強い痛み止めが点滴から入れられており、それによって痛みをあまり感じないらしい。

その証拠にその痛み止めが切れた2日目の痛みときたら、ごはんを食べるために看護士さんにベットの角度をあげてもらったのに、食べ終わる前にナースコールで呼び戻し、平坦にしてもらったくらいの激痛。

そして熱がでてなんか暑い。しかし暑いよりも痛い。

だるいのに眠れない、なぜなら激痛で寝返りが打てないから!
体をギリギリの角度で横にし、かろうじて眠れる体制をとるけれど1時間くらいで目が覚める。

辛い。

さすが院内一痛いと唱われる手術よ。
ワタシは本当に1週間で帰れるのだろうかと不安になる。

そんな中もう翌日からリハビリが始まる。
一回目だけはベットから動けず理学療法士さんに部屋まできてもらい膝のまわりをマッサージしてもらった。

リハビリの後は保冷剤で膝を冷やす。入院中ずっとこの繰り返し。

術後3日くらいは生ける屍のようにただ寝ていることしかできなかった。
3日目くらいからお小水の管やら点滴がどんどん外れてくる。もうどんどん自分でトイレにも行って、ごはんも食べてくださいという感じである。
シャワーも浴びていいですよと言われていたけれど、だるくてだるくてあきらめた。

なんとか人間らしくなったのは4日目くらいだったと思う。

移動は最初車イスなのだけれど、うまく運転できるのに1日を要した。そしてブンブンと乗り回せるようになったころに松葉杖に切り替わるという、入院中に2つも技術を習得できる仕組みだ。

この2つを駆使してリハビリテーションに行ったりトイレに行ったりコインランドリーに行ったりシャワー室に行ったりの繰り返し。

術後2日目くらいにチャウチャウ先生が傷を消毒に来てくれたので初めて手術跡を見ることになったのだけど

ぐるぐるに巻かれた包帯をとってみると、ぴっちりした半透明のテープの下にガーゼがあてられていて血がにじんでいた。

この透明シートがすぐれもので、水を一切通さないのでシャワーが浴びれる。

膝の内側に10センチくらいの手術跡が見てとれて、その周りはどす黒いあざになっているのだが、このあざは時がたつにつれて下へ移動し、かかとまで移動したあと皮膚に吸収されて消えてくれるそうでひとまず安心。

消毒してもらいながら手術の説明でレントゲンを見せてもらったら、予期せぬものが写っていて

骨に沿うようにプレートと呼ばれる金属版が埋め込まれていた。

1年後にはこのプレートをはずしてという先生の説明にワタシは思わず

はずすっていうのは、また麻酔して傷口を開けて入院するのですか!?

オーマイグドネス。

いや、簡単な手術で1日しか入院しないし歩いて帰れるからと総出でなぐさめられた。というわけで今ワタシの足にはプレートがはめこまれている。

リハビリは1日2回。理学療法士さんが代わる代わる膝の周りをマッサージしてほぐしてくれるのだけど、その後で膝曲げてみてくださいと言われる。

一番初めの時は曲げようとしたら一ミリも動かなくてびっくりした。

モモムギさん全然動いてないですよ(笑)

おかしい。
死ぬ気でぐっと曲げた角度は160度という感じだろうか。
これを毎回計って記録していくんですけど

ワタシを担当してくださった理学療法士さんはかわいい女の子だったのだがそのお顔に似合わぬドSっぷりで

まだまだいける!まだまだいけますよモモムギさん!

と毎回ヘタレなワタシをスパルタ指導してくれた結果、曲げる角度を急激に伸ばすことができた。

1週間で退院したいというワタシの気持ちを汲んでみなさん配慮してくださったらしい。ありがたいかぎりである。

入院中ににくんとべちくんが2回遊びに来てくれたのだけど
2回ともににくんはズボンを前後ろ逆にはいているし、べちくんの服は食べこぼしがしみになっているしで、これは早く戻らなければいけないと思う。

パパはににくんが生まれた時からずっと単身赴任の週末パパで、
子供の学校の準備(水筒にお茶をいれるとか連絡帳をチェックするとか)まったくやったことがない。

だからただ子供を飢えさせさえしなければいいという心構えで来たはずだけどあんなん見てしまうとやはりね。

というわけでワタシの早期退院計画のためリハビリプログラムは巻きで行われた。
そんな入院生活の中で一番印象に残っているのはシャワーである。もう3日目からシャワーをしてもいいですよと言われていたのだけど、ワタシは4日目くらいでようやくシャワーを浴びようという気力がわいた。

心配だったら呼んでくださいお手伝いしますと看護士さんに言われたけれど、なんとかなるだろうと一人でお風呂セットを持って車イスでシャワー室に向かったのだけど

これが本当に難しかった!

この手術は1週間は手術した方の足に体重をかけてはいけない。
脱衣場の椅子に腰かけて思ったことは、はてこれからどうやってシャワー室の椅子に乗り移る(文字通り乗り移るという感じ)のかということ。

だって車椅子でシャワー室にのりこむわけにいかないではないですか

右足を軸にして手すりに捕まってじわじわ椅子までにじりよる姿はもはやなんのアクロバットかイカゲームか。

え?みんな本当にこんなことしてシャワー浴びてるの?

なんかもっと違うやり方があるのか?

しかし同室の運動神経抜群のバレーボールマダムを持ってしてもこのシャワー室は怖いと言っていたので、そこだけ改善願えたらと切に思う(その他はとても良い病院でした)

さてようやく1週間が過ぎ、手術した方の足に半分だけ体重をかけていい日が来た。
半分だけというのは体重の半分ということで、その時のワタシの体重は40キロだったからその半分の20キロ分ということ。

20キロ分なんてどのくらいかわからないが、リハビリテーションに体重計が用意してありそこに片足をのせてみて大体このくらいが20キロですよという感覚をつかむのである。

この手術を受ける際にチャウチャウ先生に再三ほめられたのが

モモムギさんはおやせになっているから、だった。

ワタシは虚弱よりのヘタレで胃腸も弱くあまり食べられないからやせているのだけれど、膝の名医からすればそんなことより膝に負担がかからぬようやせていることが一番のポイントらしい。

若いころはわりとふくふくしてまるかったのに、27すぎたころから急激にやせたワタシは、どうせなら若くて美しい時にはかなげでかよわい感じがよかったのにと損した気分だったのだけど、よもやこんな時に役立とうとは人生何があるかわからない。

手術予定の方はダイエットしてから臨まれるといいかもしれません。夏がおすすめです。夏に痛い時期を乗り越えて、年を越すころにあの時は痛かったけど、無事新年を迎えれるねというそんな流れでいくといいかと。

8日目、抜糸をしてもらい晴れて退院となる。
1週間とちょっとだったのに完全にホームシックになっていたワタシは
パパに連れられて帰ってきた。
待望の我が屋へ。
しかし、到着した時点で疲労困憊している。
本来あと1週間は病院にいなくてはならなかったのだから当然といえば当然で、
明日からパパも赴任先に戻ってしまうことから不安しかない。

翌朝よろよろと起き出し
子供たちにレトルトの食事をだし、学校に送り出したワタシはちょっとした絶望を味わった。

机には1週間分の学校からのプリントがドサリ。
家中に散らかった無数のアレコレ。
極めつけはパパが気を利かせてトイレ掃除をしてくれていたのだけど、トイレの床にしいていたジョイントマットをばらして掃除したらしく、そのマット床に合わせてカットしたものだから組み立てるのが難しくてですね、結局組み立てれなかった残骸が残っているという・・・・・


そんなもの見ないふりをしてどーんと休んでいればいいのに
片付いていないと休めないという非常にめんどくさい性格の繊細さんなワタシに、片付けないという選択肢はなくふらふらと片付けを始めたのだが

これがもう、こんなに大変だったことはないというくらいの苦行だった。松葉杖で帰ってきたワタシは実質両手が使えない。

そんなことわかっていたはずなのに、それがなにを意味するかということまで頭が回らず、なんとかなるだろうと思って帰ってきたワタシの浅はかを笑うしかない。

手が使えないっていうことは移動することしかできないわけで、冷蔵庫の中のものを出すとか、おかずをレンジまで持っていってチンするとか、食べた食器を流しに運ぶとかそういうことが何もできないということだ。

それでこの荒れ散らかった家をどう片付けるというのか。
ワタシがとった苦肉の策は腰にポーチをつけてそこに落ちているものを片っ端から入れて運ぶというもの。しゃがむのも痛いから杖の先にひっかけたりしてどうにかたぐりよせる。

約3週間は松葉杖だったのだけど、後半は杖で引戸を閉めたりできるようになり、もうワタシと松葉は一心同体みたいな感じまでのぼりつめた感あり。
もちろんににくんとべちくん杖を銃にして遊びました(そうなるよね)

家事の合間に衰えた筋肉の回復とむくみを解消するための運動をする。
ちょっと家事をすると足首はパンパンに腫れてしまう。
週に2回は通院してリハビリも受ける。

そのころの記憶はあまりなく、ただずるずると起き出して、子供を送って家事をして運動して夜はもう6時くらいに眠くなり、夜中には痛みで目が覚める。
足をアイスノンで冷やしたり食後痛み止めを飲んだり学校に連絡したり、顔も髪もボロボロで自分冴えないなと気も沈んだ。

やる気が出てきたのは一ヶ月後くらいでしょうか。まだ階段の登り降りは痛いし、歩き出しはぎくしゃくしてしまうけど、やれることが増えて単純に嬉しかった。

気がつけば3ヶ月が経過し、ワタシはあの日々をもう忘れつつある。

お世話になったチャウチャウ先生、看護士のみなさんありがとう。
入院中励ましてくれたお二人のマダム、ありがとう。
慣れない家事と育児を一手に担ってくれたパパ、ありがとう。
たくさんお手伝いしてくれた子供たちよありがとう。
なにかと気にかけてくれたお父さんお母さん、お兄ちゃんありがとう。

そしてこれまでがんばってくれたワタシの左膝の軟骨よありがとう。
これからは膝を大切にします。

これから手術を受ける方にこの記事がお役に立てばとても嬉しい。
そして手術の予定がない方も読みものとしてお楽しみいただければとても嬉しい。

2023年12月も後半、無事来年が迎えられそうなことに感謝しつつ(完)

















































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