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わたしを子育て

「きみは、ここから自我を育てなおすんだよ。」

そう医者に言われたのは、私が25歳の時である。
びっくりした、まさか仕事で限界を感じて駆け込んだはずの病院で、働き方ではなく母娘関係を指摘されたあげく、私はわたしを育てなおさねばならなくなったのだ。

簡単に言うと私の母は最近はやりの毒親といわれる種類のものだったらしい。幼稚園時代からを知っている友人から「やっぱりね、あんたの家なんかおかしかったもん。」と言われたときはびっくりした。知らないよ、私はこの家でしか育ったことがないもん、世の中のお母さんってこんなもんじゃないの?ていうかそんなこと思ってたの?と酒を飲みながら思ったものである。どうも二人暮らしが長すぎて、お互いの境界が曖昧になっていたらしい。私のこれまでの生き方、選択の裏側にはこっそりと母の存在があり、意識せずともなんとなく母が認める答えを出し続けてここまで来たようだ。おどろくことばかりである。

そこからはまあまあ必死だった。まあまあとつくのは正直あんまり記憶がないから。ただ、とにかく私はまだ赤ちゃんのようなわたしに何がしたいのかを常に問いかけ続けた。ちょっとでもわたしがやってみたいと言った事には全力で時間もお金もかけることにした。

簡単なところからだと一日に映画館で3本映画を見たり、時間とお金がかかるところだと中型バイクの免許を取りに行ったりetc…。
転機となったのは27歳の夏ごろ、今思うと本当にしょうもない事が原因だったが、ある日突然わたしには何もない!、もう何もしたくない!とわたしが暴れ倒し全く食事がとれなくなった。

ここまで育ててきたわたしが突然のイヤイヤ期である。まあちょうど育てなおし始めて2年だし、発達段階としては順調だったのかもしれないけど。
わたしは毎日ご飯を食べたくないと泣き、仕事に行きたくないと泣き、それまで趣味として楽しんでいたものもすべて拒否。
ほとほと困り果てた私はなにがこんなにイヤイヤ期なのか考えた。たぶん私の人生の中の大きな出来事で、私が選択しなかった積み残しが何かあるんだろう。
そういえば大学に進学したきっかけは母だったなと思った。もともとはスポーツや医療に関わる仕事をしたくて、専門学校のオープンキャンパスや説明会に行ったり資料を取り寄せたりしていたのだ。進路変更をして通った大学生活は友人にも恵まれ楽しい日々だったから、それはそれで悪くはなかったけど。

「じゃあ、専門学校に通いなおすか。」

決断はけっこうあっさりとしていて、やると決めたらそこからは早かった。
なにより暴れていたわたしがその決定をうけてか大変おとなしくなったのである。やっとご飯を食べられるようになって頭の回転が速くなり、身体も動くようになった私の行動はそれはそれは早かった。
その年の7月に進学を決め、10月には進学先の合格をもらい、翌年の4月にはめでたく専門学生として再スタートを切ったのだった。

そこからのわたしの成長はすごかった。3年間(3年制の学校だった)で私が積み残していた経験を片っ端から実績解除していったことで、わたしはみるみる育っていった。勉強が全然好きではなかったことから卒業が危ぶまれ、3年生の冬には齢30歳とは思えないくらい毎日泣いて暮らしたがなんとか卒業&国家試験一発合格。資格を片手にみごと再就職を果たした。

こうしてわたしはすくすくと元気に育ち、また国家資格という武器も手に入れたことでそれはまあ大きく強くなったと思う。少々強くなりすぎたかもしれない。プライドの高さはそろそろスカイツリーを超えそうな気がしている。育て方間違ったかな。まあいい、元気ならそれで。
これまでの積み残しを解消し、ここからは新しく積み上げていかなければならないが、今の私とわたしならなんとかなるだろう。

育てなおし期間は約5年。この間に私はたくさん選んできた。自分のことは自分で決められる自信もついた。わたしは大きく成長した。きっと、もう大丈夫。私と背を並べたわたしがこれから何を選んでいくのか、これからをとても楽しみにしている。

#あの選択をしたから #振り返りnote

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