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私のウェルビーイング(持続的ないい感じという幸せ)④ ~ 「不便益」の考え方で生活が楽しくなる    

「ウェルビーイング」と言う概念・言葉を最近知りました。
 WHO(世界保健機関)憲章の前文に出てくる言葉です。

「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態であること」とされています。

 宝くじに当たった!行きたかった〇〇へ、旅行した!出世した!というのは瞬間的な幸せになります。言葉にすれば「ハッピー」
 
 ウェルビーイングは、どちらかというと「持続する幸せ」と言えるかもしれません。ハッピーと言う瞬間的、短時間に得られるものとはちがい、「体も心も元気で、社会との関係も良い状態、それが続いている状態」と言い換えられます。
 
 「幸せになりたい」という時、今までは漠然としたイメージしかありませんでした。
 そして、CMやSNSなど、外から入ってくる情報から、何となく流行っているものを手に入れたり、その場の刹那的な楽しさを求めていたりしました。その時は強烈な喜びも感じましたが、すぐに、「何か足りない」「もっと他にはないか」「次の幸せを・・」という感じで、「もっと、もっと」と際限がありませんでした。

 いつしか、「不足感」「心の空虚さ」だけが大きくなっていく感じでした。

 そう、「ハッピー」なことばかりで人生を埋め尽くすのは難しいです。
 そのかわり、強烈な喜びはないかもしれませんが、「なんとなくいい」「気持ちが軽い」「満たされている、感謝の気持ちがあふれてくる」状態なら自分の見方や考え方をかえたり、生活の工夫改善をしたりすれば、お金や周りの人間関係に左右されずに、感じることもできます。
 そんな、ウェルビーイング(持続的な幸せ)を高めていく考え方や工夫を紹介したいと思います。
 よかったら、お付き合いください。 


 実際にあるものです。

・高齢者施設内の階段や坂がある「バリアフリー」。
 介護士はぎりぎりまで手を貸さないことで、お年寄りの身体能力の低下を防ぐことにつながっている。

・島や大きな川の対岸にある船でしか行けない旅館。
 すんなりたどり着けなく不自由ですが、日常空間とは隔離された場所ならではのわくわく感がある。

・ピーチ・アビエーション(航空会社)の「旅くじ」。通称「旅ガチャ」。
 1回5000円で、ハズレなし。ただし、旅の行先は選べない。
 それでも、どんな場所に行くことになるのか、とてもワクワクします。

・「セル生産方式」。
 一人または少人数の作業者チームが、部品や工具をU字型などに配置したセルとよばれるラインで、製品の組み立て工程を完成させるまでを受け持つ生産方式。
 従来の生産ラインとは違い、作業員一人が受け持つ範囲が広くなり、組み立てるのは大変ですが、技術力を磨け、モチベーションを上げる効果もあります。
 
 これらの事例は、

不便さがもたらす益~不便益

に当てはまります。

不便益とは、人工知能研究者の片井修教授が言い始めた言葉。その後を引き継いで、川上浩司さん(京都先端科学大学教授)が研究しています。

 おもしろいのは、「不便益」は、一見すると仏教用語のような造語ですが、究極の便利さを追求する人工知能や工学分野(の先生)から出てきた、「理系」の言葉ということです。
 別の言い方をすると「前向きな不便さを追究する」という感じでしょうか。
 実際、川上先生やその学生さんたちは、次のような不便益を考え、発明、実践しているそうです。

・素数のものさし

 メモリは「2,3,5,7・・・」と素数のみ記載。1cmを測るには、引き算が必要で、素数の組み合わせをパズルのように楽しめる。

・一度通った道がだんだんとかすれていくナビ

 同じところを3回通ったら、地図は真っ白(道が消える)そうです。
 実際に、実証実験(普通のナビとかすれるナビのグループに分かれ、同じルートで京都を観光する)を行ったそうです。
観光した場所風景の写真とそれ以外の写真を見せて、その風景を見たかどうかを尋ねていくと、かすれるナビを使ったグループの方が、正解率が高かったそうです。
「このナビはかすれていくから、ちゃんと覚えよう」という深層心理が働いたからかもしれません。

・京都市左京区を左折しながら歩く、という街歩きツアー

 路地が碁盤の目状になっていて、行く先々に興味深いものがたくさんある京都ならではの楽しみ方ともいえます。

・自分で握る回転ずし

 ネタだけが回って来て、寿司を握るのは自分。自分おオリジナル握りずしを作れるかもしれませんし、子供の誕生日などに、握ってあげるイベントができるかもしれません。
 
 
川上先生は
「便利さを否定しませんし、懐古主義でもありません。」
「目的に向かって、まっしぐらに、効率よく突き進むのが好きな人には楽しめないかもしれません」


とも言っています。
「あなたは自由です、と言われて、『何もしなくていいんだ』と感じる人はと、『何をやってもいいんだ』」と感じる人の2通りがいるとしたら、明らかに後者の方が不便益との相性がいい」 
 
 不便さだけを感じてネガティブな思いにとらわれるくらいなら、益があると思って見方を変えると前向きな気持ちになれますし、生活を楽しめるのかもしれません。
 
 便利なものはありがたいことですが、それに慣れてくると、だんだんと自分の頭で考えなくなっていきます。

不便だからこそ、頭を使い、手間をかけられ、そこに主体性が生まれます。
 

 コロナ禍の中で「一人一台端末」が実現されました。
 子供たちは当たり前のように、タブレットを使っています。私より、使いこなしています。それは、それで大切で必要なことだと思いますが、使い方を間違えると、逆に「学習の質」を下げてしまうのではないか、特に小学校段階では・・・と感じています。

 例えば、「定規を使って直線を引くこと」「コンパスで円を描くこと」。
 学習し始めの1年生、3年生?では、なかなか大変な作業になりますが、タブレットの機能を使えば、あっという間に、簡単に綺麗な線を引けますし、円も描けます。

 しかし、これで学習したことになるでしょうか?

 指先、手先を始め、身体を使って何度も繰り返して、ようやく身に付ける技術があります。また、そうやって一つ一つ時間をかけて技術を身に付けることで、具体的でリアルな線や円を感覚として理解していけます。

 学習が「頭の中」だけで完結すると、学習の質自体が下がります。

学習は、本来、具体的でアナログなものが基本、土台にあって、その上にはじめて抽象的な世界や想像の世界などの「頭」の学習に結びつくからです。

  効率は悪いかもしれませんが、実際にやってみたり、五感や身体をフルに動かしたりすることで、学習の豊かさや複雑さを学べます。
 それが学習の質の高さにつながるのではないかと思います。
 これも「不便益」の一つではないかと思い至りました。
 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。

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