1月17日によせて(非日常を苦しんでいる方を支援する)

2013年1月16日に書いたものを元にして、少し改変しました。最後に印刷用(裏表印刷をすれば1枚におさまる)のPDFファイルも置きます。

 今日は、1月17日、1995年の阪神淡路大震災から18年目になります。スタッフさんへの研修の前ぶりにしようかとも思いましたが、今日の研修の話題「診断名」などとは少し外れるかも、と思いましたので、ニュースレターにさせて頂きます。
 2011年3月11日の東日本大震災の時、NHKでいつもおちゃらけたことをつぶやいているTwitterアカウント、@NHK_PRさんに一人の方が、こんなつぶやきをぶつけました。ustというのはネットで無料で見ることのできる動画サイトです。
「@NHK_PR は ustでNHKが見られることをツイートしたらどうなの? ここだよ→ http://t.co/XaympNk @NHK_PR: 停電でテレビがご覧になれない方も多くいらっしゃいます。津波情報を出来るだけ拡散して下さい。」
 それに対し@NHK_PRさんは

「情報感謝!」

と返しました。その瞬間、@NHK_PRさんのつぶやきを読んでいる多くの人がテレビはつかなくても、ネットで津波情報を見ることができることを知りました。実は、これは著作権・受信料など、多くの問題があり、「違法」と言っても良い行為でした。すぐにこんなつぶやきが来ました。

「現時点でNHKではUstreamなどでの配信を許可されているのですか?いろいろなところで配信されているのですがいいのですか?」

 それに対し、@NHK_PRさんはこう答えました。

「私の独断なので、あとで責任は取ります。」

 これはネット民の多くの共感を呼びました。私は、阪神淡路大震災の時の神戸大学医学部精神科の教授だった中井久夫さんの言葉を思い出しました。

※下線はkingstone
「1995年1月・神戸」中井久夫編(みすず書房)
(引用開始)
 初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事は、当直医などたまたま病院にいあわせた者、徒歩で到着できた者の荷にかかってきた。有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。1つの問題を解決すれば、次の問題が見えてきた。「状況がすべてである」というドゴールの言葉どおりであった。彼らは旧陸軍の言葉でいう「独断専行」を行った。おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば、半分解決されたようなものである。
(引用終了)

 私は、阪神淡路大震災の時に、肢体不自由養護学校に勤務していました。震災1週間後、家庭訪問をしていると紙オムツが不足していることがわかりました。そこで一応管理職に許可を取った上でですが、学校からネットで「紙オムツが不足」ということを伝えました。翌日の昼、瓦礫の中を家庭訪問をしていると訪問先に教頭から電話がかかって来ました。(当時携帯電話はごく一部の人しか持っていませんでした)
「紙オムツがたいへんなことになっている。すぐに帰って来てくれ」
 帰ってみると、1教室がまるまる紙オムツ倉庫になっていました。すぐに私は紙オムツを管理する係になり、ついでに他の支援物資も管理する係になりました。
 すると、その日から若い教師たちが、
「こういう物を使ってこういうことをしたいのですが」
「こんな物を持って家庭訪問に行きたいのですが」
と私に相談をかけてくれるようになりました。私は
「よっしゃ。やり。なんかあったら私がなんとかしたる」
 ・・・実は私には何の権限も無かったのですが(笑)

 特別支援教育をこのような災害時の動きに例えると顰蹙を買うでしょうか。
 しかし、特にお子さんが小さい時や、診断されたばかりの時、問題となる行動が起こり続けている時、ごく普通の日常ではなく、非日常を生きざるをえないご家庭も多そうです。楽しいごく普通の日常を送って頂けるようになるために、いろいろなことを考えないといけないんだろうなあ、と思います。

 できあがった制度はすごく大切なもので、それで多くの方が助かります。しかし制度がしっかりできればできるほど、制度のすきまに落ち込んでしまわれた方はどこからも支援が受けられない、ということになりがちです。
 そんな「非日常」をとりあえず支え、「制度」が使えるところまで持っていき、「日常」を取り戻して頂く。そんな仕事がしたいものです。


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