行動援護の「書く必要は無い(?)けれど書いている」報告書(連携のため)

最近は行動援護(肢体不自由の場合もありますが、私の場合はいわゆる問題行動のある方への外出援助です)のヘルパーとして動くことが多いです。

私のところに話が来るのは「様々な問題行動で周囲が困っている」とされている方、もうすでにいろいろな場から排除されかけている方が多いです。

活動のさいはもちろん事業所で決められた書式の書類も作ります。報告の場合はだいたい数行ですね。安定されている方は実際それで十分だと思います。報告だけでなく、たくさんの書類を書かないといけないのですから。仕事としてはそのくらいの量で当然です。

しかし、私の場合は利用者さんに対して、周囲が「困っている」度合いが強いので、決められた書類を作成するだけではなく、こんなことをさせて頂いています。

○ご家族の許可をとった上活動中ので活動中の動画撮影をさせて頂く。
○撮影した全体と、トピックごとに編集したものをさしあげる。
○独自の報告書も書いて差し上げる。

報告書の書式は、その場の思いつきでいろいろ変わりますが、だいたいこんな書式です。

1.今日の特筆大書
  ※だいたい2項目を短く
    「初めてできたこと」
    「今までの『困った行動ででなかったこと』」
   等を書く。
   私はたぶんハードルめちゃ下げなので、2項目くらいなら毎回出てくる。すると自分も達成感あるし、親御さんも喜べる。

2.今日の準備
※あらかじめ作った視覚支援用のカードや、選択してもらうための物などを画像と、作った意図や説明とともに。私の場合は行ってからご本人と相談して行き先や活動を決めることがほとんどなので。もちろん始めたばかりの方は「選択」「意思表示」が難しい場合もあるが、とにかく「物」が無ければ始まらない。

3.時系列の活動。
※これはダラダラずっと書いてる。少しでもわかりやすくするために短い行動ごとに「・」を文頭につけて分けて書く。段落文尾に活動中に撮影した動画の短く編集したもののうちどの題名のものを見れば出てくるかも書く。(口だけで言ってるのでないことを理解して頂く)
視覚支援物を使った場合は、その画像も報告書の中に入れている。これがめちゃめちゃ多いかも。でないと、やはり音声言語のみで関わっていると読んでいる人は判断しはりがちだから。

4.場合によっては「今後の課題」みたいな感じで短く何項目か書くこともあるが、あんまり無いかな?

なぜこんなことをするのか

・関わろうと思う誰でもがご本人と関われるように
・私がいなくなってもいいように
・私がすみやかに消えていけるために
・上記のために相談支援専門員や他事業所と連携するために

ですから書き上がると、
・親御さんに渡す。
・他事業所に送付してもいい許可をとる
・他事業所に送付。
 移動支援、行動援護、就労B、生活介護、相談支援事業所、学校園
・場合によっては直接持って行き、動画をお見せしながら説明する
ということをします。

「連携」と言うと今なら相談支援事業所の相談支援専門員さんがコーディネートして下さるわけですが、必要があれば行動援護担当者としての私が「担当者会やってよ」「支援会議やってよ」とお願いします。別に誰がお願いしてもいいのだから。そういう形で私が「連携」のキーパーソンになってもいいわけだし。

私は2017年の特殊教育学会での自主シンポジウム
「家庭・相談支援事業所・サービス提供事業所・学校園・自治体 連携を促進し維持させるもの(2)」
の中で「連携」した結果、このようなことが起こればいい、と発表しました。

1.お金が入る
2.(関わった人が)楽になること
3.(関わった人が)楽しくなること

私がここで書いた報告書作成は、1.はまったく無いですね(涙)
しかし2.3.はあるようです。

報告書以外で(行動援護で起こること)

ある方に関わって「月1回」で「4回目」で、某所で10年近くかけてできなかったことがほぼできるようになりました。1回目ははちゃめちゃだったけど、毎回がアセスメントと試行で、4回目でほぼできました。
動画を見たお母様が「これだけ成功体験できたらいいですよね」とおっしゃいました。

私は、いつも「成人が(障害を抱えたまま)普通の暮らしをするためには何ができるといいか」というトップダウンで考えています。しかしこれは「何歳までに○○ができなければならない」と考えているわけではありません。「今何ができているか」を観察(インフォーマルなアセスメント)して「これができているなら、こんな物を用意して、こうやったらできるんじゃないか」と考えます。それが報告書の「準備」にも表れます。だから毎回の活動、毎日暮らしそのものが「インフォーマルなアセスメント」と「試行」の繰り返しですね。

私、いつも思っているのですが、「何かができる」ことにこだわってはいけないけれど、「できる」ことを「できないままにしておく」のも変だよね。実は私はさっきも書いたけど「ハードルを下げる」をやり「今、できること」を考え、そこから出発する。ただそれだけのこと。

学校での「作業」などを見せて頂いて思うのは、「この作品を作業で作る」を先に持ってきて、「その人が今、何ができるか」を考えないから「先生が一生懸命作業をしてそれを生徒が座って見ている。時々指示されたちょっとしたことをするだけ」みたいなことになるんだよな・・・

別に「この作品を作業で作る」でもいいんだよね。作業を細かく分解し(課題分析)、その1つ1つの作業を、「今この生徒は○○ができる」の種類によって、部品をわかりやすく並べたり、ジグを作ったり、などしてその生徒さんひとりでできるように考えればいいだけなのだけど。

例えば、過去、私が「織物」の時間に担当したお子さんの例。
この場合はまず「織物」自身をすっぱりあきらめ、「織物」という時間にそのお子さんにできる「自立課題学習」をやったのだけど。
つまり私は「織物の時間で担当したから織物をさせなければ」という考えは無かったのですね。ご本人が「何ができるか」を考えいろいろやって、その動画を年度末に差し上げたらお母さんが「うちの子、こんなことができるんですね」と感動してはりました。
「出張自立課題学習」

学校って年200日は登校するよね・・・もちろん行動援護みたいに1対1ではないし、そんなこともする必要は無い。でも「この場面では1対1で」とか融通すれば年20回は試行できるだろうし・・・(もちろん1日中ひっつきまわっている必要はない。でもそんなにかからないし、すみやかに離れるようにすれば、手はかからなくなるし・・・) 
まあ、学校園とも「連携」頑張りたいと思います・・・

その他関連リンク

"なんか上下関係があるみたいに考えてはったり(例えば他のところに連絡するのに、相談支援事業所の許可を取るみたいな誤解をしてたり)した例があったので"
"連絡なんてえのは、それぞれのところがどんどんやって下さったらいい"
「相談支援事業所のイメージ図(超簡略版)」

「家庭・相談支援事業所・サービス提供事業所・学校園・自治体 連携を促進し維持させるもの(2016年特殊教育学会、自主シンポ企画と報告)」


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