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昨日の事のようなのに

1995年( 平成7年)1月17日5時46分52秒。

明日、その日がまた巡ってくる。

阪神・淡路大震災から、もう、24年。
24年が経つのか。

その頃わたくしは、勤めていた会社で
「神戸の方がえらいことになっているらしい」と第一報を聞いた。
それでも、あんなことになっているとは、思いもせず。

まあ念のためにね、なんて軽い調子で、
得意先や仕入れ先に電話を入れたことが、まるで昨日のことのようだ。

長い長い呼び出し音。

必ず3回。
呼び出し音が鳴り終わるまでにとられるはずの受話器は
いつまでたっても、とられることはなく。

新聞社のカメラマンをしている友人が、
家を飛び出しその周りの光景に絶句して、カメラを向けられなかった、という話。

ボーイフレンドの一人が原チャリで走り回って、
高層マンションに住んで水を運ぼうにも・・・と途方に暮れていた高齢者の方々の手助けをして、「あんなに心のこもった「ありがとう」を言われたのは、産まれて初めてだった」と話したこと。

ボランティアで現地に入った別の友人は、
匂いとあまりに身近な死の匂いに、帰宅してしばらくは起き上がれなくなったこと。

いろんなことがあった。
いろんな話を聞いた。

わたくしが勤めていた会社は、FC展開をしていたのだけれど
結構、伝票管理が面倒くさかった。

その頃の雑貨業界の仕入先メーカーっていうのは、規模が小さい所が殆ど。

だからこそ商品にバラエティがあって面白かったのだけれど
その分、なんというか「丼ぶり勘定」的な考え方をする営業マンやオーナーが多かった。

「まあ、現場じゃ色々ありますし、そこは融通きかせて」

判るけれど、伝票に関しては完璧を期して欲しいのだと、
そういう人達を集めてPOSコードはこの欄に,こちらには店番号を、と説明会を開いてみても
なかなか思うようには、いかなかった。

「ここ、店番が未記入になっているので、翌月扱いになります。」

「はあ??店の名前は書いてありますけど?」

「いや、ですから、店番未記入だと撥ねられるんですよ。」

「そうは言ってもなあ!!!」

電話口での半分喧嘩のような通達は、
結構、消耗させられる業務であったよ。

やがて段々と「あ、ここは、要注意」って、メーカーが決まってくる。

毎月毎月噛み付いてくるメーカー。

こちらは
「支払いは1円でも少なく請求は1円でも多く」という気持ちで業務を遂行している。

だけれど、伝票に不備があっても

「この月に支払ってくださいよ~。小さい会社なんですから。虐めないでくださいよ~。」

「いや、ですからね。うちとしても、伝票さえきちんとやって戴いたら
ご希望通り、できると思うんですけどね。」

「・・・tonchikiさん、可愛くないなあ」

「・・・別に、可愛さで仕事していませんから。」

「・・・。」

そういう中での震災。

震災発生後10日程経って
電話があった。

「・・・請求書を・・・」

「はい?」

「・・・請求書を、出したいんだけれど、
伝票の控えも何もかも、この震災で、あかん。
なくなってしまったんやけど。」

「・・・そうですか。」

「・・・請求できないから
支払い・・・無理だよな。」

「・・・あの、今、メモできます?」

「・・・ああ、大丈夫ですけど。」

「・・・いいですか。控えてください。
10xxx7円。・・・それで請求書出してください。」

「え?」

「その翌月が2xxxx円。
表紙だけで、いいですから。」

「・・・・・ありがとう。」

なんだかお礼を言われるのも、違う気がして。
だけど
うまく励ますこともできずに。

「可愛かったですか?」

「・・・は?」

「いや、今、私、可愛かったかなって。」

「・・・ははははは。
ああ、可愛い。可愛いわ。」

涙声だった。

あれから24年。
24年が経つのか。

わたくしを可愛いと言ってくれたあの時のあの人も
24年の時を経たのか。

慣れてはいけない。
ワスレテモイケナイ。

あんな可愛いが「日常」の隣にあることを
知らなかった
24年前。

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