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日本カジノ論

横浜がカジノ誘致を表明し盛り上がっている日本カジノ論。大阪や長崎、東京にも計画があるとか。横浜は特に反発が大きくなっているが、当然そうなるだろう。市民からすれば治安の悪化が心配だ。

2000年代にマカオに訪れる機会が何回かあり、カジノを楽しんだことがある。三日三晩徹夜でも苦にならない。楽しいのだ。カジノだけではない。そこは男が持つ全ての欲望を満たせる世界。マカオはまさにこの世の果てだった。

もう随分と訪れてはいないが、今は街全体がクリーンになったようだ。いつかまた訪れたい。

そんなカジノが日本に出来たらどうなるのか。横浜の黄金町のちょんの間が復活するのか、大阪の飛田新地近くにカジノができるのか。まさかそんな時代錯誤的なことは起こらないにしてもカジノには人間の欲望を掻き立てる不思議な力がある。

カジノは日本社会の格差を拡大させるだろう。カジノは金持ちの社交場だ。金持ちが優雅なひと時を何も気にせずにゲームを楽しむ。彼らはいくら勝とうが負けようがそんなはした金はどうでもよい。一方で一般人は生活を犠牲にしてまでのめり込む。一攫千金の確率は万に一つもないのに。

カジノを日本につくるなら外資企業を入れないことだ。日本に必ず金を落とさせる、百パーセントの金を地域の税収にする。それがマストだ。なぜかって。金を貪り尽くされた破産浮浪者がゴマンと発生する、その生活保護者には税収を充てなければ負のスパイラルに陥るからだ。

さあカジノによってこの世の果てが日本に出来上がるのか。バッドラックだ。


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