ーあたしの夏ー (短編小説)

ーあたしの夏がきたー

チリーン…チリチリーンン…

「あら、もう風鈴出したの?」
「おかーさん、夏だよ!」
「は?」
「麦茶がおいしいの!あたしの夏が今年もきたんだよ!」
「夏って…まだ5月じゃないの。」
「あたしの夏が、きたんだってば。」


ミツキ(光希)は帽子をひっつかむとサンダルをつっかけて玄関から飛び出した。
「ちょっと、どこ行くの?」
「ヒデキん家!」
玄関のはるか向こうから返事が返る。
駆け出したミツキの後ろから、風に乗って風鈴の音がチリチリと聞こえる。

「ヒデキ、夏だよ!」
家から出てきたヒデキに向かって身を乗り出すミツキ。鼻先まで詰め寄られ、驚いて思わずのけ反るヒデキ(秀輝)。
「な、なんだよ。」
「だから、夏が来たんだよ!」
「はあ?」
「麦茶がおいしいの!」
「…ああ。」
なんだ、いつものコイツらしいあれか、とヒデキは納得する。
「感覚だけを頼りにするお前の生き方って、どーもわかんねぇー。」
「いいから、行くよ!」
「行くって…どこに?」
「決まってるじゃない!海よ、海!」
「海ぃ?…入るにはまださみーぞ。」
「いいの!夏と言えば海、なんだから!」
「いーけどさ…お前、そのカッコで行く気か?」
言われて虚を突かれたような顔をするミツキ。
「海までは自転車で1時間はあるぜ。」
「…今から用意する!」
「食い物とか飲み物とか日焼け止めとか、いろいろ準備して来い。」
「おう!」
「おう、て…。お前 。6年生にもなるんだから、もうちょっと女子らしく…」
「気にしない気にしない!」
たったったったった…
「…はー…。」
ぐったりと脱力するヒデキ。


「お待たせ!」
現れたミツキは麦らわ帽子に黄のタンクトップ、ホットパンツに白のスニーカーという姿だった。
「どう?」
「どっからどー見ても、夏だよ…。」
なぜか疲れたようにコメントするヒデキは、モスグリーンの長袖シャツにゆるりとした紺のズボン、日差しに映える白い野球帽に洗いたての白いスポーツシューズという出で立ちだった。
「暑くないの?」
「そっちこそ、帰り道寒くて風ひくぞ。」
5月下旬の仙台は朝夕はまだ肌寒い。
「…ああ!」
羽織るものを取りに再度ばたばたと自宅に走る。


仙台市を横切って流れる川がある。その堤防沿いに作られたサイクリングロードを、東へ東へとひた走る二人。ヒデキの深緑のマウンテンバイクとミツキのスポーティーな白い自転車が青空に映える。5月の風が心地いい。
「ふんふんふん♪」
前を走るミツキの鼻歌が風に乗って聞こえてくる。
「よーお、ずいぶんと嬉しそうだなぁ。」
「ふふふふふん♪だぁってー♪」
「うわ、こっち向くな!前見ろ、前!」
危うく土手から落ちそうになるミツキにヒヤヒヤさせられる。


チリーン…チリーンン……
「わぁ、風鈴の音!どこから?」
「気の早いのが他にもいるんだな。」
「そうじゃないよ!あたしの他にも夏が来た人がいるんだってば!」
「ふーーーーん。」
「なにその言い方ー。」
「だってさー。夏が来たなんてそんなハッキリわかるもんかなあ。」
「わかるの!あたしの夏が来たんだから。」
「はいはいはい。」


「…あれ?」
「…ん?」
なんの音なのか、とおくから聞こえてくる。自転車を止めて耳を澄ます。
「…風鈴?」
「…それにしちゃ、数多くないか?」
「でも…待って…。…やっぱり、風鈴だよこれ!」
「あ、おい!ミツキ!」
サイクリングロードを外れて音のする方向へと突っ走るミツキ。ヒデキも置いていかれないようにペダルと腕に力を込めた。

しゃらしゃらしゃら…。しゃらしゃらしゃら…。
「すごーい!すごいすごいすごい!」
「うっわ、なんだこれぇ…!」
駅のホームの天井に吊るされた風鈴は、200を超えるだろうか。万華鏡のように色とりどりに輝く音色がそよ風と共に流れていく。
「おや、こんにちは。」
白髪の駅員さんが二人に声をかけてくれた。ゆったりとした物腰は老紳士、という言葉がぴったりくる人だ。
「見るのは初めてかい?」
こくこくこく、と全力でうなづく二人。
「これはねぇ、昭和の終わりころからやっているんだよ。ここは製鉄が盛んな地域でね、町興しの一環として毎年夏になるとこうして…」
夏、という言葉に反応するミツキ。
「夏、ですよね!もう夏ですよね!やっぱり!!!」
「ん?うん、まあ、まだ夏どころか梅雨すら始まってはいないのだけど…どうせやるなら長く楽しめたほうが良いだろう、ということで、5月末から毎年出しているんだよ。…よかったら、ホームで風鈴を眺めていくかい?特別に入れてあげるよ。」そう言って改札口を開けてくれた。
しゃらしゃらしゃら…。心地よい一陣の風が汗をそっと飛ばしてくれる。


しゃらしゃらしゃら…

駅のホームのベンチに腰掛けて、きらめく音の波間にしばし身を置く二人。響きはまるで寄せては返す波のように、風に合わせてかたちを変えていった。駅の向こうに見える木々は初々しい新緑から夏へ向けて色濃さを増している。青い空のはるか彼方から太陽が照りつける。頭上で揺れる鋳鉄製の風鈴にはめいめいユニークな短冊がかかっていた。近隣の子どもたちが描いたものだろうか、気の早い七夕のようにも見える。
「…ねぇ、ヒデキ。」
「ん?なんだよ。」
「あのさ、夏って…」
そう言ったまま、しばらく無言の時が過ぎる。


「…夏って、なんだよ?」
「…夏ってさ、…」
ミツキは前をまっすぐ見つめたまま、言葉を探している様子だった。ヒデキはしばらく返事がこなさそうだと踏み、大きく伸びをした。さらさら、と風が2人の間を流れいく。


すっく、とミツキが立ち上がる。
「? どした?」
ぽかんと見上げるヒデキ。
「わかった…」
「へ?」
ミツキはヒデキに向き直った。
「わかったよヒデキ!夏ってね、音があるんだ!味があるんだ!五感で、体で、心で、目で、感じられるんだよ!」
「…へー…そりゃあ、そう…かもなぁ…」
またも詰め寄られ、気迫に押されてやや後ずさりした格好になりつつ、展開が読めずになんとなく相槌をうつヒデキ。
「風鈴の音を聞いてるとね、不思議と火照ってた頭と体が静まっていくの。自分の、体なのか心なのか、わからないけれど、どこか深いところに、音が届いて響いてくるの。それがね、とってもね、心地いいの。まるで、身体と心がそれを喜んでいるようなの!そう、麦茶も!麦茶もね、そうなの。今年初めて飲んだ麦茶が、全身にふるふるっと来るような、ほんとに微妙なんだけど、喜びをくれたの。ああ、これだ!って。」
「…うん。なんとなくわかるぜ、それ。」
「!!!」
目を大きく見開き、感極まれり、という顔をするミツキ。
「でしょ?!わかるでしょ!?」
「ああ。」


しゃらしゃらしゃらしゃら…

どのくらい、経っただろうか。
「帰ろうか。」
「もう?海はもういいのかよ。」
「うん、なんとなくすっきりしたから、もういいの。」
「そっか。」
カランカラン、カランカラン。
「…げっ?アイスクリーム屋??もう??」
「…こんな昔みたいな移動するお店、あったんだねぇ。初めて見たよ。」
「あーいすぅ〜、あーーーいすくりぃ〜〜〜むぅーーー…」
自転車に付けられた台車を引き引き、よく通る声と鐘で自らの到来を告げると、近所から子どもたちと母親たちがわらわらと出てきた。バニラとチョコとストロベリー味の3種類のみ。のぼりに描かれた「無添加、自家製」とあってか、人気らしい。
「買ってくるか?」
「うん!」
「何味がいい?」
「ヒデキとは違う味のやつ。」
「なんだそれ。」
「分けっこしようよ。」
「なるほどな。」


「毎度ありー。」
おじさんがコーンに山盛りにのせてくれたバニラとストロベリー、それぞれ180円。子どもの買い食いとしては安くないが、食べてみてなるほど、その価値ありと思わせられる。ミルクの味とコクがしっかりあり、バニラビーンズが甘い香りを放っていた。ストロベリーは香料ではなく本物の果肉が贅沢に使われていた。
「おいしーーーい!ハーゲンダッツといい勝負だよ、これ!」感動しつつミツキが舌鼓を打つ。
「何だそれ?」
「えー!知らないの?!信じらんない!」


「たぁーーーべたぁ〜〜〜…♡」
「うまかったな。」
「ヒデキの夏、来た?」
「…んー…来た…のかな。」
お腹に手を当て、空を見上げながら答えるヒデキ。
「まだみたいねぇ。」


しゃらしゃらしゃら、しゃらしゃらしゃら…


「駅員さん、ホームに入れてくれて、ありがとうございます。」
ぺこり、とミツキとヒデキが行儀よく挨拶する。
「おや、まだ居ったのか。風鈴は楽しめたかい?」
「はい!とっても!」
「そりゃ、よかった。」
駅員は目を細めてにっこりとした。
「また、いつでも遊びにおいで。」
「はい、ありがとうございます。」
その時、駅の自動アナウンスが思い出したように次の列車の到来を告げた。


ここ仙台では、川は西の奥羽山脈から東の太平洋へと、常に東に向かって流れていく。偏西風に逆らって、時折河に沿って東から海風が吹いてくる。追い風が背中を押してくれるので、行きよりも楽だ。
「あー、楽しかった!」
言う、というよりは叫ぶに近い調子で、さも満足そうな笑顔のミツキ。
「それなりに楽しかったな。」
「なあにー、それなりなの?」
「付き合ってやったんだ、ありがたく思えよな。」
「でもさー、でもさーーー。」
口を尖らせてぶつくさ言う。


ゴロゴロゴロ…。不気味な低い音が響く。

「何、かみなり?」
不安そうにミツキがつぶやく。南の空が一部暗くなっていた。自転車を止めて空の様子を見ながらヒデキが言った。
「ん…こっちには来なさそうだな。」
「やだよー、かみなりこわいよーーー。」
目を潤ませて本気で怖がるミツキ。
「だーいじょうぶだって。ほら、前向いてこぐ!」
「うえーーーん…。」


2人がヒデキの家に着く頃、まだ日は高かったがすっかり曇っていた。
「ヒデキ、今日は楽しかった!ありがとうね。」
「ん、俺も楽しかった。」
「ヒデキ、あのさ…。」
「…ん?」
「ヒデキはさ、ほら、中学校を受験するじゃない。」
「ああ。」
ヒデキは家から少し距離のある私立の学校を受けることが決まっていた。そもそも中学校受験という世界があることすら知らなかったミツキには晴天の霹靂だった。同じ近所で育って、このまま同じ中学校に行って、ずっと一緒なんだとばかり思っていた。
「もちろん受かってほしいんだけど、なんか、そうしたら、さみしくなるなって…。」
ミツキの歯切れがいつになく悪い。
「中学が違っても、どうせ近所だろ。そんなに変わんないよ。」
「うん…そうだよね…。」
そうなのだろうか。住む世界が変わり、共通の話題が減り、共通の友達が減り、いつしか見知らぬ者同士のようになってしまうのではないか。少しだけ軌道を外れた衛星が、ついに地球に帰ってこれなくなるように、少しだけ角度のずれた2本の線が、時を経れば減るほど遠ざかっていくように、取り返しのつかない距離にまで広がってしまうのではないか。ミツキの本能に近い部分がそう警笛を鳴らしていた。


ぼつ、ぼつ。大粒の雨が地面を打ち始めた。
「濡れるぞ。傘貸してやるから早く帰れ。」
ミツキは傘も受け取らずに立ち尽くしていた。
「ミツキ、ほら…?!」
差し出された傘をすり抜け、ミツキはヒデキの胸に飛び込んでいた。


トク、トク、トク、トク…。お互いの鼓動が伝わってくる。世界中の他の音が聞こえなくなった。傘を差し出した姿勢のまま固まっていたヒデキも、やがてミツキの肩をそっと抱いた。身体が火照るように熱い。ぎゅうう。ヒデキを抱きしめるミツキの腕にさらに力がこもる。


やがてミツキは静かに身を離すと、涙に濡れた瞳でヒデキをじっと見つめ、そして
「ごめん…。」
小声でそう言うと、夕立の中をバシャバシャとしぶきを上げながら走っていった。
「…あ、おい。自転車…。」
ぼう然としながら独り言のようにヒデキは言ったが、
「…いや、そんなんじゃなくて…。」
とまた独り言のようにつぶやく。


「あらお帰りなさい。雨に濡れなかった?ミツキちゃんは?」
「大丈夫。ミツキは帰った。」
母にそう言うと2階の自室に入り、ばふんとベッドに横たわる。

(…あいつの学力って、どのくらいだっけ…。今から準備して受験間に合うかな…。)

(通学にはチャリで30分…あいつの足なら余裕だろうけど、雨とか雪の日はキツイかな…。まぁバスもあるから何とかなるか…。)

(2人で合格したら、お祝いにどこか2人で行こうか…。あいつの制服姿…結構似合いそうだな…。)

あれこれとひとしきり考えてから、自分の考えに急に赤面して、ベッドの上をごろごろと転げ回る。
(夏…かぁ…。)
枕を抱きしめながら、1人思う。
(俺にも夏、きたよ。ミツキ。)

そして、ぼふっと枕に顔をうずめた。


ー了ー 

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