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イマジナリーフレンド

花村萬月さんの「対になる人」を読む。3時間半の移動時間は贅沢な読書の時間だ。

この作品は同著者のハイドロサルファイト・コンクを読むと作品が書かれた時の著者の状況が思い返されてとても趣深い。さらに言うとハイドロも、全てがドキュメントではなく虚実を混ぜ込んでいるので、対になる人の背景が同時に想起するようでいて、それも実は創作かも知れないという二重の入れ子の創作体験を同時に感じながら読むということになる。

そしてそのような姿勢で読みつつ、この本のテーマが多重人格である。そこにはイマジナリーフレンドも含まれる。

読み手側の脳内構造を多重構造に仕向ける仕掛けで多重人格のテーマを読む。複眼的であるからスイスイと入ってくる快感に近い読書感が得られる。作品と読み手の周波数を近づける仕組みがここにはある。たぶん意図的なのだろう。

そしてイマジナリーフレンドはなんとなく知ってはいたが、ひょっとすると自分は今でもそのフレンドを内に住ませているのかも知れないと気付かされた。

ある現象に対して自分は頭の中で何かを思う。それが台詞として思い浮かぶ。自分の中で一人称の会話として思い浮かぶその台詞に対して自分でそりゃ言い過ぎだろうとか、なるほどそれは確かにとか思うことがよくある。なので自分なりに面白いと感じた自分の中の台詞をスマホのメモに書き留めることもあるし、それを文章に膨らませてSNSに投稿したりもする。

それは誰でもそうだろう。そう思っていた。アイデアとか自分なりの論理とかはみんなそうやって作るのだと思っていた。

みんながそうしてるわけではないのか。だがまあ、それだとしてもやはり人はそんなに互いが違うわけではない。フォーカスすれば違いを大きく広げることができるし、俯瞰で見ればたいした違いはない。どんな視点を持つのか、選ぶのか。その違いでしかないだろう。

と書いていたらよく分からなくなってきたが、ちょっと面白かったので記しておきまする…

#対になる人
#花村萬月
#イマジナリーフレンド
#2024年の姿勢

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