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ハイドロサルファイト・コンク

ハイドロサルファイト・コンクを読んでいる。大学生の頃、花村萬月氏の小説は内容の過激さに読むのが苦痛になり読むのをやめた。何を読んだのか忘れた。昨年後半から藍染めに取り組むことになり、藍の還元剤としてハイドロサルファイトが使われる。この化学薬品を使うかどうかが藍染めに取り組む姿勢の指針になると思い込み遠ざけていた。だがそうだろうか?とも思うきっかけがあってそれでも今のところはハイドロ無しで発酵にチャレンジ中だ。今はまだ発酵に至らない…

予めお伝えしておくが、花村萬月氏の小説を読むことは藍染めのノウハウ的な意味では役に立つ内容ではない。否、直接的に、教則本的にダイレクトに教示しない。ただ僕は今日に至るまでに藍染めに関わることになったこととかつて挫折した小説家の作品に藍染め関連のキーワードで繋がっていることに何かヒントがあると勝手に感じている。

意味を自分の外側から求めれば的外れだろう。ただ、意味というものは本来あるかないか受け取る自身の感受性を使い見い出すという癖にしている。そういう視点ではこの小説は藍染めに役立つのだ。そう確信して小説の内容そのものを読み込む。楽しむ。花村萬月とは筆の立つ恐ろしい作家だなあと今になって面白く感じる。この作品は小説でありながら氏の実体験を辿るドキュメント小説でもある。自伝、というと自意識過剰で肝心な部分をわざとぼやかしているなどありがちだが、花村氏は正直であろうとするし自意識がそれをずらそうとする時もそのことを率直に語ろうとする。作品をあくまで作品として飾りとして扱うか、作品イコール自分そのものとして自らの肉をえぐり内臓を晒せるのか、真実のほどは分からない。だが読ませていただく身としてどのように受け取るのかも読者としての姿勢はひと様々だろう。そういう意味でこの作品は一人の小説家を見直すきっかけであり、今後のライフワークとすべく取り組む藍染めに対してもヒントとなるだろう。

昨夜、すくもから藍を建て直し。前回のものは発酵が未熟な段階だがインド藍で8リットルほど不活性している染め液に合流させた。今回のもその足しにするつもりだ。今うちでは2箇所で染め液が不活性していてもう一つはどこかのタイミングでハイドロサルファイトを使ってみようかとも検討している。ハイドロを使うと台無しで藍が持つ薬効を無効化するどころか健康に害悪ですらあると声高に説明する動画を見た。それでその折、ハイドロを使うべきでないと思い込んでいた自分はさらにハイドロ排除主義に傾倒したが、果たしてそうだろうか。あまりにも強く否定し、間違っているのだとこき下ろすその姿に僕はちょっと引いた。そこまでヒステリックにいう必要があるのかと感じた。

#藍染め
#ハイドロサルファイトコンク
#花村萬月
#藍ノミチヅレ

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