めも

他人の良いところをみると、相対的に自分の悪いとこが目立つように感じる。

その人、もしくはそれをを見るまで、何も思っていなかったのに、むしろ満足さえしていたのに、優れたものを見た途端、自分や自分の周りを認める気持ちが弱くなる。自分はダメなのだと思うことすらある。

もっと怖いのが、だめなところ、たりない部分に目が行き過ぎて、自分が恵まれていることを忘れる時がある。

五体満足で、大学に入れて、ある日突然大切な人が戦争で死ぬなんてこともない。

これらに比べたら、受験や、容姿、社会の地位なんて、取るに足らないものなのかも。

現状に満足するな!なんて声高に言う人がいるけれど、たまにえーーーと思う。正直、現状に満足してる人ほど、しあわせな気がする。あれしなきゃ、これしなきゃ、こうならなきゃ、ってずっと何かに、飢え続けるひとより、気持ちが穏やかで安定している気がするので。

あと、上のセリフのもっと嫌なところは、思想を押し付けてるとこ。現状に満足するかしないかはあなたの決めることじゃない。私が決めることだもん。

飢え続ける、といったけど、「もっと」っていう気持ちは食欲と一緒で無意識に、ほっとくと無限に湧いてくる。これが人間の基本設計なら、その本能を通してどうなりたいんだと聞いてやりたい。

美味しいものを見たら、おなかが空いていないのに、食べたくなっちゃう。インスタの投稿見てたら、買おうなんて思ってなかったのにリップが欲しくなるし、鳥貴族で満足してたのに留学行く友達みて急にイギリスにいきたい・・・!”とかなる。

はーどーしたもんかな。ふつーに金なくなるからやめてくんね?
年確をパスして堂々と酒を飲むあの時の喜びを忘れたんかお前は。

もちろん、誰かと自分を相対化することで自分の成長のきっかけになることもあるから、すべてを否定することはできないんだけどね。

芦田愛菜ちゃんが20歳になった時、なんかの雑誌のインタビューでこんなことを言っていた。

「いい意味で子供らしさをなくしたくない。大人になっても子供心がある人って素敵なので。」

書くの飽きてきたからもうやめるけど、とりあえず小さなことでも喜べる人になりたい。

求めては慣れて、求めては慣れてを繰り返して最後には何も感じなくなるより、ずっと幸せだと思うので。









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