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実在した!モデルが語る麻雀放浪記①ダンチ「目立たなく勝とうとするとかえってうさんくさい。わざと素人っぽくんダーンってあがるんです」

月刊近代麻雀昭和49年12月臨時増刊号より抜粋



私の麻雀小説は実録風なスタイルをとっているものが多いために、登場人物も実在と考えておられる方が多いようである。その点について私はどうも答えにくい。実は架空の人物が多いのであるが、私自身が修羅場をくぐっている折りに触れあった多くの打ち手を少しずつ参考にして練り合わせているために、私自身、それらが架空の人物だと思えない場合がある。
たとえば『麻雀放浪記』の出目徳やドサ健は、そうやってできた一種の典型で、昭和二十年代前半はこれに近い人物がさかんに麻雀屋を練り歩いていたものなのである。
中にはまったく架空の人物もある。それからまた、実在のモデルに比較的くっついた場合もある。例えば同じく『麻雀放浪記』の中に出てくる女術の達である。
この人物のイメージ、挙措動作、性格的なものまで、そっくり中島鋼一郎という東京下町の典型的遊び人を写しとっている。ただ行動が小説なだけである。

中島さんと私がツルんでいた時期はそう長くはなかったが、野口くんとはそのあとの一年半くらい、べったりと野良猫のようにくっつきあってすごした。

私の一番最後の相棒(おひき)で私がこの世界から足を洗って以後もしばらく麻雀を打っていたようである。『捕鯨船の男』という短篇は野口くんのことを書いたといってもいい作品だが、その他にもダンチという名前で方々に登場してくる。

秋武くんとはほとんど一緒に組んだことはない。この道に誘いこんだのは、たしかに無茶な日を送っていた頃の私であるが、その水があったのか、以後、彼は彼流の玄人麻雀を打つようになった。したがって、チラホラと方々で、敵として打っている。それでいながら幼な友達のような親しみがいつも保たれているような気がする。作品では『麻雀放浪記』の中に出てくるガン牌の名手清水、その他にも彼の持ち業を書いているものがある。

中島さんは編集部が苦心の末、消息を探り当ててくれて二十五年振り、野口くんもつい最近まで十年近く消息がわからず、秋武くんとも七、八年前に一度会ったきり。なにはともあれ、なつかしい夜だった。


"いやなヤツ"が出会い

中島 いやぁ、イロちゃんだね、懐しいねえ。立派になっちゃって⋯⋯。
阿佐田 久し振りですね。でも、中島さんは、変わってませんよ。
中島 いや、すっかり年とっちまいましたよ。あのころは、あたしは三十を出たくらいの年で、イロちゃんは二十一、二ですかね。それにしちゃあ、しっかりした麻雀を打ってて、うまいなと思った。
阿佐田 最初、どこかの麻雀屋でぼくが打ってたら、中島さんが一人で和服のコートを着てやって来て、うしろに坐って見てたんですよ。なりから顔つきから、まったくの遊び人の感じで、いやな奴が来やがったと思った。昭和二十四年ごろ、露地の奥のしもた家の麻雀屋で、よほどのバイ人かクロウトでなければ入れないところだった(笑い)。
中島 あたしゃ、あのとき初めて行ったんですよ。当時は、どんな麻雀だったかね。

秋武 アルシアールじゃないですよ。もうショウハチだった。ドラはなかったけど、一翻しばりはあったね。
野口 三色とかね。わたしは、ある未亡人に一盃口という店をやらせたんだから⋯⋯。そとへ、由比正雪みたいなかっこうでイロさんが来て、ター坊ってのが『あいつが強い』というんだ。わたしは、まだイカサマは知らなくてね、新宿で台湾人と組んで打ったことがあるくらい。その日はイロさんが負けて、噂ほどじゃないなんて思ってたら、また次の日に"コンチワ"ってやってきた。麻雀が終わってから飲みに行ったりして、そこで組んでやるかなんて話になっちゃった。あのときに、仕込まれなきゃよかった(笑い)。
中島 あたしは、野口さんと会ってるかしらね。どうも、覚えてないんだけど⋯⋯。
阿佐田 当時、モンペって呼ばれてましたよ。時期と場所が、ちょっとずれるんだけれど、一度や二度は会ってますよ。
野口 わたしは、よく覚えてる。イロさんが"あの人はオレの師匠だ"というから、それじゃあ頭が上がらないと⋯⋯。お手合わせはしてませんけど、わたしはイロさんにくっついて歩きまして、あれが一年半くらいつづいたでしょうか。
阿佐田 ぼくがああいう生活をしていた、最後のころでね。それからモンペは、捕鯨船に乗っちゃった。海の上なら、カモが逃げないだろうって⋯⋯(笑い)。
中島 あたしがイロちゃんと変な麻雀をはじめたのは、若いのにうめえなあと思って、だけど真面目だけじゃ勝てない。だから二人で、何かやろうじゃないかと⋯⋯。マウクナなんか作ったんだね。
阿佐田 夜中に考えてさ、いろいろ新手を作ったね。便天(一人天和積みの一種)も二人で作ったんじゃない。一生懸命に⋯⋯。
中島 ドンデン返しも考えて、他のメンバーが眠くなったようなときに、全部の牌をすり替えて一発でアがっちゃう。あれをやられたら、だれもかなわない。

イカサマの基本はゲンロク


 
阿佐田 中島さんは、どっちかの手の小指を、ちょっと曲げるのね。それで、牌をもってきちゃう。
中島 リーチかけたら、二牌ヅモ、四牌ヅモやるんだから、勝負は早いよね。もともと中国人に盲牌を徹底的に教わっていたから、二牌ヅモして下のをさっと見て⋯⋯。リーチかけりゃ、すぐつもるわけだ(笑い)。
阿佐田 あのころは、まだイカサマはあまり普及してませんでしたね。だから、その気になれば、わりと楽にやれた。
中島 そうですね。あたしがちょっと付き合ったのに、伝説的な関東の大クマで天和の名人がいましてね。そのイカサマを教わったんだけど、あれは二人で組まなきゃできないし、あたしはとうとうできなかった。
阿佐田 いずれにしても、中島さんの遊びにかけてのキャリアは大先輩と呼ぶにふさわしかった。ぼくなんて、ヒヨッコでしたね。
中島 あたしは、もともと親父が博打うちでしてね。十七くらいのときから、その親父の金を一円ずつかっぱらっちゃ、麻雀屋へ行ったんです。吉原が七十銭の時代でした。
阿佐田 いろいろ、悪いことやったよね。せっせと牌の渡しっとやったり⋯⋯(笑い)。
中島 足の指にはさんで渡してね。ゼニがねえのに負けて、便所へ行くふりして逃げちゃったこともある。
阿佐田 もう、数限りなく、そんなことはあった。どっかの待合で、中島さんの逆モーションにイチャモンつけられたりね。
中島 でも、いくら勝っても、年中ビイピイしてた。どうしようもなかった。イカサマなんていったって、あれは若いとき人をかつぐのが面白くてやるんでね。しょせん、通用しないものなんだ。
阿佐田 ただ、当時はアマかった。その気になれば、できたということでね。
中島 基本は、何といってもゲンロクで、対面同士が符牒で通す。ただゲンロクは、チーやポンがあると山が変わっちゃうから、それをキリ返して直さなきゃいけない。忙しいイカサマですよ。あたしは、面倒くさくて途中でやめちゃった。それより強引なやつをやろうってんで、ドンデン返しなんかを一晩に一回くらいやる。国士無双のドンデン返しを一発やれば、それでもう勝ちは決まり。
阿佐田 ゲンロクに関しては、秋武さんだ。研鑚を重ねたんだから⋯⋯(笑い)。

"通し"をいうのに苦吟

 
秋武 ぽくは、イロ氏から直接には何も伝授してもらっていませんね。キリ返しくらいのものじゃないかな。
阿佐田 あなたは、だいたい最初からソレ志望じゃなかった。ただあの頃、学校をバージされたとかで、送金が絶えて喰えないってんだ。榎町のあたりにいて、ある日たずねたら、まっぴる間から寝てるんだよ。金がなくて、寝るよりしようがないって⋯⋯(笑い)。それじゃ、組んでやろうということで、ソノ道に誘い込んだんだ。もともと、マジメな学生でね(笑い)、ただ最初に知り合ったあの麻雀屋では負け頭だった。
秋武 負けてましたね、見事に⋯⋯。ひととおり麻雀がわかってきて、いちばん面白い時期だったんですよ。でも、イロ氏も地元では悪いことをやらなかったんじゃない。
阿佐田 二十五、六年には足を洗っちゃったし、あのあたりにはいいカモもいなかったからね。あなたのことでよく覚えてるのは、どこかの土建屋のお兄ちゃんたちをコロそうってんで、二日くらいぶっつづけでやったとことがある。そのときに、まだ筋がよくないから入れてもらえなくて、あなたがカベをやったんだ。
秋武 うん、そんなことがあった。通しを教わってね。
阿佐田 それで、お客さんの一人がペン7ピンか何かでリーチかけて、慣れないから通しがいえないんだよ。といわなきゃならないのを、苦悶したあげく"発展性のないテですねえ"っていったら、お客が『リーチかけてるのに発展性があるわけないだろ』って怒ってねえ(笑い)。あれが、あなたがワキ道へ踏み込んだ、記念すべき第一夜だよ。上洲と組んでたんだけど、アガリはみんなで分けることになってたのをぼくがはっきりいわなかったから、途中であなたは不機嫌になっちゃってね。自分でも打ちたいのと、分け前がもらえないんじゃないかと⋯⋯(笑い)。

中島 あたしは、秋武さんとは、どこで会ってるんだろう。さっき顔を見たとき、あっと思い出したんだけど⋯⋯。
秋武 どっかのクラブです。そこへうちの死んだ親父が来てたわけですよ。親父がまた好きでね、家でよく打ってたりして、きれいなことは最高の麻雀だった。それが、中島さんと、打ったんですよ。
阿佐田 うん、あの親父さんね。ぼくは別の場所でもぶつかったね。
秋武 それが、中島さんとイロ氏がはいって、打ってるじゃない。親父はコロされちゃうんじゃないかって、気が気でない。ぽくは中島さんのうしろで見てたんだけど、そうしたらゲンロクだろうけど、ビシビシ牌が入ってきて、すぐに親父に命中するんだ。ただ好きでやってるんだから、イカサマなんてもちろん知らないだろうし、息子としてはハラハラし通しだったんですよ(笑い)。
野口 そりゃあ、コロされたでしょうね。生きて帰れるわけがない(笑い)。 

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