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プロ麻雀界近代史  V(ビクトリー)麻雀と旅打ち企画

【参郎さん】

 1998年末、ナイタイ出版から「V(ビクトリー)麻雀」が創刊されることが決まった。
 前原雄大プロが動いて決まった話で、芳文社「特選麻雀」出身の渡辺参郎氏が編集長を務めることになった。
 渡辺さんは当時「日本プロ麻雀連盟」会長だった灘麻太郎プロと親しく、灘さんが紹介した若手時代の荒正義プロの書き手としての恩師みたいな存在だった。
 主な執筆者は、前原さん、灘さん、荒さん以外に、森山茂和プロ、僧根幸男プロらがいた。「近代麻雀」と同じような漫画雑誌だったが、これらのプロ雀士による記事企画も多かった。
 そして若手プロも多く使ってくれた。私や、私と同期の藤崎智プロ、清水香織プロも記事を書くことが多かった。
 きっかけは、もう1人の同期のYという人が皆を編集部に連れて行ったことだと記憶している。
 彼は社交的で人脈を作る天才だった。私はそういうのが億劫なタイプで、自分から動くことはほとんどなかった。
 同期の仲間と一緒に、新宿2丁目のナイタイ出版に遊びに行くことも多かった。
 荒さんは編集長のことを「参郎(さぶろう)さん」と呼んでいて、私たちもそのうち同じように「さぶろうさん」と呼ぶようになった。自分の父よりも10歳近く年上で、戦中生まれの編集長を「さぶろうさん」呼ばわりするのは失礼だったかもしれないが、まったく気にせず私たちを可愛がってくれた。当時すでに還暦を超えていたと思うが、先進的な人で、若いやつを使っていきたいと言ってくれた。


 だから私たちがアポもなしに遊びに行っても、嫌な顔をせず、編集部の向かいの「世界堂」の上階にある喫茶店に連れて行ってくれた。
 「麻雀のプロは書けなければやっていけない」と会うたびに言われた。
 それは当時の常識で、荒さんからも同じことを言われていた。
 プロ雀士の主な収入源は原稿料だったからである。何かを書いて稿料をもらうか、雀荘を経営するか、そのどちらかぐらいしか収入源はなかった。
 観戦記の書き方も教わった。ただ麻雀打ちがこうやってアガっただの、こう考えただの書いてもマニアしか読んでくれない。もちろん、ちゃんと読めば面白いのかもしれないが、まずは「読んでもらう工夫」をしなければならない。そのためには冒頭に「人を引き込ませる何か」がなければならない。
 そんな話を聞かされた。
 「それは何でも良いんです。試合会場に行く途中に10円拾ったでも良いし、選手が試合前にトイレで何かしていたでもいいんですよ。ただ、いきなり麻雀の局面を出されても、相当なマニア以外は読み飛ばします」
 お茶を飲みながら、そういう話をされた。それと、よく言われたのが「ただリーグ戦に出ているだけでは『プロ活動』をしているとは言えない」ということだった。
 
 たとえばどんなことがプロ活動ですか?
 

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