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君がこの世界の光をみつけた日、君のおとうさん一切合切の記録(及び、超絶怒涛の痛みについて)

親愛なるあちゃさん


あちゃさん、先日は1歳のお誕生日おめでとうございました。

バタバタとたくさん歩きまわるし、ミルクより、お茶とごはんとばかうけのほうが好物だし、こっちが心配になるほど炭酸水がぶがぶ飲むし、お散歩も大好き、毎日元気いっぱいで、君の生命力を受け止めることに、わたしはいつもぜーぜー息切れしてしまいます。

もう赤ちゃんではないんだね。



誕生日のお祝いの日、君がこの世界に初めて出てきた日について、君のおとうさんと一緒に思い出してしみじみしました。



だけど2人が抱く出産の思い出については、それぞれ印象が違うんだよね。

おとうさんはね、あちゃさんが生まれたときのことを素晴らしくて美しい思い出として記憶してるけれど、わたしはその反対で、君のおとうさんに対してはムカついてしょうがなかったんだ。だからこの際、なんでムカついたのか書いておくね。





謎の気合い注入


その日、ベッドに入って寝て、真夜中の1時過ぎくらいだったか、お腹が痛くて目が覚めたよ。出産予定日の2日前のこと。

その頃は「前駆陣痛」っていう、いわゆる陣痛本番前の予行練習みたいな痛みをほぼ毎日感じてたから、また練習なのかなと思ってた。

でもいつもより痛くて、痛みがくる間隔が短いしなかなか治まらないから変だと思って、隣りで寝てる奴さんを起こして練習のときよりも痛いことを伝えたよ。


「わかった、じゃ俺が時間測る」奴さんはそう言って陣痛の時間を測るアプリを開いたから、計測は彼に任せることにした。

痛みを感じたときに「あーきた痛い、いま痛い」って知らせてもなにも返事がなくてね、横を見たらケータイ持ったまま奴さんはグーグーいびきをかいて寝てたんだよ。

たぶんまたいつもの予行練習だと思っていたんだろうね。この人はもう放っておこうと、奴さんの手からケータイを奪って1人で陣痛がくる間隔を測ったよ。



病院からは、陣痛間隔が10分を切ったら電話するように言われてあったけど、すでに5分間隔で始まってたから急いで病院に連絡した。

では今から来てくださいと言われたので、次は陣痛タクシーのお迎えを頼む手配をした。

グーグー寝てる奴さんに「これからタクシーで病院行くからね」って伝えたら、ようやく本番が来たことに気づいたらしくて、そこでやっと起きたんだよ。


タクシーが迎えにくるまでのあいだ、持ち物を用意して待ってたら、奴さんは部屋の中をうろうろ行ったり来たりしながら「うっし!うっし!」って謎の気合いを入れ始めた。わたしはお腹痛いのでツッコむ余裕もなく、1人でうっしうっし勝手に言わせておいたよ。





陣痛ごんごん


病院に到着。

産婦人科へ行くと助産師さんがわたしの子宮口の長さを測って「2、3cmかな、まだまだね」って、陣痛室という場所のベッドで寝てるよう指示したよ。子宮口って赤ちゃんが通って出てくるところ。10cmの全開になるまでは赤ちゃんは外に出てこられないから、その状態になるまではずっと横になってなきゃならない。

そのあいだにどんどんどんどん痛みが強くなってきた。



臨月に入ったばかりの頃、突然かなりの量の出血をしたときがあって、大事をとってひと晩だけ入院したことがあったんだ。

夜、ベッドで寝ていたら隣りの陣痛室から、まさに陣痛真っ最中の人のうめき声が聞こえたんだよ。「痛い痛い」って本当に切迫したつらそうな声だった。その声を聞いてたら心臓がドキドキして眠ることができなかった。

そんなことがあったから、自分だったら本陣痛のときどうなるのかなと考えて、もしかしたら痛みのあまり奴さんにひどい暴言を吐くかもしれないと、予め彼には「暴言吐いたとしてもそれは本心じゃないから見過ごしてね」と頼んでおいたんだ。



だけど実際は痛くて暴言吐くどころじゃなかった。とにかく痛いときは呼吸をとめないようにすることだけ意識して、痛みが引いてるあいだは脱力して、あちゃさんにもずっと酸素が届くよう気をつけるのと体力温存以外はなにもできなかった。

だって、痛いとかバカヤローとか死んじまえとか、言葉を発するのもエネルギーを使うからさ、そんなことに大事なエネルギーを消費できないと思ったんだ。



でも痛過ぎて「ゔー」だの「あー」だの「ごぉー」だの、そんなふうにうめいてた。陣痛ごんごんだよ。

そうしたらベッドの横にいた君のおとうさんはね、わたしの様子を見て「ぷぷぷ」って笑ったんだよ。信じられないよね。痛みが引いたときになんで笑ってんのと聞いたら「ちょ、ごめw、なんかいつものnicoさんじゃないからww」だって。

本当に言葉のおしりにwがくっついてたの。そんで笑いを噛み殺してるの。

痛がってるわたしを見て笑うなんてコイツどうかしてる、マジでマジで頭にきたので「出て行け」と言ったら、ごめん!もう笑わない!ほんとごめん!って謝ってきたけれど、また陣痛が始まったからなにも喋れなくなってしまった。

そのときは、立ち会い出産を選んだことを本気で後悔したよ。





明け方、いよいよゾンビ


基本的にお腹の赤ちゃんや母体に異常が起こらない限り、とにかく分娩できる状態になるまでは陣痛に耐え続ける以外なにもできないんだよね。

最初のほうはお腹全体がギューって痛かったけど、だんだん痛む場所が変わってきて、お腹の下のほうと、腰の辺りがもっとごんごん痛くなってきた。



妊娠中に読んだ出産体験のエッセイでね、その人は無痛分娩を選んだのだけど、説明会のときお医者さんから痛みの度合いについてのグラフを見せられたことを書いていた。

グラフに1から10まで数字が並んでいて、骨折はこの数字、指の切断はこの数字、っていう具合に痛みを数値化したグラフを指して「それでは陣痛の痛みはどこに位置すると思いますか」とクイズを出されたんだって。

この流れだと10かな?って考えてたら「正解は……、ここでーす!」と、10よりもっと上のほうのグラフから外れた紙のはじっこを先生は指したんだって。だから、うわーっマジか!陣痛やばい!と騒然となったらしい。

すると先生が「でもね、皆さんは無痛分娩を選んだので。大丈夫でーす!」そう言ったから、うおーヤッター!無痛分娩バンザーイ!と会場が沸いたエピソードだったの。



無痛分娩は羨ましかったけど、わたしと奴さんはお金やその他の事情でその出産方法を選ばなかった。陣痛はすごくすごく痛いんだよ。



それでね、お腹の下周りは骨盤という骨があるんだけど、大きなボーリング玉を正体不明の怪力人間にぐりぐり押し込まれるみたいにメキメキとそこが痛むんだ。

それから、お股を覆う骨は恥骨というんだけど、そこもゴジラが両手で無理矢理こじ開けてくるように痛かった。



耐えるのが限界に思えて明け方頃、ナースコール押したんだよね。すると助産師さんがやってきて子宮口の開き具合をまた測った。

「わあ、もう8cmまで開いてる。あなたすごいね。進み方が早いね、痛みの逃し方が上手なんだね」って言われたけど、なにがすごいのか上手なのかわからない。めちゃくちゃ痛いだけで逃し方とか知らないよ。つーか、痛みを逃せるのならその方法教えて。



君のおとうさんにはうちわで扇いでもらったり「お茶飲む?」とか「身体さする?」とかいろいろ声を掛けてもらった気がするけど、正直痛くて痛くて彼の気遣いについてはあまり覚えてないんだ。


今この痛みから逃れるには死ぬ以外に方法がない、って考えたよ。殺してと頼んでも殺してもらえるわけがないから、自分で舌を噛見切るしか死ぬ方法はないなぁ。でもそうしたらあちゃさんもお腹の中で死んじゃうし、君に会えないまま死んじゃうなぁ。

陣痛ごんごんを感じながらそんなことを考えてた気がするよ。



しばらくしてまた助産師さんがやってきて「あ、そろそろ10cmだね!分娩室行こうか、歩ける?」と聞いてきたけど、首を横に振るのが精いっぱい。1歩たりとも歩けない。

で、車椅子に乗せられてがっーと分娩室まで運んでもらった。痛過ぎて白目剥いてたかな。身体も変に硬直してのけぞってたし、「ぐぉー」とか「うぉー」とかうめいていて、まさにゾンビになってたよ。





朝、君が出てくるとき


分娩室の分娩台にのっかってね、両脚を開いた。わたしはめちゃくちゃ汗をかいてて、奴さんが汗を拭こうとハンカチでわたしの顔を拭いてくれたんだけど、ペンペンペンペン、ずっーといつまでも顔の上をハンカチでペンペンしてるんだ。

そのペンペンがうざくて、もうやめてと言いたかったけど痛みで言葉が出てこないから、奴さんの手を思いっきり払いのけた。そうしたら横にいた助産師さんが、ぶっと噴き出したよ。



ぐぁーとうめき続けてたら君を取り上げる先生が入ってきて「声出すと力が逃げちゃうからね。声は出さないで代わりに横のレバーを握って踏ん張ってみてね」と言った。

そうか、と台の両側のレバーを握りしめた。それまでの自分の想像では、出産のときは奴さんの手を握って「nicoさんガンバレ!」って言ってもらいながら君が生まれてくる瞬間に臨む、そんな感動的シーンを想像してたけど、想像と現実は違うね。実際のところ、手よりレバーを握ったほうがずっと力みやすいしね。



「赤ちゃんが出てきやすいように少し出口を切りますね」と先生に言われて頷いた。どーぞどーぞ切ってくださいって感じだった。いつ切られたのか全然分からなかった。

出産前はお股をちょん切るなんてとんでもないと思ってた。だから出産経験のある友だちに切開するのはイヤだと嘆いたら「大丈夫!陣痛でそれどころじゃないから〜」って明るく笑われて、大丈夫って……、お股切ることがそれどころじゃないって……、陣痛どんだけ〜!とさらに恐怖が募ったっけ。でもその通りだったな。



「はい!次の陣痛で赤ちゃん出ますよ!」と先生が告げた。奴さんは助産師さんに、奥さんの上体を起こして赤ちゃんが出てくるとこを見られるようにしてあげてくださいと指示された。

奴さんはわたしの上半身を少し持ち上げて、わたしはレバーを握りしめて、その陣痛を待った。

そうしたらそろそろ来るはずなのに、なぜだかそれはなかなかやって来なくて、「しーん」と変な間が分娩室の中にしばし広がった。



で、ようやく自分史上最大の痛みが襲ってきて、ぐぬぬぬぬーっと残りの力を振り絞って踏ん張ったら「おぎゃー」って君の声が聞こえたんだよ。

君のおとうさんはね、その瞬間、パッとわたしを支える手を離しておいおいと泣き出した。

「あっ」とわたしの身体は台の上に戻ってしまった。君が出てきたときにまず目に映ったのは分娩室の天井だった。
だからわたしは君がこの世界に出てくる瞬間を見られなかったの。奴さんは見たけどわたしは見てない。ずるいよね。


本当にもう最後の最後までしょーもないよ、君のおとうさんは。


でも奴さんとはかれこれ10年以上の付き合いになるけれど、初めてだったと思う、声をあげて泣いたのは。

わたしはしばらく分娩室の天井を見つめながら、君の泣き声とおとうさんの泣き声を聞いていたんだ。





おはよう、はじめまして


助産師さんが君を抱いて、身体を拭いたり体重や身長を計測したり、色々な処置をし始めた。奴さんは出生届を書くためにいったん分娩室を出ていった。


すると助産師さんは小児科の先生を呼んで、なにやら相談し始めた。どうやら君の肺の中に羊水が入ったままで、うまく泣けない状態になっているようだった。

わたしはそのとき、役目を終えた胎盤やらが出てくる後陣痛の処置を受けてて、それもかなり痛いし、疲れきって声も出ず、脚を広げたまま顔だけを君がいるほうに向けてただ心配していた。

君の顔をまだ見れていなくて、小さな、出てきたばかりのその小さな身体を、少し離れた場所で確認しながら、あちゃさんがんばれがんばれ、って心の中で言い続けていた。


どうにか危険な状態は去ったようで、わたしも後産の処置を終え、分娩室は静かになった。

奴さんが戻ってきて、助産師さんが「もう大丈夫です、おつかれさまでした」と言って出ていった。



そこで初めて3人で数時間、分娩室の中で過ごしたよ。わたしはまだ分娩台から動くことができず、代わりに奴さんが離れた場所にいるあちゃさんの様子を実況してくれたんだ。

「ちっちゃい」「あったかい」って。

わたしが「見てる?奴さんのこと見てる?」と尋ねると、「見てる、俺のこと見てる」って。

「見てるよね、見てるよねー」って君に話しかけててさ、頭のてっぺんから出しているようなハイトーンボイスに思わず苦笑した。どこからそんな声が出るんだって。


奴さんはすでに君に夢中でめろめろだった。


そして彼は真面目な口調で「今まで生きてきた中で一番嬉しい。nicoさん、産んでくれてありがとう」と言った。

そうしたらね、陣痛が始まってから奴さんに対してたくさんムカついたことも、そこそこどうでも良くなってしまった。
奴さんの嬉しそうな顔を見てわたしも嬉しかった。


君のおとうさんは動画で君の様子を撮影して、逐一それをわたしに見せてくれた。

不思議なことに君はそんなに泣かなくて。目をきょろきょろ、舌をぺろぺろしながら、初めて見るこの眩しい世界をさっそく観察し始めている様子だった。



あちゃさんを見るまで、生まれたての赤ちゃんはしわくちゃでお猿っぽいと聞いてけれど、君の目はとても澄んでいてとてもきれいで、お猿みたいだとはまったく思わなかった。きれいな赤ちゃんだと思った。

君のおとうさんは「かわいい。かわいい。こんなにかわいいと思わなかった」と何度も言っていた。


まあ退院後は、母乳のケアや産後うつ、それからおとうさんのことを大嫌いになったり、いろいろと大変な日々が始まることになるんだけど、それはまた別の話。



がんばって出てきたあちゃさんにもお礼を言いたい、ありがとう。

10ヶ月間ずっとお腹の中にいたのにその日、外の世界に出たので、わたしのお腹は少し寂しくなった。

けれど隣りのベッドには、あちゃさんが確かにそこに存在していて、君のあたたかさを肌で感じられること、それはとっても素敵なんだと発見できた。


それから君のおとうさんはね、君が誕生してからびっくりするくらい優しくて柔らかい表情に変わったんだよ。

出産に立ち会ったおとうさんは終始まるで役立たずで、一時は彼の人間性を本気で疑ったりもしたけれど、あの夏の日の朝、君と君のおとうさんの泣き声を一緒に聞けたこと、それは最高に特別な体験として思い出になってるよ。

(一応おとうさんの弁解も書いておくと、陣痛の様子を見て笑っちゃったのは極度に緊張しており、処刑前に微笑を浮かべるような心持ち、だったとのこと。苦しい言い訳ですね。)



申し遅れたけれど、おはよう、あちゃさん。はじめまして。これからしばらく君が大きくなるまでのあいだ、どうぞよろしくね。







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