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【城】二本松城

2023/9/17

初見の感想、広っ!でした。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。ゆあんです。

城巡りの旅。今回は二本松城です。

築城は畠山満泰が応永21年(1414)にこの地に居を構えたとされます。天正14年(1586)に伊達政宗により畠山氏が滅ぼされると、豊臣秀吉の奥州仕置以後は会津領に組み入れられ、蒲生・上杉の支城として城代が置かれました。その後松下・加藤氏を経て、寛永20年(1643)に丹羽光重が10万700石で入封し、以後、二本松藩の居城として明治維新に至りました。このように中世から近世にかけて奥州の要としての位置を占めた二本松城跡は、中世から近世への築城技術の変遷を知ることができる重要な城跡として、平成19年7月26日、国史跡に指定されています。

二本松城ホームページより

福島を巡る旅の途中で寄ったので装備が山登り向きでなく、天守まで登るのは断念しましたが。麓の三の丸あたりまで散歩してきました。

街の道案内に従って行くと、まず現れるのが二本松城報館という建物です。郷土資料館的なアレですね。
入館料無料、展示見学200円と、良心的な施設です。
時間の関係でスタンプだけもらって移動しましたが。すみません。
はい。百名城スタンプはこちらです。

ここに車を停めて歩いてみたわけですが。

城内地図

公園内地図を見ると実は駐車場たくさんありました。
まぁ、車に乗りっぱなしの旅なので少し運動と思えば良いんですけどね。分かりやすい強がりですけど!

二本の松に挟まれて

二本松城ではなく、霞ヶ城というらしいです。
それ別名じゃないんですかね。

石碑から少し左に向かうと入り口があります。
入ったところにいるのは、二本松城少年隊のみなさん。

右に座ってるのはお母上でしょうか

福島といえば戊辰戦争の舞台と連想されますが。会津若松だけじゃなかったんですね。少しビックリです。

像の横を抜けて正門に向かいます。たくさん並んだ幟には丹羽のお名前が。
江戸期の城主、つまり二本松藩の藩主は丹羽氏なんですね。見慣れない家紋です。Xかな?

広い階段を登ります


こちらの正門は箕輪門というそうです。

箕輪門

 箕輪門は二本松城=霞が城の正門にあたり、江戸初期城主丹羽光重の建造である。
 城下箕輪村山中にあった樫の大木を主材としたのでこの名がある。

立て看板より抜粋

地図によると、この先が三の丸なのですが。
名物菊人形展の準備のため大部分が立ち入り禁止でした。残念。

準備中

三の丸の脇を抜けると、広い蓮の池がありました。
ピンク色の蓮の花がチラホラ咲いてます。

蓮の花見えますか?
拡大!

この先が天守へ続く城山の本番なのですが、残念ながらぺったんこパンプスにロングスカートで山登りするわけにもいかず、ここで終了です。
ちょっと奥に本坂御殿跡らしい建物の影は見えるんですが、準備中の菊人形に阻まれました。腹いせにリンク貼っときます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
それではまた。

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