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修論提出、修士試験、出産があった12月を振り返る

みなさんこんにちは。
既に前回の記事から6カ月も経っており、時間が過ぎるのは早いな~。と実感する今日この頃。
記憶が残っているうちに、人生で恐らく一番イベントの多かった2023年12月のことについて書き示しておこうと思う。

修論提出

2020年コロナが世界中に蔓延した年、私は当時カフェでバイトをしていたわけだが、皆さんもご存知の通り、ロックダウンという措置が行われ(ロックダウンという単語が死語のように感じさえもする)まぁステイホームだとかなんとかいってとにかく外出を禁止される日々だった。
暇すぎて考えに考えた挙句、困らない程度にお金があったら今何がしたいか?と自分に問い、ポンッと、院に進学したいなぁと思ったのがきっかけで院進学を決心。ステイホームのお蔭でパソコンに向き合う日々で、毎日暇だったし日本からの資料を順調に取り寄せたりなんだりして、2021年2月からベルン大学大学院の社会言語学科に入学した。

当時は、院試の条件である、修論80ページから100ページ(インタビューのトランスクリプト、参考文献などなどは除く)そして40分の口頭試験という課題に怯えまくっていたが、申請が通った時にはもうやるしかない、まぁ無理なら途中でやめようと気軽に院生活を始めたのを覚えている。

時は経ち

2023年秋学期は修論に向き合う日々。テーマは、スイス日本語バイリンガルの青年期における継承語言語の言語態度とアイデンティティ形成について。このテーマを深堀することを大前提に院に入学したので修論は個人的には楽しみで仕方なかったのだが、2023年5月、修論を書く予定の1つ前の学期に妊娠が発覚。予定日は2024年1月7日と婦人科の先生に言われた。

お~
なるほど、こんなタイミングで子を授かることになるとは。

と思いつつ、まぁとりあえず修論を書くことを始めた。
幸いなことに入院するレベルのつわりなどもなく、なんなら夏にいっちょ日本に一時帰国なんかもできて、修論もストレスなく書き続けることが出来た。

周りからは、よくそんな状態で修論書いてるねなんて言われたけど、子育てをしながら修論書くほうがハードル高いとイメージしていたので、とにかく評価はさておき、書き上げることを目標にひたすら毎日文献を読み漁り分析を行った。


提出日は12月4日。
当日の朝、印刷会社にて修論を印刷してもらい、できたてほやほやの修論を教授に直接渡しに行った。
(臨月なので夫に大学までの運転を頼んだものの、何故か夫が途中で高熱を出し、帰途は大雪の中臨月の私が運転するという珍事件まで起きた。)


修士試験

修論を提出し、色んなものの基準が満たされていると修士試験を受けられるというシステムだった為、その調査の為に時間が必要らしい。

しかし、我が身臨月の妊婦。
こちらの生活で培った交渉力を武器に教授に試験の日を通常より早めてもらうよう直談判するしか!と腹を括る。

教授にクリスマス前までに絶対試験したい!とにかく子を産む前に試験うけたいのだ!と結果交渉術全く不要な、いたってシンプルな駄々をこね、12月15日に修士試験を受けることが出来た。


今試験を思い返すと、あの質問にはもうちょっとアカデミックにテオリーと紐づけて答えるべきだったななんて思うけど、もう終わったことなので仕方ない。


英語もドイツ語も交えた、とにかくやりました感のみ満載の口頭試験だったと思う。10分のプレゼンも、プレゼンスキルゼロ!の紙を読んでるだけみたいなプレゼンだったので、もはや思い出したくもない記憶。ここに書き留めたらもう一生思い出すことは辞めようとおもう。





修士試験の後

やっと修論も院試も終わったよ!!!!
これで解放の身だよ!!!!

これでようやく生まれてくる赤ちゃんに必要なものを色々調べる時間ができたよ!!!

と舞い上がっていた。その時は生まれるまであと3週間猶予があると思い込んでいたので、とりあえず次の日も、そしてまた次の日も親しい人達にお祝いしてもらい、院修了(成績はさておき、試験には受かったことは教授から報告されていた)のパーティーを数日楽しんでいた。




出産

18日、大学病院での二回目の検査に行くことになる。羊水が少な目で心配よ。と婦人科の先生に言われた為に、院試の3日前に実は大学病院で1回目の検査を受けていた。その時の検査では問題ないけどまた来てねと言われ、そのまた来てねが12月18日だったのである。

まぁ問題はないっしょ!
と楽観的に考えていたら、どうも胎盤の機能が低下しているらしい。

お子の大きさは2700グラムあった為、もうそれなら出しちゃう?と、大学病院の産婦人科トップの先生に聞かれる。


あ、プ、プロの方がおっしゃるのであれば、は、はい。


と答えると


それなら今から分娩室が空いているかきいてみるね♪


とのことで、は?今から?
となったけど、時すでに遅し。


結局待機部屋に余裕が無かった為に、次の日の朝19日8時から誘発分娩を行うことになったのである。

そして、誘発分娩を3日間行い、22日に元気な第一子を出産。


12月4日
修論提出

12月12日
大学病院で1回目の検査

12月15日
修士試験

12月18日
大学病院で2回目の検査

12月19日
入院

12月22日
出産


まるでジェットコースターに乗っているかのようなこのスムーズかつ、スピーディーなイベント盛りだった2023年12月。



割と私の人生にはターニングポイントになりそうなイベントばかりが起きていた。本当は

あ~スイスの大学院生活はこうだったな~
あはは~

とかね、振り返りたかったし


赤ちゃんの部屋作り楽しみ~
これもあれも準備して
この家具はこの色のペンキ塗って
雰囲気変えたりして〜
赤ちゃんをお迎えしたいね~


とかね、考えたかったし、やりたかったけどね。


そんな余裕もなく、母親の役割を新たに担うことになり、バタバタしたまま2024年、新たな年が明けました。


ちなみに赤ちゃんの部屋は未だに若干家の中のごみ箱みたいに荒れていて大変申し訳ない状態。



まぁ今はゆっくり赤ちゃんとの時間を過ごすことに徹しようかと思います。


イベント盛りだくさん、なんだかハラハラした2023年12月だった。


自分が手に入れたいと思うものは、一気に手にいれることはできない。そして、もしかしたら今後も手に入ることがないかもしれない。

それでも、一つ一つ、順番に、丁寧にこれからも自分と向き合って、次は貪欲な自分のどの欲を満たしていこうか?

そんなことを考えながら(そんな余裕は今は無いけど)これからも過ごしていきたい。


チューッス