私が休学して、メディアをつくり、イランにいく理由

春。出会いと別れ。喜びとさみしさ。終わりと始まり。

いろんなことを考えながら、着々と渡航の準備をしたり、仕事を進めたり、しばらく会わない人たちとの時間を大切に過ごしたりしています。

1. このnoteを書く理由

はじめまして。きのぴーと申します。
この春から休学し、メディアを立ち上げ、イランにいくことになりました。

今回は、決意表明と、なぜこのような決断に至ったかを書きます。

自分と、自分が目指す世界に向き合い続ける原点として、これまでお世話になった方々、これから関わっていく方々に見ていただきたいです。


2. 私という人間

はじめに、長めの自己紹介をします。

私は1996年に生まれ、大阪の生野という町で育ちました。
家には、パートの母、サラリーマンの父、祖父母、そして兄と姉と亀2匹。
小中高と地元の公立高に通う「どこにでもいるような男子学生」です。

特別なことを挙げるとすれば、祖父母が在日韓国人1世で、私は韓国と日本のハーフでした。でも、地元の小中学校は半数が韓国系の生徒だったので、なんの差別や偏見も意識することなく、過ごしてきました。

(家から歩いて10分のところにあるコリアタウン。実はあまり行かない。)

高校に入ってから、私は水泳に夢中でした。
小学生の頃はスクールに通っていたのですが、中学校には水泳部がなく、高校に入ってから本格的に取り組むようになりました。

中学生のときに練習していなかったこと、高校時代に成長のピークがきたことが重なり、私はグングンとタイムを伸ばしました。顧問の先生が指導しない、自主的な部活だったこともあり、「速くなる喜び」を知るにつれ、やる気に火がつくようになりました。

コーチがいないなりに、アプリで練習と試合のデータを蓄積して、自分の癖や強み・弱みを把握し、評価と改善のサイクルを築いていました。

よく、「高校時代がんばったこと」を聞くと、「チームで部活や文化祭をやりきった経験」を耳にしますが、私はほとんどチームプレーを意識することなく、ただひたすらに自己研鑽に励みました。

私は本質的に人への関心が薄く、「自分」と「物事」に目を向けています。
(逆を言えば、ごく少数の人には、本気で向き合うことができます。)

私の専門はフリー(自由形、クロール)でした。
腕は親指から入水し、水を真後ろに掻き出し、小指から水上に出す。
脚は親指同士がギリギリぶつからない程度にキックを打つ。
身体と心が調和していると、体幹に力を入れるだけで全身が勝手に動く。

そんな状態がとても心地よく、「過去のどんな時よりも速い自分」と出会う瞬間が、なによりも至福でした。










それから4年近く、私は人生を迷い続けることになります。

高3の夏に部活を引退した私は、「大学受験」という選択肢しか知りませんでした。受験戦争の波に呑まれていきました。

自分らしさの象徴である水泳を捨てて、勉強に向き合わなければならない。正直地頭は良かったけれど、耐えてコツコツ続けるのはめっぽう苦手。小学校まで上位だった成績は、高校に入るときには真ん中くらいまで落ちて、次第には欠点をたくさん取るように。

変に頑固だったので、塾に通うこともせず、授業がない日はずっと家でダラダラと過ごします。時々、英単語帳を見ていた記憶だけはあります。

2015年2月、第一志望の大学に落ちて浪人します。

その後、予備校で一番上のクラスに入るも、授業についていくので精一杯。
「予習→授業→復習のサイクルをつくっていきましょう」というTAさんの声もむなしく、最低限授業に出るだけの生活を送ります。

2016年2月、弱さを乗り越えられなかった私は、また第一志望に落ちます。

受験生でいることは私にとって、とても辛いことでした。
受験生の自分を一言で振り返るなら、これだけです。

「30%もがんばれてないのに、終わってしまった。」

がんばれなかったことに悔いを残しつつも、「もう終わったことだし、大学名が大事なわけじゃない」という姿勢で同志社大学社会学部に進学します。


3. 大学で生きるということ

大学は、キラキラした人や団体がたくさん存在しているように見えました。
帰国生徒の多い内部進学組や、関東や中部、韓国、中国など様々な国と地域からやってくる学生。高校とは違う、多種多様なサークル。

私は、今でも活動しているAIESECを含め、10近い団体に入ります。
フリーペーパー、インドカレー、短歌、観光など、好奇心の赴くままに手をつけていきました。

どのサークルも悪い人はいなくて、楽しめるポイントがありました。でも、どこにいても、うまく馴染みきれず、私は焦ります。一部の団体に集中しなかったせいもありますが、表面的には仲良くできても、心で深くつながることができませんでした。

今思うと、その原因は2つあります。
 ①自分の内向的な性格
 ②自分らしく在れなかった

①自分の内向的な性格
昔から、大人数でワイワイするよりも、少人数でこじんまりと過ごすことが好きでした。大規模なパーティや飲み会はそれなりに楽しめるけど、そこで元気になるというよりは、いつも疲れてしまいます。要は、アウトドアも楽しめる内向的なタイプなのです。入学直後は、どうしても広く浅くしか人との関係を築けず、精神的な負担が大きかったと思います。

②自分らしく在れなかった
ずっと、「みんなと同じ大学生」になろうとしている自分がいました。
飲み会に行くとか、サークルに入るとか、バイトをするとか、恋人をつくるとか、自分の心に向き合わず、自分の意思を尊重せず、みんなにとっての当たり前を追い求めていました。
「やりたいことってなんだろう」「自分はなんのために存在するんだろう」こんな悩みにぶつかり続け、私にとって苦の根源となります。

結局、6月頃には、ほとんどAIESEC一筋になりました。
しかし、当時のAIESECは、大きな方針転換によって事業の停滞を生み、私の所属する支部も不満ばかり聞こえる、死んだような空気でした。
1年生の中では、責任の大きい仕事をいただきましたが、チームの誰もその仕事に目を向けず、一人で抱え込むようになりました。
夏休みには、苦しみに埋もれる自分に耐えきれず、数日間連絡を絶ったこともありました。



そんな1年生の前半、大学のキリスト教文化センター主催の「傾聴」というオープン・プログラムを受講していました。

社会福祉法人 京都いのちの電話の方が講師を務め、フランクル※が編み出した「ロゴセラピー」という人が生の意味を見出すことを援助する心理療法を学びます。同志社大学生だけでなく、地域の方も来られます。
※ナチスの強制収容所を描いた『夜と霧』で著名な精神科医、心理学者。

印象的だったのが、プログラムの参加者の方々のことです。
大学に馴染めない学生、一見力強そうだけどパワハラを受けている方、
ニートの息子とどう向き合えばいいのかわからない方、
夫からDVを受けていて、さらに病気のため外で活動するのが困難な方。

大学で普段出会わない、出会ったとしても気づけない、いろんな苦しみを抱えている人がいることを知りました。みんな、自分と比べるとあまりにも深刻だと感じ、当時はどう向き合えばいいのかわかりませんでした。



"Peace & Fulfillment of Humankind’s Potential"
「平和で人々の可能性が最大限発揮された社会」

このような経験を経て、社会問題とか、リーダーとか、あんまりわからなかったけれど、AIESECの理念を心のどこかで信じたかったんだと思います。

3回くらい「もうやめたいです」と先輩や同期に話しながらも、2年目に。



大学2年生は、2年間限定で京都に住み始めます。
家族と過ごす時間の代わりに、大学の友人と過ごす時間が増えました。
AIESECでは、広報やデザインの仕事を新たに始め、大学でも「プロジェクト科目」という地域の企業・NPOと協力する課題解決型授業を受けます。

私は色んな学部の2,3年生18人のリーダーを勤め、「SDGsの普及・促進」というテーマで1年間活動させていただきました。関西のNPOや学生団体のお話を伺ったり、シンポジウムでお話したり、ブース出展したり、色んな経験を積みました。水泳でまったく人に向き合わなかった私が、人生ではじめてリーダーの役職をもらい、失敗を重ね続け、「リーダーとは」という問いに向き合いました。

その中で一番大きかった学びは、SDGsのコンセプトとして掲げられている「Leave No One Behind(誰一人取り残さない)」を考え続けたことです。
これは、いま私がもっとも大切にしている「inclusion(包括、包含)」という考え方に結びついています。



この年の秋頃から、AIESECの支部の次年度執行部として歩むべく、日本中のアクティブメンバーが集まる合宿に参加したり、色んな先輩に相談したりするようになります。

そして、11月には、次年度の役職が「広報ブランド戦略統括に決まります。その時は、「今までがんばりきれなかったモヤモヤを、ここで晴らす」という気持ちで、本気の決意をしたつもりでした。

しかし、徐々に歯車が狂い始めます。

2018年1月、8人いた執行部チームの内の1人が離脱し、私が代わりに財務統括を務めることになりました(今では、のびのび元気にやっています)。

ファイナンスの経験がまったくなかった私は、悩みに悩みます。
もともとホウレンソウが苦手だったこともあり、どこまでを自分で調べて、どこからを先輩に質問すればいいんだろう、という判断がまるでできていませんでした。

ちゃんと資源配分できているのか、よくわからないまま予算を組み立て、2018年度の活動が始まりました。

3~5月は、採用期間(新歓)だったので広報としてフル回転していました。
SNS運用やカスタマージャーニー設計、イベント会場などハード面のデザイン、その他オペレーション全般を、ヘトヘトになりながらもこなしました。

4月は、授業を受けて、夜に新歓イベントをして、SNSを動かして、残りの仕事をして、家に帰るとすぐ倒れるように寝る生活を送っていました。

結果、50人近くの新入生が入会し、25の支部の中でも大成功だったと言われています(自分の貢献した部分は、ごくわずかだと思っていますが)。

2018年度、このときが私のピークでした。

採用期間が終わると、イベントのような短期的にモチベーションを上げて向き合えることが、自分の中でなくなってしまいました。

なんだか胸の奥が苦しくて、でもそれを誰に打ち明けたらいいのかわからない、そんな気持ちでずっと生きていました。支部のトップとして、つらい姿を見せてはいけないと思ったから、後輩の前では完全に隠していた(つもり)だったし、自分の心をわかる人は、自分も含め、どこにもいなかったと思います。

5月から8月中旬まで、こんな状態がずっと続き、春時点で計画していた戦略もあまり履行できないまま、耐えるだけの時間が過ぎていきました。

そして、突然その時はやってきました。

8月中旬、これまでにない責任の大きな仕事をしていた時。
私は計画的に物事を進めるのが苦手だから、その弱みを乗り越えるために、かなり余裕を持って進めることにしました。7月下旬から週に2回はメンバーと数時間の共同作業時間を設け、できるだけ工数を可視化しました。

でも、ダメでした。私にはできませんでした。

「どうにか進めないと」と焦りながら自分を奮い立たせる反面、どんよりと身体を重くするなにかが自分の中にあって、期限の直前で私は「それ」に打ちのめされました。

私は、最低限の生活以外のすべてを捨てました。

2週間くらい、1日のほとんどがベッドの上。
テレビとスマホを眺め、ごはんを食べて、たまにお風呂に入る。
パソコンもちょうど壊れたので、情報源はテレビとネットのニュースだけ。
誰とも会わないし、誰とも喋らない。

自分の世界は、数十人の仲間がいたところから、たった一人になりました。

人間関係がなくなり、孤独と向き合うようになりました。

予定がまったくないので、時間的制限から思考が解放されました。

「あの時どうすれば失敗しなかったんだろう」
「一体なんのために生きているんだろう」
「私はなにを大切にしたいんだろう」

ベッドの中で、ずっとこんなこと考えていたと思います。
良くも悪くも、「理想から描いていこう」という当時のチームの文化が根づいていたので、病んだ心でも思考は建設的でした。

そこで最終的に到達した答えは、
「好き嫌いに関わらず、誰も排除されない世界で生きたい」でした。



少し過去の話に戻ります。
実は、去年の2月頃から自分のセクシュアリティに疑問を抱き始めました。そして色々調べた結果「Xジェンダー」であると自認しました。

Xジェンダーは、「男性と女性のどちらでもある」「男性と女性のどちらでもない」「男性と女性の中間である」という3つの内のいずれかであると言われており、私自身はどれもそうだし、どれも違うと感じています。

それは、「男らしさ」も「女らしさ」も、社会によって規定されたものでしかなく、普遍性がないと考えているからです。在りたい自分の姿が、社会から見ると、男らしいこともあれば、女らしいこともあり、どちらでもないこともあると思うのです。

だけど、そんな「在りたい姿」を見失わせてしまう社会の常識や同調圧力が、私にとって一番の壁だと感じました。

人々の意思や価値観を尊重することなく存在し続ける「社会の当たり前」は、人を苦しめる檻にしかならない
と思っています。

やがて私は、そんな「〜すべき」「〜あるべき」に縛られないことを、「inclusive(インクルーシブ)」という言葉で表すようになりました。

inclusiveとは、日本語で包括的・包含的という意味です。
私はinclusiveを、「あらゆる人々に対し、好き嫌いは別として、存在自体や個性を受け止められる状態」と定義しています。

自分のことでさえ、100%理解することは一生叶わないのだから、他者を完全に理解することはできません。だから、「誰も何事も完全に理解しきることはできない」という前提の中で、人や物事と向き合います。無理解の中で、「なぜこのような言動をするんだろう」「それさえもわからないけど、なにかしらの経緯があることは間違いない」と、存在自体を受け止めます。

理解しようとする姿勢を捨てるのは、受け止める可能性を失うことです。
受け止められないということは、差別や排除をするということです。
受け止めることは、偏見を持っていたとしてもできると思います。

というか、「まったく偏見を持っていない」という状態が存在すると考えることが、根本的に誤っていると思います。「自分が完璧に理解している」と知る術はないからです。

なぜそうなのか理由はわからなくとも、意思や感情を聞くことはできます。
だから私は、理解しようとする姿勢は捨てません。


4. 夢と決意

自分の心が落ち着いた頃、私は元の社会に戻る準備を始めます。
休んでいたのは大学の休暇期間だったので、授業は普通に行き始めました。
AIESECのメンバーと対話を重ね、「私のなにが良くなかったか」「チームにどんな課題があったか」「今後どうしていきたいか」など、私の主観と皆の主観を重ね、それらを通して見える客観を捉えました。

6人の執行部メンバーは、私の抜けた穴を埋めることで忙しいはずなのに、時には何時間も話し合ってくれて、私がチームの中でどう在るべきか考えてくれました。

私は最終的に、執行部という役職を降りました。
やはり、最低限の機能を果たせなかったので、それ自体は素直に受け容れることができました。

その後は、広報を中心として、自分たちのMissionを胸に走り続けました。

ともに生きた、執行部のメンバーたち(一人いない)



AIESECに復帰すると同時に、私は自分の将来に目を向け始めます。
10月、「すべてのLGBTが自分らしく働ける職場に出会えること」を目指す株式会社JobRainbowに、ライターインターンとして入りました。

経緯としては、8月に株式会社賢者屋と共催の1Dayインターンシップに参加した後、参加者インタビューを受けました。その際に「JobRainbowってインターンは募集してますか?」とお聞きしたところ、Skype面談させていただくことになり、その場で採用していただきました。
(ちなみにこれが、3年生になって、最初で最後の短期インターンでした)

会社が東京にあるため基本的にはリモートワークで、正直あまりコミットできていないのですが、自分たちのVisionのために世界を着実に変えていく姿からいろんなことを学ばせていただきました。

つい先日、700名近い就職活動・転職活動中の方が参加するイベントを開催し、「LGBTが就職で差別されない世界」は確実に近づくのを感じています。



その他にも、自分のロールモデルや憧れている人、関心が近い人を中心に、お話する機会を積極的につくるようになりました。

人権啓発の動画に出たり、

ライターとして尊敬してやまない「milieu」塩谷舞さんのお話を聞いたり、

性や多様性についての漫画メディア「Palette」編集長の合田文さんに1対1でヒアリングさせていただいたり、

セクシュアリティ診断サービス「anone,」を運営し、AIESECの先輩でもあるたかひろさんにも時々相談にのっていただいたり、

ソーシャルグッドを行う人を継続的に支える為のプラットフォーム「ビスケット」の株式会社祭 CEO しみこさんともお話させていただいたり、
(ビスケットとしみこさんの詳細はこちら!)

ICCでは、いろんな登壇者、スタッフ、参加者の方々とお話ししたり、
(ICCについてのnoteはこちら!)

また、NewsPicksで有名なUZABASE 代表取締役社長 稲垣さんから、短時間でしたがフィードバックをいただいたり、

株式会社人間主催の「ライター交流会」でプレゼンさせてもらったり、

秋から冬にかけて、色んな人とお話し、やりたいことを模索していました。

その中で一歩踏み出すきっかけとなったのは、塩谷舞さんの言葉です。
塩谷さんがご自身のお話をされていたときに、「編集長って、なんかすごい感じするじゃないですか笑笑」というようなことを仰っていました。

塩谷さんからすれば、何気ない一言だったと思いますが、私は気づきます。

「メディアって、つくるだけなら簡単だ。自分にもできる!」

「C◯O」とか「〜〜理事」とか「〜〜代表」とか、世の中にはカッコよさそうな肩書きを名乗っている人がたくさんいて、彼らは少なくとも数年は届かない、自分から遠い存在だと思っていました。

「でも、そうじゃない。最初は、誰もが無力で無名なんだ

そうして、メディア「inclue」が誕生しました。


5. 私がつくる未来

inclueは、
「人々が常識を見つめ直し、インクルーシブになる『きっかけ』をつくる」というMissionを掲げ、2019年3月13日にローンチさせていただきました。

今まで、恋愛観をアップデートしたり、

イベント開催をしてきました!

仲間も続々と増えており、私と東京の大学生2名、京都の高校生1名の計4名になりました。

「居場所の未来」というイベントの登壇者の方々から、直接とTwitter上で応援コメントをいただきました!(文面だけだと淡々としてる笑)



私がつくる未来は、「インクルーシブな世界」です。
先ほども述べましたが、「あらゆる人々に対し、好き嫌いは別として、存在自体や個性を受け止められる」そんな世界をつくっていきます。

互いに存在していることや、個性を持っていること、好きなものがあること、大切にしたい人がいること、もしくは嫌いなものがあったり、許しがたいことがある。人々が、そんな「当たり前」を受け止め、共存することができる社会を目指します。

「私とあなたは趣味も価値観も全然違うけれど、お互いが自分なりに生きていくこと自体は素敵なことだよね」って言い合える世界にします。

2040年、いま社会問題とされているような、LGBTや黒人、ムスリム、障害者などに対する差別・偏見が、その時代の子どもたちが「そんな歴史があったなんて知らなかった。想像もつかないよ」と言ってもらえるような、平和な未来を築き上げます。


そのために、もう一つ今年がんばることがあります。

明日から半年間、イラン留学に行きます。

インクルーシブな世界をつくるためには、まず自分が誰よりもインクルーシブな人間になる必要があると考えています。

イランは、イスラム教の中でも少数派であるシーア派が多い国で、反米意識も強いです。日本とは思想や価値観が対極にあると言えるかもしれません。

イスラム教もペルシア語もあまり詳しいわけではありませんが、だからこそ学ぶ価値は大きいと思っています。

3月には、ともにイラン留学に行く方々と、大学を仲介していただいている事務所に伺いました。イラン政府から国費で学費全額と生活費の一部を援助していただけるプログラムがあり、今回はそちらのお世話になります。


6. 最後に

長くなりましたが、ご一読いただき、ありがとうございました。
以上が、私の未来に向けた決意表明です。

私は今まで、たくさんの方々に応援していただきました。
でも、まだまだ未熟で、無力で、なんの結果も出していません。

インクルーシブな世界をつくるためには、あらゆる人々と協働していく必要があります。なので、まずは知ってもらうことから始めていけたらと考え、想いをつづらせていただきました。
きっと恩返しできるよう、全力でこの1年を過ごしていきます。

今後とも、私とinclueを末長くよろしくお願いします!

【2019/5/13追記】
inclueでnoteをはじめました!
愛情に溢れたコンテンツがどんどん創っていきます!


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きのぴー / inclue

人々がインクルーシブになる「きっかけ」をつくるメディア「inclue」編集長。NPO AIESEC広報を経て、春からイランへ。

”国際系” note まとめ

This magazine curates notes relating to stuffs between globalness and localness.
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