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二度と繰り返せないということ

ーいろいろトラブルやムカつくことはあったけど、やっぱり好きなところもある。そんな町を歩くのも、これが人生で最後になるかもしれない。


でも、しばらくして、それは誰でもない未来の私の気持ちだと気づいた。



いま、私はイランに留学している。一緒に留学している日本人が9名いたのだが、そのうち数名が諸事情により早期帰国することに。


帰国日である7月4日の夜、私は彼らの「最後の買い物」についていった。


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彼らは主にお土産を買うため、お菓子屋さんやジュエリーショップ、カバン屋さんなど色々回った。

夜21時頃、概ね目的を果たしたが、「最後に町の中心をぐるりと一周回ってもいいか?」と尋ねてきた。

その日も授業があったので多少疲れてはいたが、「いまは彼らのための時間だ」と思ったので、二つ返事で承諾した。



それからと言うものの、彼らの一挙一動、一言一句は、今日と同じ明日は来ない、そんないつもとは違う「最後」を何度も私に確かめさせた。

彼らと一緒にいると、「自分も今日帰国するんじゃないか?」と思えてきて、名残惜しい気分になってくる。まだ2ヶ月いられるのに、もう二度とこの場所に来れないような、そんな寂しさが溢れ出してくる。

もちろん、「彼ら」がいなくなることに対する寂しさもあったが、それ以上に、自分にも同じ未来が訪れることが、どうしようもなく寂しかった。


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自分もいつかこの町とお別れしなきゃいけないことをまざまざと思い知らされたのだ。




別れというものは、突然やってくることもあれば、定められた期間によって、じわじわと迫り来ることもある。

前者は衝動的な嘆きと悲しみを生み出すが、後者は風船のようにゆっくりと気持ちをしぼませて、物寂しさが滲んでくる。


この留学は、二度と繰り返せないということをいつも学ばせてくれる。

5ヶ月間というすごく長いわけでも、すごく短いわけでもない不可変な期間が、「もう2ヶ月たったのか」「この6月は、一体なにができたんだろう」「あと半分だ」と、こまめに振り返ることを私に強いてくるからだ。


時々、7月4日を思い返しながら、「今日がこの国にいられる最後の日だったなら、私はどうするだろう?」と考える。考える過程はいつも同じだ。


「この時間は二度と繰り返せない」


そう思えれば思えるほど、後でやったらいいことなんて存在しないし、目の前の人たちは愛おしくなる。大きな夢も、目を背けたくなるような悩みも、向き合いたいと思える。

7月になって、少しずつ頑張れるようになってきた私。本当にえらい。

もっともっと高いところにいこう。でも、一歩ずつ進んでいこうね。

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