「2011年4月初めの、オムライスのテイクアウト」

トマト味が好きです。

野菜のトマトは、真っ赤に熟したものよりも、
むしろまだ緑の部分が残っているものの方がずっと好みなのに、
あれは一体何故なのでしょう?

あ、…真っ赤なミニトマトは普通に好物で、
ざっと洗っただけのを、籠の上からスナック菓子みたいに摘んでいるうちに、
気が付くと籠が空になっている…という事態が、しばしば発生します。

あの、爆発するみたいな旨味のトマトの風味…。

などと書くと、トマト嫌いの方からの総スカンを喰らうのは目に見えておりますが、

…でも、世の中には、

「野菜のトマトはどうにも駄目だけれども、トマト風味はイケる」

と仰る方も、おそらく一定数おいでのことと存じます。

昔、トマトに砂糖を…というのが、本邦で実際にあった風習らしいのですが、
(明治中期から後期辺りのお話らしいです。「血肉の味がする」のを誤魔化すためだとか)

トマトには、やっぱり適度な塩分でしょう!…と、強く思うものです。

あと、できれば香辛料も少々。
胡椒にバジル、オレガノ、あとパセリも。

で、…意外に思われる方もおいでかも判りませんが、トマトと卵は結構相性が良いんです。 

買ってきたトマトが食べ切れずに熟れ過ぎた時によくやるのですが、

玉ねぎと、あればベーコンかハムも一緒に、まず炒めておいて、
ざく切りのトマトを放り込み、ざっと馴染ませて下味を付け、
そこに卵液を流し込んでスクランブルエッグに…とか。
(その際、もし冷蔵庫にあれば、ついでにピザ用チーズも、風味付け程度に卵液に…)

あと、これもざく切りにしたトマトを入れたスープの卵とじ、とか。

いえ、普通に買ってすぐのトマトを使っても、充分以上に美味しいのですが、
個人的にこの二品は、どうしてもやや熟れすぎの感のあるトマトを使わないと、味が出ない気がします。

ともあれ、そういう訳で、「トマト味」と「卵」の要素を合わせ持つ「オムライス」は、
我が好物の上位ランカーの内のひとつです。



2011年の大震災の一ヶ月ほど後、4月も10日前後の桜ももう終わりという季節、

私は自転車で買い出しの途中でした。

細かい事情は今では記憶にありませんが、
恐らく、牛乳の購入個数制限で駅ひとつ向こうのスーパーに行き、
ついでに、その近所で所用を済ませた帰りだったかと思います。


以前母とよく行っていた洋食屋さんの前を、久し振りに通り掛かりました。
煉瓦を外壁に使った、青銅色の金属製の看板のある、小体なお店です。

ふっと、ブイヨンスープの匂いがしました。
当時、未だ震災の後の混乱の騒がしさが収まらない世の中で嗅いだ、
懐かしい日常の匂いでした。

思い立って、自転車を止め、お店に入りました。

「営業中」の札が出ていましたけれども、お店の中には誰もいませんでした。
午後三時過ぎという、半端な時間帯なのもあったかも知れません。

「いらっしゃい」と顔を出した白い上っ張りのご主人に、「オムライス二人前の持ち帰り」をお願いしてみました。

「持ち帰り…」と首を傾げながらも、ご主人は支度に取り掛かってくれました。

(コロナ禍の現在と違い、
当時は、専門のお店以外でのテイクアウトの概念はまだ普及していませんでした)

母と一緒に来た時に好んで座った、窓際の席に掛けさせてもらい、
人のいない店内で出来上がりを待ちました。

しばらく経って、白いビニール袋を手にしたご主人は、
「オムライスはやっぱり出来立てが美味しいよ。今度はちゃんと店に食べに来て」と言いながらも、
出来上がった「オムライス二人前のテイクアウト」を渡してくれました。

冷めないうちに…と、できる限りの速力で自転車を漕いで帰宅しました。
買い出しの荷物もあって結構大変でしたが、気分はすこぶるわくわくしていました。

帰宅して母に「実はこれこれ…」と話すと、
まずは一声、
「あそこのオムライスは、お店で出来立てを食べるのが良いのに…」と、
最前お店のご主人に言われたのと同じことを言われました。

でも、私が、オムライスの入った白いプラスチック容器を載せた大皿を目の前に置き、
上から、これもまたほんのり湯気の立つドミグラスソースを掛けると、
何やらわくわくした様子でスプーンを構えていました。

お店のご主人や母の言った通り、
幾らか冷めてしまったのと、
あと、時間の経過で卵液が固まってしまった分、
昔、お店で頂いた時の記憶の味よりは少し劣りましたが、

それでも、卵とバターのふんわりした風味と、
トマト風味のチキンライスの旨味、
それに、ドミグラスソースのまろやかなコクの合わさった、懐かしい味で
やっぱりしみじみ美味しかったです。


その時、
「今度は絶対にお店で食べようね」と
母と約束したのですが、
結局、果たせずに終わりました。
あのお店にも、それ以来行っていません。

でも、あの時の、震災後の騒動で少し色々ささくれ、また磨り減っていた時に頂いた、あのオムライスの味は、
「もう戻れないけれども、今でも心を支えてくれている、懐かしい時間を象徴する味」として、
今でも忘れられません。



最後まで拙文にお付き合い下さいまして、誠に有り難う存じます。


 


#元気をもらったあの食事

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