プライベートと演劇、その関係性うんぬん

7月半ばに「容疑者Xの献身」が終了してから今までの約2ヶ月間、社会に潜り込み、勤労していました。

舞台のお仕事が無いときは、とあるNPO法人で働かせてもらっています。
一応アルバイトなんですけど、毎日いろんな種類の業務をやります。
おかげで普通に演劇だけをやっていたんじゃ知り合えない人と知り合えたり、行けない場所へ行けたり、知り得ない知識を得られたり。

これがなかなか楽しいことで。

演劇以外でも働く場所があって、それが楽しく感じるなんて、なんて素晴らしい環境なんでしょうか。わたしは幸せ者です、ほんとに。

そんな感じのなか、働きながらもやはり演劇を感じて、この体験を演劇に還元できないかと感じずにはいられない日々だったりします。

取引先とのメールのやりとり。
先方との打ち合わせ。
社内でのディスカッション。
データの取りまとめ。

これらが具体的にどう活かせられるか分かりませんが「日々是演劇」を心掛けているのでした。
そんな時間が、人間と演技を成熟させる期間でもあると信じているのです。

しかし、些細な考え方の違いですが、演劇のためにプライベートを犠牲にしたくないです。

(わたしにとって)悪い演出家は言いがちです。
たとえば、愛の告白が上手くできない役者に向かって

「お前は恋愛経験が足りないんだ」

とか。そういう役者のプライベートに踏み込んだ演出発言は古いと考えます。

役者自身が思い至って、「よし!恋愛しよう!」とか思い行動することに異はありません。
だけど、演技の至らなさにかこつけて、役者自身のプライベートに第三者が言及すべきではありません。

役者自身も無理矢理、何かを経験しようとしたりしてはいけません。

ホストの役を演じるにあたり、ホストを勉強する必要はあります。そのうちポジティブに「よっしゃ1日体験入店してみよ!」と思い、行動するのは悪くありません。
だけど「行きたくないな」と思うなら無理して体験する必要はないのです。

演技は想像力が基本です。
目の前に好きな人がいたら、どう告白するか。
自分だったら。
自分が演じなければならない登場人物だったら。

想像力を働かせ、目の前の共演者に集中することが何より大切で、役者自身に恋愛経験があるかないかなど、どーでもいいことなのです。

ただし、経験は演技に出ます。
これは絶対そうです。

わたしは料理が全くできないので、料理の演技となると、料理のできる役者には敵わないでしょう。

そういうもんです。

だけど、嫌ならやる必要がない。
(もちろん、料理のシーンが来たらたくさん練習することになりますが)

もし、演技のために、嫌々何かに手を出そうしている人がいたら、やめましょう。

さあ、来週には「トリツカレ男」の稽古が始まります。わたしが社会生活で得た、なにがしかを、演技に還元させるときが来たようです。

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