いまの自分にしか書けないことを書く

いまの自分にしか書けないことを書く。

いまの自分にしかつくれないものをつくる。

いまの自分にしか思いつかないことをする。


いまの自分が考えていることは、あとになってしまったら意外と思いつかない。似たことは考えてもロジックが違ったり、表現が違ったりします。

いまの思考を新鮮なうちにアウトプットするのは、大変なようだけど楽しい。生きている気になれる。あくまでもその気になれる程度だけど、生きている気がする。

前田裕二さんがメモをするのは、ある意味そういう側面もあるんじゃないかと思います。記憶・記録のためのメモと、知的生産のためのメモ、そして生きている実感のためのメモ。

ぼくには3つ目の意味がすごく強い。昔からそうです。感動したり、素敵なことがあったら、それをメモしておかないと、できごとは宙に浮かんで溶けてなくなってしまう。そんな感覚があったから、良いことも悪いことも、「消したくない」と思ったものをメモしたり日記に書いたりしていました。先輩や年上の方から「よしくんのメモを集めたら本ができそうだね」と言われていました。(幼少期は“よしくん”と呼ばれていました)


いまを書き残しておくと、あとで当時の自分と会話ができるし、自分自身の変化がよくわかります。人に話すこともできます。

スポーツでも仕事でも勉強でも、できない新人の気持ちがわからず叱りつける人っていますよね。全員が当てはまるわけではありませんが、あれの多くはできなかった当時の自分を忘れているんだと思います。覚えている人は、自分もそうだったことを思い出して、どうしたら早く覚えるかを実体験から考えるでしょう。

そんなふうに、「いま」をたいせつに書いておくことは、ただ単に記録にとどまらず、自分や人の糧になります。なにより、思考の整理ができるので、あとでクリエイティブなことをするときに役立つのです。

これは、このまえ記事に書いた「過去にストーリーのない人などいない」という話と同じです。書いて残したことがそのまま、あとで使えるコンテンツになる。それに、人が成長するのに必要なステップだと思うんです。

あくまでぼく個人の見解ですが、思考は発展していくものです。どこからともなくふと新しいものが湧くように思われるかもしれませんが、自分の思考のバックボーンを基にしてその人の思考は、日々、発展しているのです。

進展していくための土壌となる思考がなく、いきなり次のアイデアにいたることはできません。

書き記す習慣がないと、「自分は幼いころから考え方がなにも変わっていない」と思い込んでしまうのです。それは大人になってからも同じで、数年前に考えていたことを思い出すことができないため、ずっと変わっていないような気がして、成長をしていないようなマインドになり、実質的に成長がストップするのです。完全なる持論ですが、そう思います。


いまの自分にしか書けないことを書く。

思考は日々、発展していくものだからこそ、毎日ごはんを食べるくらい、たいせつなことかもしれないと思うのです。



ライター 金藤 良秀


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