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だれも自分のことなんか見ていない

なにかを始めたばかりのときは、当たり前だけど、初心者らしいことを思ったり言ったり、ときには反対に、悟ったようなことを考えたりしてしまうものだと思う。


いずれにしても、その道の先輩方からすれば「思慮の浅いことを言っている」と思われるのではないかと不安になることもあるんじゃないでしょうか。いわゆる “見透かされている” ような気持ちになる。

こんなことを言うとレベルが低いと思われるかもしれない」と、発言を躊躇してしまう。そんな経験のある人は少なからずいるんじゃないかと思う。

たとえばライティング。次のようなことを言った人がいたとします。

「文章を書くうえで、「てにをは」を意識することがたいせつですよね」

たしかにそうですね。

その人がこれをツイッターで発信する。

「文章を書くにあたっては、「てにをは」がたいせつだと思う。これこそ文章を書く上で最も重要視しなければならないポイントだと言える。これをなおざりにすれば、あなたの文章はもはや成立しなくなるだろう。」

うん、そうだと思う。

これらがなにを表しているかというと、どちらもただ自分がいま感じている思いを吐露しただけということ。

それを、つい気にしてしまう人は、「この考えは浅いかもしれない...恥をかかないようにしよう」と思ってしまった途端に、思考にフタをして口をつぐんでしまう。「こんなことを発言するとバカにされてしまわないか」と思ってしまう。

だけど、いま自分はそのステージにいる。ある意味そこを突破しないと先に行けない。

ここで言う「突破」の意味は、習慣化して自分の当たり前になるか、飽きるかということ。はじめてわかったことを中に留めず外に出し続けていると、そのうち次のことを考えたくなる。そこが突破点。


せっかくの思考にフタをして、考えを止めたり、無かったことにしてしまうと本当に消えてなくなってしまう。そしていつかまた同じことにぶつかり、思考の是非が決まらないままいつまでも逡巡してしまう。

かなり感覚知ですが、思考の停止が成長も止めてしまう気がしてならないのです。突破するためには思考を外に「発散」するように、出してしまったほうがいい

「こんなこと言ったら素人っぽいか、実際はちがうのだろうか...」と思えてきたときにこそ、「これが自分の “いま” 考えてることだ」と、ストレスを発散するように堂々と言ってしまう。

外に発したことは、考えた証として自分にも残る。それが次のステップへのになる。ジョブズが言った “Connecting the dots” のように、いまの行動も思考も、けっして無駄にはならない。


発信が恥ずかしいなと思ったら、「だれも自分のことなんか見ていない」と思えばいい。


思考が浮かぶのには理由があると思うのです。だから一生懸命考えたほうがいいし、「先輩が見てたらどう思われるかな」なんて思わなくていい。いま自分がどんな悩み、課題、疑問にぶつかって、逡巡してたかは人それぞれ違って当たり前だし、自分のあとにつづいて同じ悩みにぶつかった人の肥やしになる。

「賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるけど、(規模感は小さくても)その「歴史」をつくっているようなものだと思う。後続してその道を歩む人たちの学びになる。どんなくだらないことでもいいと思う。

だから「こんなこと考えてたらだれかにバカにされてしまうかも」と、ノートをちぎって捨てるように無かったことにせず、せっかく思ったこと考えたことは発信したほうがいい。それこそ自分のノートにメモするのでもいい。ふと浮かんだ考えその一点に執着した人があとあと群を抜く才能を発揮するかもしれない

だからせっかくの自分だけの思考は誰に引け目を取る必要もない。自分のために使った方がいい。


とっても抽象的な話で文章もわかりにくいかもしれないけど、これも発散するつもりで(だけど真剣に)書いています。

同じような思いを抱えている人が読んだときに肥やしになればいいなと思います。


ライター 金藤 良秀


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