卒業式

息子
3人姉弟の末っ子が高校を卒業した  

今後はまだ進学はするが、社会の一員という自覚を持って通う大学は保護者の手を離れた教育の場という印象なのでこの日をもって我が家の最後の「保護教育」が終了する。

卒業式と言えば「歌」

式全体を華やかに盛り上げ
在校生、卒業生、恩師、保護者が相互に感謝の気持ちに酔いしれ涙を溢れさすアレだ


この歌をどう歌うかで式自体の印象が大きく変わるのだがそれに気づいたのはこの息子の卒業式でだった。

息子達卒業生は歌ったのだ

私の高校の卒業式か……どうだったかな…

在校生は参加してなかったよな……
あれ?いたっけかな?
参加しないなんてことある?
でも確か
自分が一年生の時に「卒業式なので休み」というフレーズに衝撃を受けた記憶がある。
だが同時にコサージュをつけた卒業生の部活の先輩におめでとうの色紙を渡したのも覚えているので記憶がごちゃ混ぜになっているのだ。
まあそれを鮮明に思い出したとしてもなんの役にも立たないのでそのままそっとしておこう。

鮮明に記憶しているのは

ただただ気まずい

混沌とした「雰囲気」
のみ。

400人近くいる卒業生全員をもってしてもサンシャイン池崎くん一人の叫びに勝てないような ささやき の国歌斉唱、校歌斉唱

これが地獄だった

国家の
ごまかしのきかないゆっくりメロディの1分弱
「アイツ歌ってるって思われたらどうしよう」とか「私の声だけはみ出して聞こえてたら恥ずかしい」とハスって声量のない400人が囁く様は三途の川のほとりにいるようだったし

校歌は
歌う回数も小中よりも格段に少ないために覚えているわけもなく、「間違えるくらいなら歌わない」選択をする生徒が続出し、1番だけでよせばいいのに時間調整のためなのか、はたまた数打ちゃ当たる的に長ければいつか盛り上がる可能性にかけているのか3番まで歌うということでますます脱落者が続出し、音楽の先生だけが池崎的に熱唱して終わる

これを地獄絵図というのだ



長女の高校卒業式もこれに近いものがあったが音楽教師に歌わせなかっただけまだマシだった

思春期真っ盛りだもの
そんなもんだろう上等上等

次女は専門学校だからか校歌は無く、公立高校の雰囲気とは全然違う、「歌は無くとも個性の披露で」盛り上がる、味わったことの無い華やかな式だった。別世界!上等上等

さあまたしてもあの公立高校の卒業式がやってきた

保護者の出席がチラリほらりと増え始めてきた私の頃と違い、今や両親揃って出席するのも全然珍しいことじゃない、120%の出席率の高校の卒業式。このひしめき合った保護者達をあの地獄絵図が再び襲うのかと思うとゾッとするが、当の保護者達もそういう場をくぐり抜けてきた猛者なのだから皆承知の上で出席していなければ、そもそもとんだお門違いだ。

まずは地獄の第一章

国歌斉唱

これは保護者込みで歌うのだが、ハスりの先輩であるあの保護者どもが歌うはずなどないのだ。訓練を事前に受けた生徒ら学校側に「声出し」は全て任せ、全保護者が口パクでこの地獄を再び切り抜けた。蘇る青春時代。

第二章

在校生からの「ほたるのひかり」

予想どうりボソボソしている
そうだこれこそが高校生なのだ
総勢500人がみんな揃ってボソボソ歌い上げる
おそらく後列の生徒はマスクをしていることをいいことに大半は口パクすらしていないだろうことが後ろで見ていてよくわかる

まさしくThe高校生!
これだよこれ
さあその三途の川を渡ってこっち側の世界へいらっしゃい

いよいよ最終章
卒業生「仰げば尊し」

クライマックスだ

在校生を下回る総勢230人で
さらなるボソボソ地獄を見せてくれ!!

!!!!!!!!!!!!!

なんと

なななんと


勇ましく歌っている

           ・

           ・


           ・


( 昨夜の夕飯時の会話の回想)

「どうせみんなボソボソ歌って音楽の先生に腹の底から声出せお前らって言われてダルくなっちゃってますますボソボソになっちゃうんでしょ」

「それ昭和じゃん。ハスリー。今はねちゃんとやる人がカッコイイ時代なんだよ」


「それ昭和じゃん。ハスリー。今はねちゃんとやる人がカッコイイ時代なんだよ」



「それ昭和じゃん。ハスリー。今はねちゃんとやる人がカッコイイ時代なんだよ」



ハスリー
斜(ハス)る からの派生語(造語)
斜に構えている人のこと又は集団
※オードリー若林くんがラジオで「ハスる」と言い広まった

例文; 高校時代「親の前で校歌歌うなんて恥ずかしいことできっかよ」と言っていたマサヤスは中年になり「オレあん時ハスリーだったもんな」と振り返り私に若気の至りのあれやこれやを話してくれた。

きんコとバンク(架空)より引用


時代は変わって来てるんだ

漫才のスタイルを問うていた時代から問うこと自体がそもそもおかしいのではと見直される時代

高校生だから斜に構えて当たり前、なんてのは私の型に当てはめただけのただの偏見だったのだ

自分達を祝ってもらう式を自分達で盛り上げる事が一番楽しいことと理解できていれば歌うことは恥ずかしい事ではなくなる。
だって卒業式で盛り上がるのは「カッコイイ歌声」なんだから

校長先生の式辞、PTA会長祝辞、在校生送辞、卒業式答辞

投げてくれた思いをちゃんと受け取ったと
ちゃんと歌うことがその表現方法だったんだ。

そういえば中学の先生もそうやって言ってたかなあ…

その真意を今になるまで気づかなかったとは

その後引き続き在校生を含めて校歌が斉唱され、先輩として立派にボソボソ在校生を引っ張りあげ、「ちゃんとやる人がカッコイイ時代」を背中で見せたようにも思えた。


最後の「保護教育」の卒業式で親の私が教えられたなあ
良い機会になりました
ありがとう


「本当の意味」を理解して考えて
自分の進む道を切り開いて行ってください

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