TakramCast「Context Designとは(後編)」

Takramの渡邉康太郎が提唱する「Context Design」とは? その独特の世界に触れる2回目のトーク。 ロラン・バルトからピコ太郎まで。多様なトピックに触れながら”コンテクスト”を巡る冒険に出ます。(聞き手:Takram田川、佐々木)

田川
では、先週に引き続き、渡邉くんにコンテクストデザインの話をもう少し突っ込んで聞いていきましょう。

渡邉
はい、よろしくお願いします。

田川
よろしくお願いします。聞き手は、Takramの田川と。

佐々木
Takram佐々木です。

田川
この前の話を少し振り返りつつ、オズの方からも少し聞きたいこともあるということなんで、どこらへんから入りますかね。

渡邉
前回お話した内容を少し振り返ります。媒体性とか多義性っていう言葉が出てきました。多義性ってなったときに、一人ひとり解釈の余地があると。メッセージの幹と枝葉を両方構えるという考え方自体は、Story Weavingの時代からあったものですが、そことコンテクストがどういう関係かというのをちょっと補足します。

今、デザインの仕事をしている人の多くは、コンテントとコンテクストというもの、つまり作るものとその周囲の文脈があるとすると、コンテントのもの作りに終始しているっていうことも多い。カーデザインなら車を作り、建築家は建築をつくるという。その場合も多々あるんだけれども、いかに解釈され咀嚼されるかっていうコンテクストの部分も含めて補助線を引くというのがコンテクストデザインのやろうとしていること。

そのときに一意に決まる文脈を設定するんじゃなくて、広がりを作るとか、文脈を開く、その設えを外に開いて自由な解釈を受け入れる、ということだと思うんですね。そのときに、一見矛盾するものを持ち込むっていうこところに価値があるんじゃないかと思ってます。僕がすごく好きな作品に2000年か2001年ぐらいのアルス・エレクトロ二カ(注1)で発表された『While you were...』っていうのがあります。

彼らがやったのは、アルス・エレクトロ二カの展示会場に入るときに、Suicaみたいのでピッと改札機にチケットを入れる。展示会場で30分ですぐ帰る人もいれば、2、3時間いる人もいると。出るときに自分がピッとまた改札機を通るんだけど、そのときにレシートのようなものが印刷されるらしいんです。そこには世界の統計が書いてあるんだけれども、その世界の統計が自分がその展示会場に滞在していた時間に連動するようになっている。

つまり、あなたが滞在していたこの1時間の間に、地球は何千キロメートル周り、ニュートリノの何兆個があなたの体を突き抜け、地球に何トンのゴミが発生し、二酸化炭素が何十トン増え、ハワイ島が0.00何ミリ日本に近づいた、みたいなものがそこに書いてある。そこで素晴らしいのは、統計というと大いなる真実のようにみえるし強い文脈を持っているが自分個人とはなんの紐づけもないっていうものに、1人のスケールを与えるということ。

しかも自分にだけ関係ある数字としてそれをアウトプットするっていうのは、美しいコンテクストの補助線の引き方だと思うんですね。これはどういうことかっていうと、地球全体で起こっているから決して自分事が起こりそうにないものっていうのを、自分だけに関係のあるかたちでアウトプットすることで、心に刺さるかたちにまとめる。

これはある種、コンテントとコンテクストをうまく組み合わさっていて、すごく大きなものに等身大の力を与えるっていう、だからバランスを取れるものなんですね。おそらく本来のもの作りにはこのトレードオフがあって、多くの人に届く統計みたいなものは、1人ひとりに刺さる深さみたいのが足りない。1人だけに刺さる深さがあるラブレターみたいなものは、自分には大きな意味があるけど、万人には全く価値がない。

そのトレードオフの曲線の上に乗らない、両方の価値を備えたものをいかに作るかっていうことだと思うんですね。そうすると相反するものの価値を出会わせて、アウトプットするっていうところに1つのヒントがありそうであるという感じですね。  

(つづきはTakramCastでお楽しみください!)


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