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『その最後はどうするのか?』

年齢を重ねるとやりたいことも、だんだんできなくなるなんて聞くけれど…もしかするとそれって、自分で「壁」を作っているんじゃないか?って思います。(自分に問う感じで…)

やろうと思えば習い事だろうと家事だろうと、新しい仕事だろうと体力づくりだろうと可能だと思うんです。

コレは僕の勝手な意見なんですけど、おそらく、「物を持つ」ということが、いちばん壁になりやすいんじゃないかと感じたのです。


僕はある時ふと、あれやこれやと持っていた便利な物の数々を「鬱陶しい」と思ってしまって、物を自分の身の周りから無くすということをしはじめました。(いわゆる断捨離です。)
なぜ鬱陶しいと思ったのかと言えば、物は「お世話をしなきゃいけない」と思ったのです。つまり、持っているのに使っていなければ「そこにあるだけ」の存在となってしまいます。…こんな例えは使いたくないのですが、犬や猫や亀を飼っていて、家の中で放置しているだけでは良くないです。ちゃんとお掃除したりごはんをあげたりして成長を見守るということをしてはじめて「飼う」ことができるように、物に対しても同じことが言えるのではないかと考えたんです。(動物の命で物を例えるのはあんまり良くないことですよね。すみません。)


今、僕の生活の中にある「家具」と言われる物はベッドだけで、それを除くと、いちばん大きい部屋の中の所有物と言うとカバンになります。(実はバイクも持っていたりします。こんな作文を書くくせに。)
カバンやベッドはお世話をしなくてもいい、ある程度使っていれば汚れはするので、その程度の面倒なら見ますが(例えば服とか靴やパンツも汚れますよね)、「お手入れ」(つまりお世話)をしなきゃいけない部類の物を鬱陶しいと感じたのです。(バイクはお手入れをしなきゃいけないですけど。)

あとは、身につけていたり、持っていることに関して、必要以上にデリケートな物は同じく手がかかるワガママな物なので手放しました。
「汚れちゃ嫌、傷つくのが嫌」などと思っているということは、それだけで実は僕にとってすごくストレスなんだということに気づいたのでした。

物が壁になることについて、が長くなりましたが、物が大切だったり好きだったりするということは、「それに意識を向けていたい」ということでもあります。

「かわいい、カッコいい、珍しい、ピカピカしてる、使いやすい、持っていたい、見ていたい」

こういう気持ちを抱いていることが喜びで楽しくなって、他へ意識を向けられないで、「壁」となってしまうのではないか?と感じて、それについてくどくど考えた結果、僕は手放す選択をしたのでした。

「好きなことや好きな物は、いつかは手放さなければいけない」

今はそういう風に考えています。
「やりはじめる、所有しはじめる」ということは、「その最後はどうするのか?」ということを考えることでもあるんだと僕は考えたんですね。

じゃあ、君は何もしないの?と言われるかもしれませんが、やることはちゃんとやるし、お世話するし面倒も見る。見きれないものはどうにか良い仕方で生活圏から排除するといったカタチにしています。

もし、新しいことをはじめようとしたり、続けたい、努力したいと思っているのに続かないのであれば、勧めはしないですけど、いちばん手のかかる物を手放すのもひとつの手なんじゃないかと思います。時間を作るとはそういうことだとも言えるのかなと……もしくは、心から楽しいと思える挑戦をすべきだと思います。なんにしろ楽しいと思えることが、いちばん続きますよ。

習慣を楽しんで、自分の面倒をみよう。これからの僕は。

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