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雨が降るまで雨乞いする

こんにちは。
突然ですが、この言葉をご存知でしょうか?

雨が降るまで雨乞いする

これがずっと気になっています。
別に何も気にする必要ないのですが、約10年前のメモにもこの言葉に対する考えが書いてありました。笑

因果関係にすがりたい

一応説明します。
この言葉はなぞなぞの答えにあたります。

《なぞなぞ》
ある部族では雨が降らない時、雨乞いをします。
雨乞いをすると、100%確実に雨が降ります。
何故でしょう?
《答え》
雨が降るまで雨乞いし続けるから

くどいようですがポイントは、
・雨乞いと降雨に因果関係は無い
・しかし、因果関係を信じる構図が出来ている

だと思います。

雨降らない→雨乞い→雨降る→信じる
→雨降らない→雨乞い→雨降る→信じる
→雨降らない→…

因果関係が無いのに、いい感じでサイクルが回っているのが、滑稽なんだと捉えています。

※ 他の方のブログなど見てみると、
・努力すれば必ず報われる
・報われるまで努力すべき

みたいな、キラキラした解釈があるようです。
言いたい事は色々ありますが、このnoteではあくまで因果関係の有無についてフォーカスします。

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信じる者は救われる?

このなぞなぞを知ると、なるほどと思う一方で「この部族馬鹿だな」と思ってしまいがちです。

しかし、身の回りを見渡すとどうでしょうか?
因果関係が無いのにあると信じている事って結構ある気がします。因果関係の有無を確認できない状況であれば尚更です。

例えば、
この健康食品は体にいい。何故なら〇〇だから。
福島原発から〇〇キロ離れた地域は安全
消費税増税が社会保障の充実につながる
風が吹くと桶屋は儲かる
        などなど

※ イメージを持ってもらうための具体例です。
    上記の因果関係に関する意見はありません。

何が言いたいかというと、
部族は、
・雨乞いと降雨の因果関係を信じている
・その因果関係の有無を証明する手段は無い

我々も、
・この因果関係の思い込みは当然持っている
・ただし、実際は気づいていないだけ
(だって証明できないから)

言わば、
私も因果関係信者の一員なのかもしれません。

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ミスリードの先にあるもの

もう少し突っ込んで考えます。
もし自分が部族の一員だったとしたら
どうするでしょうか?

A)皆を説得して雨乞いをやめさせる
B)何もしない
C)一緒に雨乞いする

当然、雨乞いは無駄という事は自分しか知りません。
私の勝手な予想ですが、大抵の人は最初はAかBを選択するでしょう。

《Aを選択したアナタ》
しかし、想像してみてください。
説得しても誰も聞いてくれないはずです。
だって最終的には100%雨が降るんですから。
《Bを選択したアナタ》
アナタは部族の一員です。部族は村社会です。
何もしない=サボっているって事です。
部族の一員である以上、サボる事は許されません。

ほとんどの人(日本人に限る)が同調圧力に屈して「C)一緒に雨乞いする」を選択することになると思います。笑

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信じる者を説得できるか?

人を説得するのはエネルギーが必要です。
因果関係信者の場合、さらにハードルが上がる気がします。

説得するコスト>同調する時のデメリット

また、私が因果関係信者の場合も、
自分の考えを変える事に相当な苦痛が伴います。

考えを曲げる苦痛>同調する時のデメリット

こんな感じで、人は易きに流れると思います。

雨乞いの話もここまで来ると、もはや他人事だとは思えません。

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さいごに

私たちの身の回りには、
事実上、意味がないのだが慣習になっているモノ
が、気づいている以上に溢れているんだと思います。
私を含めてそれを疑う事なく、慣習に従って生きています。だってその方が楽だから仕方ありません。

個人的にずーっと気になっているテーマです。

部族の中には、「雨乞いの効果は無い」と薄々感づいている人もいるかもしれません。

もはや流れを変えられるのは村長(長老?)くらいでしょうか。もう虎の威を借るくらいしか手段を思いつきませんね。

ずっと気になっていた事を吐き出せました。
成仏できそうです。笑
それではまた。

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