我が逃走

我が逃走
#砂糖酒  

ねこちゃん大好きー!!って話です。ねこちゃん大好きだから一時間半で書いたよ! by.水無月透子(砂糖酒)。

 今日に至ってみて私は、運命の神が私を旧アジア圏辺境の小さな島国日本国に誕生させて呉れたということを、深く感謝せずには居られない。それはこの小さな島が、もはやその総体としての誇りを失い何一つ己で考えられなくなってしまう程に夢も希望も危険もない国だったからである。我々青年の胸には、凡ゆる力と方法を尽くして一刻も早くこの終わりゆく国家から脱出せねばならぬという考えが芽生えていたのだ。
 ヒトラーは「共通せるところの血は共通した国家に属さなければならぬ」と書いた。しかし私に言わせてみれば、血などあまりに瑣末でくだらない。ヒトラーやその他凡ゆる歴史上の事象が示すように、血縁主義、血統主義はそこから外れた者だけではなく、その内部にいる者、ひいては自分自身さえ縛り付け地獄に突き落としてしまうとんでもない代物なのである。だから、始末がつけられない価値観に囚われた国はひどい起承転結を辿ったのちにじわりじわり終末していくに決まってる。なお私の飼育させてもらっているペットの猫様は純血種である。
 言い訳をさせてもらうと諸事情により純血種になっただけで雑種の猫様も好きである。そもそも、私が幼少期最も愛した一目惚れの猫様、祖母の家で気ままに過ごし老衰して死んだ猫様第一号は雑種であった。オシッコやウンコなどを決して階段や廊下やましてやお台所などで撒き散らすことはなく、ようやっと歩けるくらいの頃から既に一匹で二階に設けられた猫様用御手洗いを正しく使えるくらい頭の良い猫様だったため、猫様第一号は見事屋根下の使用権を獲得した。なお、第一号が引き取られる前に拾われた猫様第零号は、フランス帰りのシェフがお書きになられた、どのレシピを試してもほっぺたが地面を貫くほど美味しく作れる絶版でクソ高かった祖母の愛用料理本を香り高きオシッコで満遍なくお汚しになられ、かつ永久にその匂いがとれることはなかった角で国外追放された。猫様第一号は家の中で物凄く太った。危険で一杯の外とは違い、車も自転車も迫ってこなければ酔っ払って酒瓶を投げつけてくるジジイもいない、mmmmMミィ、mmmmmMミャアオと首を傾げ傾げ鳴きつけば好きなだけ鯖缶猫缶鰹節が貰える環境でそれはもうぶくぶくと怠けて太った。太りきった。しかしそうして出来上がった様は程よく丸く可愛らしく、目も死ぬ直前まで一向に輝きを失わず、毛並みも体もほんとうに柔らかい美猫であった。動物病院へ通わせた時も、「丸ちゃんは良い子ですね〜」「なぁんてくぁわいらしぃんでしょおお〜」と男性医師も女性看護師も受付のおばちゃんさえも口々に褒め称え、もうメロメロ。それを受けて私や祖母、他全ての丸ちゃん関係者一同はいつも鼻高々なのであった。丸ちゃんは混血ゆえか体が強く、猫にしては長いことに二十年以上も生きた。なんでも、血が混じるほど遠い遺伝子がMIXされて様々な病気への耐性がつき、顔体のバランスも良くなるという。左様なわけで私は雑種の猫様も大大の大好き様である。名前を呼ぶと思い出されて悲しいのでやはり猫様第一号と書くが、猫様第一号は、私含め凡ゆる家族に愛され、一度たりとも食に困ることなく病気も世話され、死ぬまで大切に見届けられて死んだ。生きて猫又にでもなっていたら今頃テレビの芸人に影響されて「猫に生まれて、良かった〜!」とでも言っていたかもしれない。
 人間も、雑種が好ましい。閉鎖空間は息が詰まって大嫌い様である。猫様第一号は結局一度たりとも外の世界を駆け回ることはなかったし、去勢されていたから男を求めることもなかったはずだ。第零号の方は、一応去勢手術をしたものの「時期」がくると周りの猫さんに感化されてにゃおにゃお鳴いていたし、何より国外追放の令を受けた第零号は外で過ごす時間がほとんどだった。二度だけ零号を外で見かけたことがある。一度は他所様の庭の中で、第零号と思しき薄茶と白の縦縞をした猫が鹿威しの音高き池のほとりでぬくぬくと程よい春の日差しを全身に浴びて寝転んでいた。薄地のカーテンが引かれたその家の部屋の中からはぽろんぽろろろんとピアノの音が小さく漏れ響く。鹿威しの竹筒に池の水がたまる。
 かああぁん ぽろん ぽろろろん ぽろん ろん   かああぁぁぁん ぽろろん ぽろん ミヤオ 
 どこぞと知れぬ猫さんが一匹通り過ぎていった。猫様第零号はコミュニケーションの基本であるところの応答反応を完全に無視し、「んミッ……」と軽く呻いただけで済ましている。これだけうららな春の昼下がりにさやけき音らに囲まれて陽浴びをしていれば無理もない。
 もう一度目は、第零号であると断定はできないがあれはおそらく第零号であった。第零号は疾走していた。喧嘩して毛の剥げた状態で帰って帰ってくることもあった零号だからまた縄張り争う位でもしたのかもしれない。塀の上を驚異的なスピードで風のように疾く駆け抜けるその姿はまさに野獣。あれを見ただけで、人間が全生物の中で最もエライなんて思想にはどうしたって辿り着くまいよ。
 国内に安住の地を得ていた猫様第一号は、「猫に生まれて、良かった〜!」とは言ったかもしれないが、「猫、冥利に尽きる」とは言えなかったはずである。第零号のような生き方を第一号は一度もしたことがない。天井の低い家の一階と二階をつなぐ狭く短い階段をダダダダダダと、人間ならクソうるさいはずであるが猫様なのでほとんど音を立てることなく行き来するのが第一号の疾走経験では関の山だろう。また、日当たりの良い居間の、薄いレースのカーテンが引かれた窓の内側で、一段高くなった木の物置の上へ登り上がって丸くなって眠るのが最高の日光浴だっただろう。猫、冥利に尽きるのは一体第零号と第一号のどちらであろうか。第一号は、第零号のような生き方も世界も死ぬまで知らないままだったから、外の心地よい風に吹かれ池の周りで心地よい音楽に包まれて眠ることを夢想したりはせず、幸せに死ねていてほしい。
 脱出せねばならぬことになぜ感謝するのか。冒頭の話に戻そう。猫様第一号について私が危惧するのは、度々物干し竿のある屋上へ第一号が出ようとしていたことだ。出れば高い場所から落ちて死んでしまうのではないか、家の場所がわからず帰ってこれないのではないか、他の野良さんにやられてしまうのではないか、そのような思考を巡らせて第零号とは打って変わって、第一号は第一号を愛する人間たちの手によってむしろ国内軟禁されていた。幸せに見えた第一号。だがもしかしたら第一号は、狭小な二階建ての家屋と繰り返される日常に飽き飽きして外の世界を夢見ていたのではないか。第一号が幼い頃に猫としての基本的な所作を教え込み、毛づくろいをし、めっちゃちっちゃな子猫のおしりについためっちゃちっちゃなおしりの穴の周囲をペロペロと舐めて一緒に寝てやっていた猫様第零号は元野良であった。第一号がそれなりに成長した頃に第零号は色々連続してやらかして追放されちゃうのだが、それまでの間に外の世界のことを聞いていたのではないか。ちなみに第零号はオス猫、第一号はメス猫であった。母乳の出ない元野良のオス猫がよく甲斐甲斐しく我が子でもない子猫を世話したものである。やはり丸ちゃんが並並ならぬ美猫であったからであろうか。丸ちゃんは性格も良かった。あいつ猫界でいえばきっと多分おそらくハシカンレベルだぜ。いやそんなことはどうでも良い。
 脱出せねばならぬと私がそう思うのは、つまりそういうことである。外の世界が広いことをどうしてか私はいつの間にやら知ってしまったらしく、また雑種の方が強いのだということもなんとなしにわかってしまったのだ。夢も希望も危険もない国でそれを知ることができたことに私は深く感謝している。安全であることにも感謝している。安全なこの場所で第一号のように成長したら、しかし後はもう自力で生きたいではないか。第零号のように私は塀の上を疾走したい。時に緊張感あふれ、時に全力で余暇を楽しみ、決して何者にも縛られず、決して広い世界を夢見たまま手の届かないことに絶望することなく、躍動して、存分に生命を躍動させて。しかし、この国ではそれがままならぬ。絶対にままならぬようである、と最近などは特に思う。それはこの国だけではないかもしれない。先進国とかつて言われた全ての国が似たような方向へ動いているようにも感じる。ならばどうすれば良い? 
 逃走を。ただ逃走を。逃走こそが我が闘争ではないか。逃走のその期間に我々は世界を変革する力を蓄えるのである。同志諸君、同志諸君で一つの国を作ろうではないか。決して理屈の通らない抑圧、差別、排除、殺傷、理不尽なクレームによる弾圧を許さず、かつ戦争もない正義の国を────。
 第零号は、私がまだ中学へ上がる前の陽の照りつける夏の日、交通事故で死んだ。



参考文献 アドルフ・ヒトラー『我が闘争(抄訳)』著作権状態パブリックドメイン

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