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人生最大の絶不調は変化のチャンスでしかない①

帝国ホテル。

夜遅めのホテルのロビーって静かで落ち着いていて好きです。

夜、日比谷でお食事したお友達が宿泊していたので、全く意図せずに帝国ホテルに行くことになりました。「お土産もあるし少しお部屋寄れる?」「いいよ〜」「ホテルは隣の隣だからすぐよ」「わーい」っててくてく着いて行ったらここだった。

着いたらね、思い出したんです。忘れていたことを。


前回ここにきた時は、人生最大級の絶不調だった・・・

絶不調だし、超絶不幸(だと思っていた)まさに暗黒期。とはいえ、たったの2年くらい前なんですけどね。

今思えばね、自分の現実を明らかにする、事実を認めるっていうのがテーマだった時期だと思うんだ。なのに私は現実をちゃんと見ないであーなりたい、こーなりたい、わたしは大丈夫、ありのままでいいんだ!なーんて、事実を認めないまま、なんちゃって引き寄せの世界みたいなところで溺れかけていた、この頃。

前回この場所を訪れたのは知り合いの結婚式。

義理があり、出席せざるを得ない結婚式。おめでとうお幸せに、とは思うけど、振り返ると「おめでとうとは思うけど、わざわざ結婚式に参加したいと思う相手ではない」が本音、ありのままの事実。そこ隠してた。

この時、人生で一番お金がなかった。ちょっと間違えたら自己破産の道みたいな状態。崖っぷち?いや、崖からはとっくに落ちていたのでは??みたいなひどい有様。それなのに人様の幸せのためにご祝儀を包む。なけなしどころか無いから借りてでもお祝い。そして場を華やかにということで、お着物で出席。着付けは自分では出来ずお願いした、これまた痛い出費。お祝いはいいことだ、人の幸せを祝えないなんて嫌なやつだ、という設定があったんだと思う。だから、借りてでもどーにかしてでも一見華やかに見せかけて、お祝いの場に出かけた。本当は、そのお金、自分に使ってあげた方がいいお金だったと思う。

いつの日も変わらぬ帝国ホテル。週末の大安のお昼間なんて、お祝いだのちょっと銀座までお出かけだのの人がわらわら。着物を着たというと着物姿を見たいからお茶しようなんて言ってくれる人もいたけれど、金銭だけじゃなくて体調も絶不調の私は、着物を着てさらに絶不調を更新し続けていた。苦しい、悲しい、早く脱ぎたい・・・・

結婚式の会場ではさらに事実が襲ってくる。席順、である。新郎がとある自己啓発の学びの場での知り合いで、参列者の中では私が一番付き合いが長かった。でも、私のテーブルはそれらの仲間のテーブルではなかった。経営者や医師、大手企業のメンバーがそのテーブルに座った。参加歴の新しい大手企業に勤めている人が座っていた。久しぶりに会う仲間と楽しくお話しできると思っていた。体を引きずってでもお金を借りてでも結婚式に参加したのそのテーブルに座りたかったからだ。

でも弾かれた。

席順を知って、なんだか足元から崩れ落ちそうになった感覚を覚えてる。あ、あたし、そっちには座れないんだ。座らせてもらえないんだ。経営者じゃない、大手企業じゃない、医者じゃない。そっちのテーブルにはふさわしくない。きっと新郎新婦が席順を決めるときに、そういう基準で決めたんだね。私のことそういう風に思ってたんだね。

座れなかったテーブルには、自己啓発の先生も座っていた。私は先生と同じテーブルに座りたかったのだ。

苦痛でしかない式、帝国ホテル伝統のデザートが運ばれてきてもちっとも楽しくないしちっとも美味しくなかった。

全く予定はないけれど、私は帝国ホテルでは結婚式しない、と決めた。

極め付けは、式が終わって帰るとき、先生と握手した時だ。

「大変そうだけど、頑張って!」

そう言ってお得意の成功者スマイルで握手してきた先生。

その時、サーーーーーっと何かが冷めた。

私はこの頃、先生の知り合いと仕事を始めようとしていた。先生の出した本のおかげで鬱で死にかけていた自分から、いろんなことを前向きに行動するようになり、いろんな人と出会えた。だから、このころの私にとって先生はまさに「神」だった。自分を救ってくれた人だった。たくさんの時間とお金をかけて先生から学び、先生に近づこうと必死だった。借金までして先生から学んでた。びっくりする高額だ。そこに疑問を感じさせない世界だった。高額なほど効果がある、価値がある。借金してでも学ぶことに意味がある。

色んな裏側で関わるようにもなり、少しばかり他の生徒よりも近い存在であると思っていた。がんばってがんばって、痛々しいくらいがんばってた。知り合いを通して、私の金銭的な現状は先生に伝わっていた。先生がアドバイスとしてくれた言葉は「弁護士に相談してみたら?」だった。

私はどこかで、この「先生」に助けられることを望んでいたことに気づいた。そして、先生はそんなことちっとも思ってなくて、単なる生徒の一人で、私がどうなろうが知ったこっちゃないってことも。

あの日の握手で、手が繋がったことで、「自分とこの人は全くの他人である」というごくごく当たり前のことをやっと認識できた。

私が勝手に依存していた。この人の教える通り頑張れば成功すると思ってた。痛々しい、実に痛々しい。

てゆか、成功ってなんなんですか?

式が終わって、二次会だのパーティーだのを断って、歩いて帰った。

着物を脱いで、ベットにダイブして、顔が腫れるまで泣いた。最後はなんの涙かわからなくなってたけど、悲しくて悔しくて辛くてしんどくて。とにかく幸せな涙ではなかったのは確かだ。





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