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【声に出したい日本語と声に出したらアカン日本語と反省と自責の違いと風雲たけし城と】

【声に出したい日本語と声に出したらアカン日本語と反省と自責の違いと風雲たけし城と】

長いなタイトルが…そして本文も長いよ今日は。長くてしかも硬い。

まぁね、たまには真面目な話もしますよ。昨日までの趣味全開からの揺り戻し。今日の話はわりと積年の恨みというか私怨過多というか攻撃的に論じている部分があるので、平和を愛する人は読まずにスルーしてください。

あと私の日記のタイトルがいつも長いのは、「あの話どこで書いたっけ?」と自分で検索した時にサッと出てくるようにです。便宜上タイトルとインデックスが一体化しているという…自分の書いた文章を何度も何度も擦り切れるほど読み返すのが趣味であるゆえ(変態)。

タイトルで読み取れる通り、今朝のテーマは3つ。

さて1つ目。声に出して読みたい日本語の逆バージョン。アカン日本語。ここ数日の和歌和歌しい投稿でお分かりの通り私は日本語フェチでして…大和言葉の美しさにシビれるし、言葉を繊細に味わって楽しむ趣味嗜好を持っている。

それだけに日本語の変な使い方は気になるし、空気は読めないが言葉そのものは厳密に読み取るというアスペルガー全開の受容体を持っているため非常に生きづらい…世の中の話し言葉の7割は非言語コミュニケーションという噂もあるくらい言語部分については軽視されているゆえ。

まぁ私の生きづらさは今日のテーマと若干逸れるし良いんだけど別に。最近ノンバーバル(非言語)を言語化する変換コードを独自に開発しつつあるので、鬼門だったコミュニケーション方面も少しずつ円滑化しておりますし、おすし。

さていつもながら前置きが長くなったけれど、そんな日本語フェチな私が、日本語から絶滅しても良いと思う言葉がある。

キモイ

キショイ

この言葉が使えなくなったとして、心底困る人はいるのかしら?気軽に使われて心底困っている人はたくさんいると思うのだけれど。

刀狩りのように日本語を狩ることに対して私も抵抗がないと言えば嘘になる。最近ニュースを賑わしていた【あだ名禁止】という小学校のルールについて賛否両論が湧き起こったのも記憶に新しい。

けれども刀狩りと銃刀法の制定が、今現在私たちの安全を物理的にしっかりと守ってくれている礎(いしずえ)であることを忘れてはいけない。時にいじめとして人の命を奪いかねない危険な言葉であるならば、断固として取り締まる必要がある。

ちょっと話が逸れるけれど、あだ名に関する私の立ち位置については、あだ名そのものに反対はしないけれど、あだ名がイジメを助長する側面は確かにあると思うので軽視はできないし野放しにはできないと思っている。あだ名は本人が「こう呼んでください」とニックネームを決める学校文化になれば良いと思う。英語の Call me 〇〇という文化の本質的継承。

あだ名の話でもそうだけど、親しさと遠慮のなさを履き違えてしまわないように。無知と無恥は紙一重。無知と無神経はおともだちなのだ。コミュ症の私が語るのもおこがましいけれど、人間関係は、親しければ親しいほど相手に敬意を持って接する必要があると思う。

キモイもキショイも私はおそらく生まれてから一度も使ったことがない言葉だけど、なにも不自由したことはない。

もちろん聖人君子じゃないので、人生40年も生きてくればイヤだな、気持ち悪いな、と感じることはある。

感じることは自由だ。けれど、それを言葉として武器として人への攻撃に使うかどうかは大きく違う。殺してやりたい、と思うのと実際に殺してしまうくらいの差がある。

さらにキモイの厄介な点は、殺すつもりは無かった、と言いながら相手の息の根を止めるに足る殺傷力を持っているキラーワードだという点だ。

Noを伝える言葉は、イヤだ、とかやめて、で十分ではないかと思う。自分の快・不快は、他人の領域を侵して発するべきではないと小さい頃から学校で教えて欲しい…人権教育の一種だと思う。

キモイを気軽に使う人の中には、自分が気持ち悪く感じる、というアイメッセージだと主張する人もいるけれど、そんなものは詭弁だ。基本的に「お前キモイ」等の相手への形容であり、強い悪意のあるユーメッセージだと思う。少なくとも受け手はそう感じている。

発する側に【心理的逃げ道】があり気軽に発する上に受け手にダメージが大きい…非常にズルくて厄介な言葉です。ぜひ子どもたちから根絶したい、憎むべき卑怯な言葉です。

怒ってくるとだんだん敬語になる。冷静に怒るタイプあるあるですな🤣それくらい私にとって怒りを感じる言葉なんですわ、キモい。この言葉許しがたい。

それは、子どもの頃に私自身が言われた、というよりは、クラスの中に言われている子がいて、それを堂々と注意できなかった、という罪の意識による恨みだ。不甲斐ない自分への怒り。

さらに大人になってなお、相槌のように

キモチワルッ

と発する人がいたりもする。これはキモイやキショイと同じで、さらに悪意を耳触り良く冗談にくるんでいて非常に不愉快。(某大御所芸人さんもよく使っていて、この言葉に市民権を与えているのも良くないと思う。)

これを使う人は、さすがに大人になったらキモイと言うのは恥ずかしいと気づいたのでしょうけれども、そこまで気付いてなお悪意と自分の優位性を言葉に出して垂れ流さずにはいられない悪習慣の名残り(昔呼吸するように当たり前にキモイと発していた証左)が露呈してしまって逆に恥ずかしいですよ。(胡蝶しのぶ風・余計な忠告)

もちろん過去の言質を論って(あげつらって)断罪することの愚かしさを身を持って知っているので、もしずっと無意識に使ってきた人も今後使わないように気を付けてくれたらそれで良いです。私は一切根に持たないタイプなんですよ。(胡蝶しのぶ風だけど、これはホント)

でも実はこれをスルーして聞かなかったことにしてやり過ごしている自分が一番不愉快。はー、カッコ悪いな、自分。キモイもキモチワルッも毎回そう思ってしまう。不可思議なカースト制度がまかり通る学校という【透明な牢獄】にいた頃の古傷がズキズキ痛むから、気軽に使わないで欲しい、マジで。

言葉を豊かにすることが精神面を豊かにすることだと私は常々感じているのだけれども、キモイ、という言葉の何がいけないかと言えば、思考停止を脳に促す言葉だという点も許しがたい点だと思う。

自分の理解できないことに対して、キモイというレッテルを貼ることで徹底的に貶めて(おとしめて)自分に害をもたらさないように存在自体を弱体化・無効化してしまう呪い。そして憑物のように落としたらもう考えなくて済む。そういう思考停止。

理解できない自然災害を神に祭り上げて無効化しようと試みる日本のアニミズムと真逆の心理的呪術なんだな、よくできてる。くそ。Oops,sorry.(おっと失礼)

キモイを言い換えれば「怖い」になるんだと私は思う。怒りの第一感情が恐怖であるように、怖がりな自分を隠すために必要以上の怒りや虚勢がある。

子どもの頃からずっとコミュ症で、うまく立ち回れないために参考にしたくていつもじっと人間観察をしてきて思うのだけれど、キモイをすぐに発する人は怖がりだ。

そういう人は見た目は派手で、スクールカーストの上の方に居るイメージがあるけれども、いつその権威が揺らぐか心は恐怖に満ちていて、他人を蹴落とすことでしか安心できないくせに、今度は自分が蹴落とされるのではないかと戦々恐々としている。

離れたところから見るとまるで自分の尻尾に怯えてぐるぐる噛み付いて回る子犬のように見えて滑稽だ。近くにいるとついでに噛み付いてきて厄介だ。離れて見るに限る。

胡蝶しのぶ風に言えば(しつこい)そういう人とは「仲良くなれませんね」ということになる。

でもそうやって彼らの発する呪いを見過ごすたびに、自分が損なわれていく、というジレンマ。なんとかならんものかな、ホント。廃刀令なみに法律で禁止して欲しいわ。廃キモイ令プリーズ。

さてキモイへの恨みはこの辺にしとこう。度を越した他責は自分に返ってくる。脳みそには人称の概念が無いのだから。他人を責めるのと自分を責めるのは脳へのダメージは同じことで、脳みその容量がただでさえ少ない私は、できればこれ以上脳を損なうのはやめておきたい。

もちろん学校の勉強ができるのと頭の良さは全然別物として語っていて…私は学校の勉強はできたけど頭が悪い人間の典型だと自分で思っていますよ。色々と不便な脳みその造りなのです。さて本当にこれ以上は自分を責めるのはやめよう。これだから他人を攻撃するとロクなことがない。同じだけ自分を責めないと気が済まないのだ私は。

で、2つ目のテーマの反省と自責。

今って就学決定時期だけにSNSに悩み投稿が多くて。私もそうだったからすごく分かる。そういう時に限って本人も他の「きょうだい児」も荒れ気味で、お母さんアップアップになる。本当に大変な極限状態。

子どもの調子が悪いと反省を通り越して自分を責めてしまうけれど、なんとか踏みとどまって反省にとどめて欲しい。

ウチはチビが荒れると、「私の代わりに発散してくれてるのねー悪いねありがとう」って思うことにしてる。小さい頃って一心同体だから。

横出しデトックス。

ウチもたまにチビが【試し行動】がすごいときがあって。今までチビがお利口だったのはなんか我慢させてたのかなーと「反省」しつつも、意識上の鉄則としては「自分は責めない」。

この反省と自責のバランスって大事で。

これ以上反省すると自責になるな、と思ったら考えるのをやめる。よーし、よく反省した!と切り上げる。別のこと考える。

和歌とか、万智のドロドロの恋愛とか、タマコのすごい恋愛とか、マチスの女の鼻を摘んだような顔とか(追記・これ間違ってた、モディリアーニだった、鼻をつまんだような顔の女←どうでもいい)、とにかく子育てから遠いことを。

でもまぁ捕まっちゃう時は捕まっちゃうけど、意地でも自分を責めない、はいつも意識しておくと良いかもしれませぬ。

悪いのは、みんな、コロナ、はいリピートアフターミー、悪いのは、みんな、コロナ。

というわけで、コロナがまた増えててげんなり。また外出に気を使うフェーズに入った。でもとりあえず昨日県民の日は天気も良いし、チビ達連れて県内の屋外型レジャー施設に行ってきました。県民の日は入場料無料なのよ。

リアルマリオというか、風雲たけし城というか、まぁなかなかにハードなアトラクションでした。今朝は筋肉痛バキバキです。

ちなみに別にリアルマリオを標榜している施設では全然無いのだけど、ちゃんとマリオカート(風)もありました。

体重制限があってチビッ子向けのため、ゲームなみに大胆に逸走するカートもあり、別の意味でドキドキしてスリル満点でした。色々と緩い田舎の遊園地だけにハンドルを全てお子様に委ねるマリカー形式は柵のない子豚レース並みにハプニング続発🤣手に汗握る。

最後に色んなアニマル達にエサをやりまくって帰ってきました。帰ったら速攻風呂に入って子ども達にメシをやりました…県民の日を初めてちゃんと満喫したかもしれません。

でも入場無料によりずいぶんアトラクション代とエサ代を毟られたのでコスパが良かったかといえば微妙でした。セレブ遊園地でした。

#というわけでマリカーとたけし城の写真とか
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1327192807900020736?s=21

#本日のお歌…yamaさんの【春を告げる】。ご本人のスーパーハスキーボイスも素敵なのですが、ゆっくりカバーバージョンのコチラが好きです。ヒゲに似合わず繊細な声の男性ボーカルの「嗚呼」が超色っぽい。バンド名は不明。
https://youtu.be/LJ-V8YIVgPE

■編集後記

なんだか今日は子どもの頃から抱え続けた積年の恨み節が炸裂してしまった。

たまたまある方の投稿でお子さん(軽い障害がある)がキモイって言われた、というのを目にして。

怒りがどっかーん。ついでに色々どっかーん。

ホント嫌いなのよね、キモイっていう言葉。

なんなら本人にじゃなく空に向かって「きもーーーい!」とか叫んだりするじゃない。確実に特定のターゲットに向けて。そういう使用法含め、本当に嫌な言葉だな、と思っていて。

問い詰めれば「その人に言ったんじゃありませーん」とか逃げるし、なんなら加害者のハズの自分の方が「キモイという精神的苦痛を受けた」みたいな被害者ヅラをしたりする。許せん。(メラメラ)

でもこういうネガティブな主張をするとすごく疲れる。ブーメランで自分に色々と返ってくるから。

私自身もそういう言葉を発する人に対する偏見があるのではないか、とか、そういう。

疲れるなぁ。でも弱者を虐げる言葉なので、この主張をしたこと自体は後悔してないよ。疲れるけど。

お笑い番組って本当に紙一重だと思っていて。LGBT問題で指摘されたホモオダホモオ(漢字忘れた)の問題もそうだけれど、笑いにすることでそのカテゴリーの人たち全体を貶める可能性がある、ということは常に考えなくてはいけないと思う。窮屈だけどもね。

キモイとか気持ち悪いっていうのはさ、「生理的嫌悪」で、相手が言動とかを多少改善しようとも消えることはないのよ、たぶん。

生理的嫌悪自体を否定するわけじゃ無いのよ、どうしても無理な相手っていうのは居るものだと思うし。

でも自分の方が強い、とジャッジした上で、時には複数で徒党を組んで、何もコチラに向かって攻撃をしていない相手に向かってそれを投げつけるのは完全に暴力で、あまりにも度し難い酷い行いだ、ということを言いたかったのよ。

言われた方はすごく傷つくと思うのよ、キモイっていう言葉。私なら傷つく。自分に言われても、家族に言われても。

そしてウチの息子をはじめ、障害者っていうのは、ただ生きて普通に生活しているだけで、キモイっていう暴力の標的にされやすいので、そういう言葉を安易に言わない世の中になって欲しいな、と思って今回の投稿は書きました。おしまい。

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