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フジコヘミングさんと祖母とわたし

フジコヘミングさんの訃報を、不安定な中で知り、自分のことばかりを考えてしまうわたしに、自分の幼さを思い知っています。

わたしは、ピアノ教師の祖母に育てられました。でもレッスンから逃げ出すことばかり考えていたので、ピアノは覚えられませんでした。

でもピアノ曲は大好きです。技術の事はわからなくても、リストの華やかさが好きでした。

祖母が認知症になりかけた頃、フジコヘミングさんという方を知りました。祖母は、わたしの感情に任せたピアノのタッチを憂いていましたが、わたしは、フジコさんの人生が結実したようなピアノに心を打たれました。

もう一度言います。わたしにはピアノの技巧は全くわかりません。ただ、フジコさんの歩まれた半生や、それにも関わらずお強く気高い言葉を語られる方だという事が前知識としてありました。

それだけの方が人生をかけて弾かれるカンパネラに、わたしは虜になりました。

自閉症と双極性障害からくる、自身の身の置き場のなさ、それでもキリスト教信者でありたいという自身の思いがありました。
フジコさんの、無国籍という環境で「わたしの国籍は天」という簡素で強い言葉、そしてその言葉通りにご自由に力強くピアノを弾かれる姿を見ると、わたしは次第にそんなスターを戦友のように思うようになりました。

わたしは、ピアノ好きだった祖母にフジコさんの出されるCDを聴かせ、コンサートの動画を見せました。しかし、その時の祖母はもう、それを理解する力を失っていました。

それから祖母は亡くなり、わたしは結婚と離婚をし、新しい環境に奮闘したり、やはりどこにいても孤独感に苦しんだりしていました。

眠れぬ夜はフジコさんの動画のピアノやお声に励まされました。

そんな日、フジコさんが天に帰られました。

わたしは、神に背きたくなり、お酒を飲みました。

でも、飲みながら色々な記事を読むうちに、フジコさんは本当に帰りたいところに帰ったんだと思いました。そしてもしかしたら、祖母もまたそこにいるのかもしれない。

わたしは、若き日のフジコさんや祖母のようでありたいと、強く願いました。現実がどんなに辛く苦しくとも、女が強く生きるその生き方。

わたしは、ピアノが弾けません。
でも、ほんの少しの英語への興味と、キリスト教への信心があります。

わたしは、弱くて何もできないけど、大好きなおばあちゃんやフジコさんに近づきたい。

酔いが覚めたらシャワーをして、英語と聖書を学びます。

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