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素敵な素敵な母の話 No1

2020年母が亡くなり数ヶ月後にUPした記事。
自分の心を癒したおかげで
こんなに前向きになれていました。

みんなの気づきのきっかけと
なりますように。


2020.7.9の記事↓

昨日、私が気づいた自分で素敵だなと
思ったお話に少しのあいだ
お付き合いくださいませ。

昨日17時に仕事が終わりました。
車で自宅に向かう途中で、母からの思いと
母への思いが出てきました。

私の母は、3人の可愛い子供を産みました。
男の子と、その下は年子で女の子。

もうひとり女の子が欲しくて
3年後に子供を作ったら、
あらまぁ、元気な男の子。

厳しくもありましたが、
時に見せる優しい笑顔は
子供が愛おしくて仕方ないといった感じ。

母なりの無償の愛で、
子供たちを育て上げました。

寝る間も惜しんで、家業を手伝い
内職もし、家事も育児もやりこなし、
いつもご飯を食べるのも
お風呂に入るのも自分は最後にいただく。
弱音も吐かず、子供の前では
いつも強い母でした。

2008.2.26
母が脳梗塞で倒れました。
右脳の血管に血液がつまり、
左側に麻痺が残りました。

当初は勿論寝たきりで、起きる事も
立つ事も歩く事も走る事もできなかった。

テキパキとなんでもこなし、
車の運転もバリバリこなす母が

思うように身体が動かなくって、落ち込むと
思っていました。生きる気力を失うんじゃないかと
思いました。

でも、全く違った。
母はやはり強かったのです。

そこから、リハビリの毎日です。
努力の毎日です。

そばでみている家族が見ていられないほど、
立とうとしてはこけ、歩こうとしてはこける。

でも、リハビリの時間以外にも、毎日
自主練をする母の姿がありました。
長い年月をかけて、母の努力は実り

左手は麻痺が酷く残りましたが、
左足は、短下肢装具をつけて、一本杖をついて
自力で歩けるようになりました。

自宅でも、なるべく母が自分でなんでも
できる環境を整え、一緒に時間を過ごしました。
互いに女同士、でも、健常者と障害者。
前のようになんでも言い合えるわけではありませんでしたので、葛藤もすごいものでした。

それでも、一緒に頑張りました。
一緒に乗り越えました。

時に転倒し、三度ほど入退院を繰り返し、
その度にまた一からのリハビリ。

私には想像できないほどの苦しみも
心の葛藤もあったでしょう。
でも、やはり強い母でした。

毎回、自力で歩けるようにまで
体力を戻しました。

そして昨年、祖母の一周忌法要を無事に終え、
長男の嫁としてのつとめを果たし、
ほっとひと息ついたある日、また転倒。

そこからはどんどん弱っていきました。
同時に認知症を発症。
やむなく、施設入所。

どんどん痩せ、体重は約36キロ。
母の身長は約156センチ。

ものも食べられなくなり、ミキサー食すら
食べなくなりました。

そして今年に入り、胸水と腹水に
水が溜まっている事が分かり、緊急入院。
点滴も入る血管がなく、多臓器不全。敗血症で、
2020.4.28永眠。
No.2へつづく

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