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水・・・滾滾とわき出る泉のそばで。

水は女性的であり、受け身で、つつましやかで、優しい。清め、祓い、満たす。何にでも染まり、溶け込み、馴染む。だけど、時に水は岩をも削る巨大な力で大切なものを飲み込み、どこか遠くへと追いやってしまう。そう、水は「感情」でもあり「本能」でもあるから。そして、その水の力は、今この瞬間も自分の中に息づき、誰かをうるおしている。

自分が内包している言葉にできない得体の知れない力に押し倒されそうになるときがある。相手の心に共に深く沈み込み、同じ風景を見る。手を離せば、もう戻ってくることはできない、そんな海の底を何度も旅しては、海中に差し込む光に手を伸ばし、命からがら逃げ戻ってくる。水面から顔を出し、一呼吸ついた頃には、見た風景もすっかり忘れているのだけれど。

もちろん忘れられないこともある。それはきちんと仕舞うべき場所に仕舞って鍵をかけて、おしまいにする。たまに思いついたときに山に登り、それらを弔う。水を大地に帰すように。

星を読むという行為に意味があるのか、無いのかはさておき、人は未来を知りたいという欲望を手放すことはないだろう。星を読む・・・神秘的な響きのように思えるこの行為に自分は少なからず関わり、今日も誰かが産まれついた瞬間に星が語りかけた声に耳を澄ます。

このような暮らしを始めてから、もう木星が一周してしまった。木星の公転周期は12年。人生の4分の1近くを星を読むことに費やして来たのだ。これも自分にとって意味があるのか、無いのかはよくわからない。ただ、日々何かに護られているような感じがすることだけは確か。疲れ果てて運命の女神にも見放されたように思う夜でさえ、空を見上げると月が話しかけてくれる。孤独な夜の連続も、星たちがずっと足元を照らし出してくれている。それだけで、明日も生きる勇気が湧いてくるというものだ。

幼い頃から人が見なくてもいいものをたくさん見て来たような気がする。それは自分を強くしてくれたとも言えるし、もし次に選べるのなら、見なくて済む人生を歩みたいとも思う。痛みや悲しみ、別離といったものになるべく遭遇しないで済む人生を歩みたいと思うのは人として自然なことだと思うけれど、それらが全く無い世界で生きることにも恐怖を覚える。あの痛みや悲しみ、別離がなければ、今の自分は存在し得なかったからだ。

自分にはいくら望んだとしても手に入らないものがあると絶望したときから、人は本当の意味で自分や他者に優しく、謙虚になれるのかも知れない。その絶望と引き換えに。

自分にとって、いちばん大切なことは過去ではなく、未来でもなく「今、現在」起きていることだということも星が教えてくれる。

一人で生きている人など本当は存在しない。世界は同時に起こっているのだから。皆が等しく、愛されるべき存在なのだ。

星を読むことは現実逃避にはならない。というか、なり得ない。現実をより良く生きるためのツールでしかない。依存したり、現実逃避にしてしまうのは、それを使う人間側の問題で、星が言わんとすることをちゃんと翻訳できてないからだ。急いで言葉に置き換えようとしなくてもいい、じっと耳をすませば、星たちがしかるべきタイミングで、その「時」を知らせてくれる。

kirari 「星と旅する毎日」 http://kiraristar.net

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