箸の持ち方

Twitterを開くと、こんなツイートがバズっていました。

内容は「娘が学校の先生に箸の持ち方を指摘されて、それを聞いた母親が『我が家はしつけやマナーよりも心の考え方を重要視している』から自分の子供を他人にしつけられる覚えはない」と逆上した(?)というものです。

元ツイートやそれに寄せられたリプライを見て、少し違和感を覚えました。

「なんか、論点という論点がズレまくっている…」

多くのリプは「心の考え方云々以前に、親としてしつけやマナーを子供に教えるのは当たり前」というのが大半という印象を受けました。
しかし、バズるに連れて、箸の持ち方そのものの事にズレていっているのです。
(あくまで私が見てですが。違ってたらごめんなさい)

多分、子供さんが通っている学校の先生も「直してほしい」という姥心で言ったと思うんです。言葉のチョイスが駄目だっただけで。

それと、私が一番引っかかったワードが「心の考え方」
心って考えられるんですかね?
まだ「感情との向き合い方」とかのほうがしっくり来るし、ちゃちゃこ様(箸の持ち方に関するツイートをした方)がいう「心の考え方」に関しては、すっっっっごく一言申したい。

普段の行動・言動はヒトの人物像と性格を表す

一般的なマナー・エチケット、つまりは礼儀作法の歴史をたどってみると、聖徳太子が当時の貴族や官僚に対し「和の尊さ」を説いたことから始まったそうです。そして江戸時代、武士が相手に敵意がないことを伝えるための「形」として広まり、現在に至ります。

他人は、意外と自分のことを見ているものです。
今は亡き父が「靴を揃える女性だったから」という理由で母と結婚しちゃったので、マナーやエチケットひとつで第一印象を良くしますし、身につけたほうが何倍もいいです。

むしろ、指摘されて持論を並べて猛反論するのって、すごく大人気ないように見えませんか?
そりゃ私だって職場の先輩に指摘された直後、イライラしたり機嫌悪くなったりしますよ?でも、頭を冷やしてよく考えると「確かにそうだな」と自分なりに消化して改善しようと動きます。

それに、マナーやエチケットができている人って、相手に自然と気を遣える方が多いように思います。
寄り添ってくれる人というか、一緒にいて不快にさせない技量を持つ人って現代社会でどのくらいいるんでしょうか。

「様式美」といえばおしまいですが、それらを使って自己表現するといっても過言ではないのが一種の日本の伝統だと思いますし、むしろしっかりしているなと思いますよ。

かという私も

高校あたりまで箸の持ち方が全く駄目でした。
両親が箸グリップや矯正箸を買って使わせようとしたらしいんですけど、あれすごく邪魔なんですよね。異物が付いているみたいで。

高校の書道の授業で、当時の先生に筆の持ち方を指南してくれたのがきっかけで矯正できました。小筆で名前書くとどうしても字が大きくなるので、それが嫌で嫌で仕方なかったから、ノート取るときも先生のアドバイス通りにシャーペン持って書いていたら自然と直っていたクチです。
ちなみに正しい持ち方をすると、軸が安定してバランスの良い字が書けるそうです。

SNSで見ず知らずの他人にたくさん注意されているちゃちゃこ様には「心の考え方」という芯をブレずに、どうか最終的にそれを良い形で消化してほしいですし、今後の教育にも生かしてほしいです。
けど毒親になりそうな気配がするから、せめて子供さんは人から受けた指摘を素直に受け入れられる子になってほしいな。

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