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誰かとつながっているから今の私がある

高校受験の前期試験に失敗して、後の出身高校に入学するための後期試験を受験するために、部屋でラジオを聴きながら勉強していた私。

当時はラジコがなく、我が家のパソコンは有線でインターネットにつないでいた。だから、ラジカセで地元のラジオ局を受信して、聴いていた。

私がよく聴いていたのは「オールナイトニッポンGOLD」。ミュージシャンやタレントがテレビでは見せない姿をさらけ出してひたすら本音トークを繰り広げる光景は、放送部に憧れを抱く15歳にとってはとても新鮮だった。

しかし、その番組のある曜日は「本音トーク」というより、夜10時の番組にしてはパーソナリティの誠実さを電波にのせていた印象がある。

「新保友映のオールナイトニッポンGOLD」
金曜日は当時ニッポン放送アナウンサーだった新保友映さんが担当していた。
思えば一番最初にオールナイトニッポンを聴いたのも彼女の曜日だった記憶がある。

いつだったかの金曜日、あれは確か3月だっただろうか。
新保さんがとあるリスナーのメールを紹介して、それに沿ってトークを繰り広げているときにふと発した言葉が、強烈に私の頭に焼き付いている。

「誰かとつながっているから今の私がある」

これは、今まで出会った人全てが、自分に成長を促し、血肉とさせてくれる、という意なのかもしれない。
「かもしれない」と書くのは、家庭にも友人関係にも恵まれ、順風満帆に人生を送ってきた、この国でいう普通の人間が、全ての出会いに感謝して、自己研鑽に励むのだと思う。
一方私はどうだろうか。保育園の頃から、一時期楽しい時期はあったけれど、ずっといじめられっぱなしの人生だったじゃないか。
この時点での「つながり」は、私を陥れようと何か裏の目的を持って近づいてくる奴らばっかり。ましてや陰口を言われていた中3の時が一番つらい時期だった。

ではなぜあの言葉に魅入られたのだろう?

人生の第一の岐路で、今までの自分をリセットしようと、これから出会うであろうまだ見ぬクラスメイトたちに「つながり」を求めていたのではないだろうか、と思う。
実際、あの高校を選んで良かったと思っているし、心から胸を張って言える特技を身につけることができたのがとても大きかった。

そして、私なりのアンサーがある。
今まで出会った人と経験全てに感謝するわけではないが、いじめっ子と出会ったことで人間の醜さを知ったし、学校のブランドだけで馬鹿にするやつと出会ったことでアナウンス技術を向上させることができた。
そして、いじめられたことで弱い立場の人を守る人間になれた。
バイト先の後輩の風評がもとで親友と半年口をきかなかったのはつらかったけど、その子を守るためと思えば耐えられた。
……あれ、ブラック企業に身を置くのも当然の摂理じゃね?まぁいいか。

とにかく、あの言葉がなければ今の私はない。

「誰かとつながっているから今の私がある」

良い意味でも悪い意味でも、人のつながりは何らかの影響を与える。

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