見出し画像

ビワイチ(輪行録)

0
恒例の友人YさんとKさんとの登山、今年は自転車で琵琶湖を一周することになった。なぜそうなったのかはよく思い出せない。確か今年は関西に住むKさんの近くでということで関西の高い山を探したものの、一昨年に行った高野山の他には比叡山くらいしかなく、じゃあその麓の琵琶湖を自転車で回ろうということになったのだと思う。先に瀬戸内のしまなみ海道が出てきたのだったか、琵琶湖にも自転車道があると判り、おじさん三人、話は盛りあがってすぐに決まる。

楽しみで半年前から調べはじめるが、ビワイチといって琵琶湖を自転車で一周するナショナルロードがあるらしい。つまり国定の(税金も使われている)自転車道が整備されているらしい。そこを辿って北湖と南湖を回ると一周200㎞を自転車で走れるのだという。うーん、200kmか、本当に走れるのか、という距離。近隣にロードバイクをレンタルしている店もあるが、二人に訊くと自分のものを使うという。私も通勤で数年使いそろそろボロの出てきていた自転車を買い替えることにした。中古でも数万円するロードバイクは通勤用で買うなら決して手の出せない額だが、手に入れると嬉しくて一か月ほど乗って練習した。

1
11月初めの3連休、2泊3日で宿を取り、そのうち二日をかけて走る。昼過ぎに湖東の近江八幡駅に集合、二日目の宿まで車で行き、そこから13時に出発する。一日目に80km先の湖北・高島市にある宿を目指す。平均時速15kmとして5時間ちょっとで着く計算だが、日没は17時。4時間では着かないはずなのに、暗くなる前に着きたいなどと甘く考えていた。

走り始めて間もなく、彦根市南三ツ谷の公園にエイドステーションがある。ビワイチの幟が立っていてアンケートに答えると飲み物やサプリメントが貰える。昼食をとっていなかったため出店で茸ご飯を買って食べる。サッカー少年団の子ども達もコーチに引率されて、自転車で走っていて微笑ましい。ゆっくり隣を追い越した後に振り返ると、転んでしまう子がいて、あぁそんなにハンドルを急に切ったら転んじゃうんだよと思いつつ、怪我はなかったようで安心する。自転車で転ぶと下はコンクリートだから思いの外大きな怪我になる。

気温は20度くらいだろうか、薄曇りで心地よい。雨の心配もあったが、自転車を走らせるのに最も良い天気となった。左手に琵琶湖を眺めながら時速15kmと呟きつつ、右手に彦根城を探しつつ走る(お城は見つからなかった)。1時間半ほど走って15時頃、米原市に入る。数キロ先の北西方向、岬に白くて大きな建物が見えてくる。あれが今日の宿かと思うが着くには早すぎる。豊公園の隣に建つHotel & Risorts NAGAHAMAというホテルだった。なるほどここは長浜城跡の公園で、隣りにある市民球場で休憩する。中学生だろうか、ソフトテニスの大会が開かれている。節をつけた応援の声が何だか恥ずかしい。間もなく16時、西に傾きはじめた日差しは明るく美しいが、先を急がなければと思う。

長浜市を抜けると湖岸の道は大分寂れてくる。道がよく舗装されていて自転車を走らせやすい。お城の北側は良いところなのだろう、別荘が並んでいる。30分ほど走って湖北町の湖岸で休憩する。古い港の景色が息を呑むほど美しい。湖岸の木々が西陽に映える。間もなく日が沈む。

2
暗くなってくるのに焦りつつ、道を間違えないように進む。道の左側に青い線が引いてあるのだが、暗くなり見えにくくなる。道は一旦湖を離れて湖北の山に入る。30分ほど走って塩津浜の道の駅で休憩。コンビニで宿代を下ろす(一日目の宿は現金払いだ)。少し肌寒くなってきた。ウインドブレーカーを着る。スマホを見ると気温17度とある。

西朝井町から上り道になる。Yさんと山登りだと辛いですね、と話しているとトンネルが見えてくる。助かったと思いつつ、でもトンネルの中は走りにくいんだよなと思う。案の定、高さ20cm、幅80cmの側道の上を走る(否、もともとこれは側道として作られていないのかもしれない、いわゆる緊急歩行路だ)。すぐ横を自動車が走り抜けていく。車道に落ちれば死んじゃうなと思いながら、トンネルを抜けた時には溜め息が出た。

17時に日没。左折して南下し大浦地区に入る。街の明かりと仄かに青く光る線を頼りに走る。街中に入ると電柱にもビワイチの看板が付いている。それを頼りに行くが、大浦の交差点で道を間違える(ことに後で気づく)。そのまま南下し岬を回り東進してしまう。15分ほど走っただろうか、Kさんが「道を間違えたんじゃない? 湖を左手に見ながら走らなきゃいけないのに右手に見てる」と教えてくれるが、先頭を行く私は「でもこの辺は入り組んでるし、あの岬を過ぎれば…」などと言って止まらない。

やがて菅浦の集落が見えてくる。須賀神社の鳥居下で道が三本に分かれている。港沿いを行くのでもない、山道に入っていくのでもない、でも真ん中の細い道には「この先行き止まり」と看板がある。「やっぱり間違えたんだよ」とKさん。Yさんが何かを思い出したらしい。「小さな旅」というテレビ番組でこの集落が取り上げられていたのを見た、ここはヤンマー(農機具メーカー)発祥の地で、この集落から先、道は果てるのだという。

納得がいかないまま私も道を戻る。大浦の交差点まで戻り、青い線が西に折れているのを見て納得する。電柱の看板には直進の矢印があった気がするが、その看板は見つからない(もっと手前にあったのかもしれない)。往復16km、1時間のロスであった。宿に電話をかけ、チェックインの予定時刻を過ぎてしまうことを伝える。

3
18時、Kさんがスマホで確認しながら南西に進む。項垂れた私は後を付いていく。(正しい)大浦の岬を回ってマキノ町に入る。宵の明かりに高木浜の街並みは美しいが、ゆっくり走る余裕がない。高島市に入り、やっと宿に着くことが判る。もう一度宿に電話をかける。

サドルに座る尻が痛い。座って漕いでいられず一日目最後の2時間は立ったり座ったりして痛みを和らげながらペダルを漕いだ。それでも投宿できると判れば前に進める。腹が空いた。13時過ぎに食べてから何も腹に入れてない。

国道沿いには馴染みの電器店やショッピングモール、牛丼屋などが並ぶ。これを過ぎればあと僅かだと思う。もう尻の痛みと宿のことしか考えられない。チェックインが遅くなってしまい、食事が先になるだろう。寒くはない。湖岸の道をひたすらペダルを漕ぐ。

やがてあれかな?、という灯りが見えてくる。想像していたより大きな宿だ。20時05分、宿に到着。100kmを7時間、道迷いと休憩も含めて時速14kmの行程であった。

4
宿の食事はうまかった。この三人、いつもならバイキングの宿泊プランにするのだが、ここなら同じ値段で二食付くというので松花堂プランにした。特別な何かがある訳ではない、普通に贅沢な宿の夕食だが、カロリーを消費しまくった体に染み入るようなおいしさだった。

宿はコロナ後に再開したのか、ベテランの接客で過不足なく居心地よくもてなしていただいた。コロナ後にリスタートしたものなのか経営再建中なのか、従業員に一体感があった。近江八幡市から80kmの距離にあり、二日目に100km漕ぐのにちょうど良い。明日は朝から漕ぐからもう少し余裕があるだろう。

宿には温泉ではないが大きな風呂があった。汗を流せばもう寝るだけと考えたのが正解だった。登山であれば前泊して飲み食いしてしまうのを、買い出しに出る余裕もなく(車がない)風呂から上がると皆が布団に横になり、いつの間にか眠っていた(大阪在住のKさんがプロ野球日本シリーズを観ていたかもしれない)。

5
二日目は余裕があると考えて、7時半に朝食、9時前に出発する。薄曇りだが気温16度と温かな朝。湖岸沿いを南下する。昨日酷使した筋肉が再び動くことに、痛くて心地よいような感覚がある。

暫く湖西ののどかな道を往く。宿から一緒だったのかもしれない、父親と娘さんが二人、ロードバイクで走るのと一緒になる。四十代の父と中学生くらいの娘さんだろうか、Yさんが「あのお父さんにとって人生最良の時ですよ!」ととても褒めて羨ましがる。そうなんだろうな、うちの娘もこんなことしてくれるかなと思う。

風車街道から琵琶湖西岸バイパスに入る。右手にJR湖西線、左手に琵琶湖と眺めが良い。宝船温泉街を抜ける時にYさんが開店準備をしている喫茶店を見つけ、コーヒーでも、と探していると、目の前が湖という眺めの良さそうな喫茶店が見えてくる。少し早いかと思ったが、1時間弱漕いでいるので店に入ることにした。開店間もないのか最初の客のようで、おじさん三人、おいしいコーヒーとクッキーをいただく。

10時、大津市に入る。湖岸沿いの細い道を行くと、ここも寂れた別荘地で、大きな老人ホームなどもあり、なるほど、京都や大阪に住む人たちがこの湖西地区に別荘を持ち、休暇に来るのかもしれないなどと思いながら走る。10時40分、八所神社で休憩。そろそろ気温が上がってくる。2時間弱で30数キロ。午前中は良いペースで走れる。Kさんに昼食考えといてねと話す。

和邇という古い地名の土地を過ぎると、右手に比叡山が見えてくる。この山の向こうは京都なのだなと思う。11時20分、7kmほど走って堅田駅付近で休憩。琵琶湖を北湖と南湖で分ける琵琶湖大橋を過ぎる。Kさん曰く「堅田で一番評価の高いラーメン」店で昼食をとる。少し早い時間だが既に行列ができている。いつもなら胸焼けしてしまう豚骨ラーメンもこれだけ運動しているとすんなり腹に納まる。水分を買い足して出発。

6
13時、大津市に入る。坂本城址公園で休憩。ここは明智光秀の本拠地。Yさんが案内板をじっくり読んでいる。自衛隊の車がやたらと走ってるなと思ったら、大津に駐屯地があった。その横を抜ける。間もなく大きなマンションが見えてくる。13時30分、左に折れて大津港シンボル緑地公園で休憩。しばらく港の風景を楽しむ。

30分ほど休憩して出発。大津は大きいな、都会だなと思いながら走る。そうか、滋賀県の県庁所在地なんだと気付く。県の建物が多く、三人がかつて一緒に働いた浦和の街並みを思い出す。14時、琵琶湖の南端まで行くと国道1号線、瀬田川の橋を渡ることになるのだが、その手前の近江大橋を渡り、草津市内に入る。5時間で60km。休憩がやや多かったかもしれない。

湖の南東部、あと40km走れば宿に着くのだと考える。体はきつくない。昼下がりは朝と同様に、走るのにとても良い時間だ。15時、右手に不思議な建物が見えてくる。富士山のように末の広がった円錐形の巨大な建物。看板もなく、左回りに注ぐ陽光のマークだけが掲げられている。何かの宗教施設だなと思う。

湖岸にはキャンプ場が沢山ある。車が多く停められテントが散在している。沢山の人が晩秋の午後を自然の中で過ごしている。16時、草津の道の駅で休憩。トイレを済ませ水分をとる。Yさんがういろうをご馳走してくれる。糖分で頭がすっきりする。あと30km、日が傾いてきた。

7
16時30分、守山の大きな建物が見えてくる。左手に琵琶湖大橋が見えてきたところ、佐川美術館前で休憩。クルーズ船を模した建物で、佐川(急便)で働くとここに泊まれるのかな、などと話す。橋を過ぎてピエリ守山にエイドステーションがある。二日走って二か所めのエイドステーション。もっとあるはずだが見つけられなかった。ここには自転車を点検してくれる若い人たちがいて(おそらく自転車の勉強をする専門学校の学生だ)、自転車を預けて飲み物をいただく。ショッピングモールを冷かしているうちに点検をしてくれる。私の自転車は左前のブレーキパッドが緩んでいるとのこと。点検はしてくれるが整備はしてくれないらしい。それでも見落としていたので有難い。

また湖岸に戻って走る。YさんがKさんの自転車を見て何か話している。暫くして後ろに走っていたKさんが追いついてくる。「田中さんに追いつく日が来たぜ」と私を追い抜く。Yさんに聞くと上(半分)のギアを使っていなかったとのこと。自転車を買ったとき店員に左の(フロント)ギアは使わない方が良いと言われたのだそうで、Kさんは何と今まで、この170kmを下半分の(軽い)ギアだけで走っていたことになる。昨日から左の太ももの付け根が吊りそうだと言っていたから、そりゃあ過労だったねと思う。倍のケイデンス(回転数)でペダルを回していたことになる。

8
17時、日没。Kさんがスマホの地図を見ながら走っている。今日は道をKさんに任せようかと思う。あと15km。宿まで1時間くらいかなと思う。暗くなると道が進まないように思うから不思議だ。どこかで左に入れれば、岬の先にある宿まで登って行けると思う。

だが、その曲がるべき交差点をまっすぐに行ってしまう(ことに後から気づく)。左に折れなければならない信号を、三人がまとまったところで道なりに行ってしまった。むむこの辺かなと思い、自転車を停めてスマホを見ようとすると二人が追い越していく。あぁ、二人に追いつけば大丈夫だと思ったのが誤りだった。暫く走っても二人が見えてこない。大きな橋がある。道路標識に彦根とある。これは行き過ぎたと思い地図を確かめる。数キロ戻ってコンビニを右に入れば宿まで一本道だと判る。二人にLINEを送る。二人は宿に着いたとある。

昨日車で来た道を走り、19時15分、宿に到着。でも後から地図を見ると、私が右に折れたコンビニの交差点から来なければ、山を越えたのではないはずの二人も同じ道を来たのだと思う。数キロのロスで済んだのだと判る。

9
二日目の宿は楽しみだったバイキング。Kさんは肉を、私はアイスを山盛りいただく。後からYさんに聞くと、前期高齢者のYさんの歳になると何でもおいしく食べられるから、バイキングでない方が良い、一日目の宿のように出されたものを少しづつ食べるので良いと仰る。食欲に狂奔するあの喧騒が嫌なのだと仰る。むん、そういうものかと思う。でもKさんと私は好きなものを好きなだけいただいて満腹した。

二日目の宿の風呂がどんなだったかあまり思い出せない。さっぱりとした温泉だったと思う。日本シリーズで阪神が勝つのを二人が観戦している間に私は寝てしまった(のだと思う)。今年は夜会なし、となった。

三日目はno plan。軽登山をしようかという話も出ていたが、数百メートルの安土城跡を登って満足し(もう筋肉は使いたくない)、Kさんお勧めの近江商人の博物館に入ってその質素倹約ぶりに感心し、ついでに美術館で琵琶湖に沈む夕日の油彩に感動する。二日間、筋肉ばかりを使っていたから、頭と感性を働かせるのが清々しい。

Kさんを駅まで送る車の中でYさんが、こうして来られるのが何よりなんですと仰る。来年はどうしましょう、どこに行きますかと話す。今度は淡路島を自転車で巡ろうか、初めの話の通り瀬戸内のしまなみ街道を行こうか、でも新潟の山をリベンジしようか、と話したところで再会を期して散会した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?