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関係性オタクに感じる歪さ

はじめに

大前提として。
人の癖(へき)は大なり小なり歪なことは多々ある。それ自体は否定しない。
しかしNTRなどの一部の癖は倫理的に受け付けられないだろう。

今回は、意外と軽視されがちな関係性オタクの歪さについて、思っていることは吐き出したい。


1.関係性オタクとは

以下、「関係性萌え」についてニコニコ大百科より引用する。

キャラクター個人に萌えるのではなく、キャラクターキャラクターの関係に萌えることを関係性萌えと呼ぶ。
キャラAとキャラBがいる場合に、「AはBを、BはAをどのように思っているか」「AとBは社会的にどのような関係にあるか」「AとBの関係を周囲の人間はどう思っているか」などを考えることが萌えの要因となる。
もちろん2人だけの関係に限らず、3人以上の関係や組織・チームの関係も含まれるが、その場合でも1対1の関係が特に注される。

ニコニコ大百科(2023/8/13 20時頃時点)より

キャラクターという表現をしているが3次元のアイドルやvtuber等の実在と非実在の中間の方々のファンの中にも、一定数関係性萌えを起こすオタクはいる。

2.関係性オタクのメリット

暗い話の前に、よい話をしておこう。
実は、売り手側にメリットがある。と私は思うので、その妄想を書いていく。
それは___
収益への貢献
である。下世話な話になるが。
但し、これは漫画の1作品の中や、グループ活動者のグループ内での話が前提条件。

ここでは、アイドルグループを想像してみてほしい。
アイドルグループの収益はグッズに寄るところが多いという。

  • 単推しのファンは基本推し一人のグッズしか購入しない。

  • 箱推しのファンはその逆で全体のグッズは買うが余程のことでない限りそれぞれのグッズまでは手が回らないだろう。

対して、関係性オタクや複数推しの場合には、高確率でセットで購入する。おそらく、ペアくらいまでならお財布的にも許容範囲内だ。そうすると、グループ単位で推したちの収入は増える。

3.関係性オタクのデメリット

関係性オタクのデメリット、それは、萌えの供給が滞る可能性が大いにあること
である。
まず、当たり前だが、不変の関係性というのは存在しない。
離婚率は0%ではないし、カップルは破局することもあるし、いつしか疎遠になる友だちもいる。
同じように、方向性の違いで解散するグループもあるだろうし、仲違いするメンバーもいるだろう。

次に、例え関係性が続いていたとしてもそれが表に出なくなるということもあり得る。実際に目にしたことがあるのだが、「以前は頻繁に二人で配信していたのに最近はしなくなった」ことから不仲になったのではと疑心暗鬼になり苦しむ関係性オタクがいたのだが、蓋を開けてみれば配信していないだけでご飯にはよく行っていた、というオチだった。

無論、よくご飯に行っていたというのは証言によるもので客観的な証拠ではなく、パフォーマンスの可能性もあることにはあるのだが。
そんなものを疑いだしてはきりがない。

4.関係性の強要という、歪さ

先述したように、人と人との関係性はあっさり変わってしまう。
10年来、20年来、30年来の関係性がどれほど貴重なものなのか、それはオタク自身もわかっているはずなのだ。
それでも、関係性が変わることを嘆き、時には攻撃的に批判してしまう。

彼らの反論として度々、「仕事としてやっているのだから表面上だけでも仲良くやるべきだ」というのが挙げられるのだが、危うい発言だ。
推しの仕事が果たして「メンバーと仲良くすること」なのかどうかというところは一旦置いておいて。
一度苦手になってしまった人間と強制的に付き合いさせ続けられる恐怖たるや。
普通の会社でもあまりに相性が酷い時は距離を離すなどの配慮をするというのに。
無理やり一緒に働かせて精神病にでもなったら責任をとれるのだろうか?

そもそも、繰り返しになるが、また、至極当たり前な話だが、何事にも必ず変化や終わりは来る。
一度買った製品が50年後も保証されることはまずないだろう。必ず買い替え時が来る。
工場で大量生産されるお菓子も、工場が閉められてしまえばもうそのお菓子は食べられない。

命ある、心ある人間となったら尚更だ。
客(=ファンの人数)が満足するまで永遠に同じことをしていろ、など仕事としても無理がある。

もし望んだものが供給されないなら、客は代替のものを見つけるしかないだろう。

私は、自分のことばかりを考えて無理難題をつきつけることに対して、正当性を全く見出だせない。

5.意思のある人間を尊重するということ

関係性の強要まではいかずともだ。
度々、「〇〇と△△、仲良すぎ!結婚してしまえばいいのに」などといったコメントがあり、それに対して不快感を示す人がいる、という流れを見かける。
私も、不快に感じるほうの人間だ。
なぜなのか?
自分事として考えてみることだ。
仲の良い友達ぐらいにしか思っていない人や、頼りになると考えているがあくまでも同僚である人。
その人たちの名前を出されて、「お似合いだ」と言われるその瞬間を。
黒板だかなんだかに、勝手に相合い傘を書かれる心情を。
悪意的に訳せば「あなたで好き勝手に妄想してました」なんて。
それらがまんざらでもない人もいるだろうが、少なくとも私は気味が悪い。

BLだGLだ特殊性癖だ、そんなのは関係ない。
私=当事者の意思を無視されているということが嫌なのだ。

何を好きでいるか、何を嫌いでいるか。
この要素は、私達の個性としてとても大事な要素であり、(公序良俗に反するなどの例外を除き、)私の人生のほぼ全てのことは、私の意思により決められるべきだと考える。

誰かに強制された瞬間、それは私の人生ではない。そのくせ、私の人生がうまくいかなかった場合、その誰かさんが私の面倒を一生見てくれることはない。

そういった意味では、ママリス(ママに例えられるような過保護な振る舞いをするリスナー)や、指示厨の問題も、きっと根っこは同じだ。
私を、推しを、操り人形にしようとしないで。傷つけないで。ただそれだけのこと。

6.仲がいいのはいいことだが…

私の体感でしかないが、ママリスや指示厨が揶揄されやすい対象なのに対して、関係性オタクへの言及はハードルが高いように思える。
なぜならば、「仲良きことは美しきかな」という名言があるように、仲の良さを喜ぶことは一見悪い事のように思えないのだ。
否、実際悪いことではない。
普通の会社でもチームの関係性によって作業効率が上がることなど昔から散々研究されている。
※ちなみに喧嘩=意見を言い合えるフェーズも価値があるとされる考え方もある

それにグループ活動をしていて表立って「実はほどほどの仲の良さです」等とは言いにくいのは確かだろう。先述したように売る側にとってもセット売りはメリットがあると思われるのもある。

ただ、無理をしてまで続けるものではない、と言いたい。

7.癖はお好きに、公開は慎重に

ここまで散々言っておいてなんだが、関係性オタクが関係性に「好き」を見出すことも、また尊重されるべきだ。
妄想も、誰にも止めることはできない。本人にすら。
冒頭に出したNTRだってそうだ。
ただしそれは、現実に被害を及ぼさない範囲でのことである。
誰かを不快にしてまで公表するべきでないことを、私は主張したい。

おまけ:かくいう私も実は。

自分語りになるが実は、私も多少、関係性オタクの傾向がある。
恥ずかしながら学生時代、推していたコンビの片方が他の活動者と仲良くしていて、なんだか寂しい気持ちになったこともある。
どうしてそう感じるのか今でも明確な説明ができない。
自己投影した結果、友達が離れていく感覚になったのか。
はたまたカップリングに近い感覚なのか。

当時SNSやコメントはインターネットで自分を出すことが怖くてやっていなかったが、やっていたらお気持ち投稿した自信すらある。
私が悶々としている内にコンビの片方が多忙になり、いつしかそのコンビの活動は見られなくなった。
…が、数年後、私が大人になって、またその二人の活動は復活した。その時の感動と言ったら、私の語彙ではとても表現できないくらいハンパなかった。
今度も、近い内にまた見られなくなるかもしれない。でも、またいつか見られるかもしれない。

不変の関係性はない。
だからこそ、生きてさえいてくれれば希望はまだある。
それぐらいの期待値がいいんだろうと今なら思える。




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