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「自助」というワードに極端な反発をする人たち

 金融庁が人生100年時代の社会保障を考えるうえで、生活の質を落とさない、いわゆる生活防衛資金として公的扶助だけに頼らず、なるだけ個人や家庭での蓄財をしましょうという正論をしたのに炎上するという素敵な話がありました。

 ほとんどは脊髄反射なのですが、例えば「国は国民の面倒を見ることを放棄したのか」とか「国民年金は国家的詐欺」というたぐいの話ですね。

 「国は国民が死ぬまで生活が送れるようにする」ことは憲法で保障されているし、公的年金だけではどうしても生活するのにお金が足りないということなら生活保護を受ける方法もあり、生きていくことはできるわけですよ。

 ただ、半年に一度は温泉に浸かりに国内旅行したいとか、何かの記念日には家族で外食したいとか、孫が生まれて進学したので何か気の利いたものを贈ろうというときに、その足りない年金でやりくりするのは厳しいのは分かっているわけだから、個人で貯蓄ぐらいしておいてね、という話です。

https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson31/

(「年金に依存する高齢者の生活水準は下がります」と言った金融庁が炎上。人生100年時代の蓄えを「自助」に頼らざるを得ない現実とは!? 『みんなの介護』)

 問題は、いまの国民はそんな貯蓄できるぐらいの所得はないし、子どもを儲けたら夫婦共働きで、可愛い子どもを保育園に朝から晩まで預けっぱなしにしないと家庭が回らないぞ、ということにあります。

 勤労世帯がこうである以上、政府が「もっと子どもを産んでくれないと出生率が下がってしまって社会が大変なことになる」と言っても「そんな余裕はない」と言いたくなる気持ちは分かります。大山くまおさんが記事にしてましたが、私が思うにこれって政治家が言うと不適切だけど実際にはその通りな面もあるし、上記の金融庁にしても「年金だけではお金が足りなくて生活の質が下がるでしょ。貯蓄するしかないですね」という話が炎上したりするんですけど、どっちも事実ですね。

 そうなると、国民が自分たちの生活を守るためにどう「自助」をするかという最低限の話をどう社会的にしていくのか、ただ、自助したくてもまともな働き口がなくて貯蓄すらままならない人たちに落ち度はあるのかという深淵な話になってしまうわけですよ。そして、あの麻生太郎さんですら「かの金融庁のアレは微妙でした」みたいな謝罪をしてしまったりします。

 あの麻生太郎さんがですよ。

 もちろん、麻生太郎さんの言い方をみていると「言ってることは正しいが表現が良くなかった」という内容ですから、またやらかすぞ、これは。

 で、ここから「移民いれましょう」の話になり、今度は移民が日本国内に定着して、日本で子どもを産んで、その子が日本語喋れないのでどう教育するんだ、ダイバーシティって簡単に言うけど誰がそれを解決していくのか、という諸問題をこれから抱えることになります。景気が悪くなったからお前らの仕事はない、だから帰ってくれといっても変える国も場所も家庭もない人たちを最低賃金で働かせて国や社会は本当に良くなりますか? という問いもまた、深淵です。

 そうなると、やはりある程度は夜警国家的な小さな政府では行き詰まるので、小池百合子都知事が言いそうな「ファインスペンディング」論になるのですが、ここにきて謎の財政赤字容認論『MMT』が跋扈してきました。

 マーケットにいる人間からすれば、牛車の荷台に大量の荷物が乗っているうえに16tの重りを乗せるようなものなので、いわゆる破綻レースに向けてアクセルを踏むだけのようにも見えます。信認が失われないようにしながら他の国の経済破綻を待つ状況で自爆する必要はどこにもないよなあと思うのであります。

 つまりは、積極財政をしなければならない理由というのは、前述のような社会保障費の増大、高齢者対策がどうしてもメインにならざるを得ないので、これから死んでいく人のためにお金をたくさん使ってこれから生まれてくる子どもたちにツケを払わせるようなことのないようにしなければならないよなあ、でも高齢者放り投げたところでそれを受け止めるのも勤労世代だからどっちにせよ駄目だなあと思うわけであります。

 困ったもんだ。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント