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重要な事柄なのに、人に伝えるのがむつかしい案件について

 今回、文藝春秋から本を出すことになり、編集者さんから「文春オンラインのこういう記事を収録しますよ」というリストを貰って、概ね納得だったのですが、いくつか人気記事だったり私が本当に伝えたかったことが書かれた記事が落ちたりしていました。

 世の中、そんなものかと思うんですよね。

閉塞と混乱の只中にある日本社会 打開するために必要な見識とは  https://bunshun.jp/articles/-/3465

 例えばこの記事、結構頑張って執筆したんですが、凄く刺さる方面にはガチ刺さりしたんですけど、張り切って書いたわりには物凄い空振りをしまして。やはり、こういう正面切って正論を書くとなかなか読んでもらえないものなのでしょうか、痛すぎて。

 やんわりと回りくどく書いたほうが、読み手のペースに合うということはあるのかもしれないのですが、やはり伝えたいことはストレートにやり切ったほうがいいと思うんですよね、私は。必要なことは、日銀頼みであったアベノミクスに代わる新たな日本経済を導くテーマの策定であって、ここの議論抜きに話を進めてはならないと思うのです。単に批判のためにする批判としてのアベノミクス否定は良くないと思っていて、次なる時代の扉を開くのには新しい人材、新たなテーマがきちんと提示されている必要があるんじゃないでしょうか。

 その点で言うと、固定的な観念の打破は閉塞感の強い平成最後の日本社会において避けては通れないプロセスであり、政治的リーダーシップがまさに問われるべき局面です。安倍政権もそれなりに高い支持率を維持しながら、安保法制や消費税引き上げへの道筋、米中対立の中での日本の役割・立場の確保といった重大な舵取りはなんだかんだこなしてきました。ただ、その先の日本をどうしていくべきかは、真面目に考えるべきではないかなと思うわけです。

 こんど行われる参院選も、憲法改正に向けての試金石になる部分はあるでしょうが、国民にとって憲法改正の是非を問われれば賛成だ反対だ言うものの、そこまで重要な政策だと興味を持っていないようにも思います。それよりも、目先の景気や社会保障のほうが大事だと考える人が緩やかな自民党支持の広がりを作り、野党の退潮も相俟って「アベちゃんでいいよね」という不思議な空気を平成から令和にかけて作っているように思います。

 しかしながら、令和の時代で起きることは、物凄い低迷と衰退を余儀なくされる日本社会をどうかじ取りするのかという「右肩 下がり」の社会への処方箋です。メルマガにもこんな記事を寄せましたが、世の中が複雑になる一方で、その複雑なものを知るためにはバラバラになっている知識を各々の専門家が対処しなければならない社会になるのですが、その専門家同士が必ずしも高い信頼関係で結ばれているとは言えず、専門家みんなで「この専門は大事だ。予算もリソースも足りない、大変だ」と言い合っているだけで対策が打たれないままどんどん沈没していく社会です。

平成の終わり、そして令和の始まりに寄せて | プレタポルテ by 夜間飛行 http://pret.yakan-hiko.com/2019/04/28/yamamoto_190428/

 かねてから、私はもっと日本社会はパリーグ的な楽しさのある、発展的な社会の構築を進めるべきだと思ってきました。

 もっと全力で前のめりで頑張れる世界観が必要だと思うんですよね。人生ってそんな楽なものではない、もっと根性入れて頑張らなければならない。でも人生まっすぐに走っていけることばかりではなく、走り続けていればいずれ疲れて倒れてしまう。

 かといって、先に走ったから偉かったかと言えばそうでもなく、先人だったはずのひとが成功体験の強烈さゆえに老害化し、既得権益を抱きかかえたまま離さない状態となって、世の中がその人よりも前になかなかいかなくなってしまう、という。

 あまり教条的なことは書くつもりもないのですが、私が大好きであった南海ホークスがなぜ身売りすることになったのか、高校時代に悲しい想いをして福岡に球団を見送った後であの茶色いガッチャマンヘルメットを被った佐々木誠や山本和範やバナザードを見てどれだけ「それなら南海ホークスのままで良かったのに」と忸怩たる思いをしたか、当時17歳ぐらいだった私の脳裏には鮮明に浮かび上がるのですよ。似たような時期に冷戦は終結しソビエト連邦が崩壊するとき、ソ連と仕事をしていた親父が頭を抱えながらもこれは終わりと思ってはいけない、始まりなのだと言っていたのを思い出します。

 やっぱこう、時代の流れをうまくつかみ、勇気をもって自らを改革し、改廃を続けていく仕組みが、日本には求められているのだと感じます。それが本当に憲法改正なのか、消費税引き上げなのかなどなど懸念も疑問も湧きますが、それでもそれ以上のモノが見当たらないなかで何をよすがに一歩前に進んでいくのかは考えていってしかるべきだと思うわけであります。

 必然的に、読者さんも含めて一人ひとりが目を見開いて自らを改革していくしかないのだ、という安直な結論になりがちなのですが、これって今の閉塞感そのものである「自分が頑張ったところで何も変わりはしない」という諦観に結びつくものなのでしょう。

 そういう想いも込めてパリーグって大事だよという記事を書くと、ネタだと思われて敬遠されるのは仕方がないのかもしれません。まあ、実際ネタ記事ですし。はい。


神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント