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「伝えたい人がいるなら、嘘を書いていいいのか」という話

 先日、立て続けに某地方国立大学でゼミ生さんや医学部生の皆さん相手にデータと社会問題について話をしてきました。といっても、私が何かを教えるというよりは、彼らが日常(授業やゼミ、研究など)にて困っているデータの扱い方についてアドバイスをする、という内容だったわけですが、そこでドクターを目指す紳士淑女との宴会の席で以下記事が話題になっておりました。

 佐藤尚之さんは決して誰かを騙す人ではないし、何か悪気があって記事を書いたわけではないのです。本人に直接訊いたわけではないけれど、最初に佐藤さんの記事を読んで文字通り「ああ、警鐘を鳴らしているのだな」と読み取った私としては、佐藤さんに本当に誰かを不安がらせようとか、間違った情報で他人を動かそうなんて考えは微塵もないであろうということは、読み手のリテラシーとして良く分かる。

 むしろ、佐藤さんは優れた書き手なのであって、動かない人、危機感のない人の背中を押してあげたいという「気持ち」が前にあるからこそ、情緒的な煽りのようであってもそこに意味があり、価値を感じ取って「明日も少しは俺も気を引き締めよう」と思えるんでしょう。

 そこに釘バットを持って登場してきたのは我らの松本健太郎さんです。汚物は消毒だ。当てに行くバッティングではなく、フルスイングで殴りに行く姿勢はいつも好感が持てます。

  データで語るという点で言えば、松本健太郎さんの見解のほうが圧倒的に正論です。多くは書きませんが、確かに毎年100万人ずつ日本の人口が減る「時期がある」のは事実ですから、100万人都市がまるまるなくなるぞという危機的状況はあるわけですけれども、実際にはその減る100万人は高齢者がほぼ過半であり、国富を生み出すという点では高齢者は常にお荷物ですから、見ようによっては生産人口ではない高齢者はどんどん死んでほしいと過激なことをいう人たちも出てきます。年金や消費税を巡って、高齢者対勤労世帯という謎の対立構造を煽るメディアも多いのですが、実際には、老いた両親の面倒を見るのは現役の30代、40代、50代です(じっと、自分の手を見る)。

 以前、厚生労働省の某課長補佐に煽られてこの記事を書いたとき、やはりポジネガいろんなご反響はいただきました。で、生産人口が減るので総論で見れば佐藤さんの危機感は正しく、個別論で見れば松本さんの理屈は正しい。そして、どちらも間違ってはいないので、うまく自分のなかで咀嚼してあたかも正反対の論旨で議論しているかのような人たちの中から、自分なりの理解と解釈を作り上げて参考にして人生を歩んでいけばよいのです。

https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson31/

 ただ、若い読者だった大学生、大学院生の人たちにとっては、本件「あの記事」「あの論争」は結構読まれていたようで、noteが意外に広い読み手に支えられているんだなという感慨を持つ一方、リテラシーという点では結構簡単に「日本もう駄目だ論」を信じ込んでしまうこともあるのだなと思うわけです。

 翻って、日本の人口や市場が減少に転じているので日本の将来が暗いよという話は単純に日本の全体の量の問題だよということは投資家として示唆せざるを得ません。例えば、一人当たりGDPが減るよねという米山隆一さんの議論が先日ありましたが(これもまた、ネット論壇に関心のある大学生諸君にはおおいに響いていたみたいですが)、日本人の持つ総資産という点や、日本のGDP全体で言えば世界3位であることには変わらず、生産人口が減るとは言っても、いや減るからこそ、生産人口一人当たり保有資産は依然として高い水準で維持します。……戦争や経済混乱がない限り。

 松本さんが、佐藤さんの記事を見て「(乏しい根拠で)煽られても困る」という主張をするのは正しい一方、前提条件として「日本人である我々が」「日本人として」「日本人相手に商売を続ける」のであれば、必然的に「少子高齢化で人口が減少局面にあり」「日本の市場が縮小していけば」「日本は貧しくなる」という論理構造になります。

 しかしながら、例えば私は海外の不動産や証券に投資し、家賃収入を得たり配当を得ているファンドを持っています。日本企業に投資をしている人は、その銘柄の国内・海外の売上比率を見ている人も少なくないでしょう。そう、実際には、私たちの生活において、然るべき仕事や、投資を行っていれば、縮小するであろう日本市場とは無関係に、海外の成長市場で利益を出す企業や不動産収入、知財・ロイヤリティ収入を得ていることでしょう。

 そして、これこそが日本経済・日本社会衰退論は実はあんまり意味がないんじゃないか、私たちは意外と国際経済の枠内で、いろんなものをやり取りしながら、利益を得て暮らしているのだということが分かります。もちろん、投資する金なんかないよ、海外に権益など持ってないよという人もあるかもしれませんが、銀行預金なり郵便貯金などして、積み立てをしたお金が国債になったり、日本銀行を通じて日本企業の株式になったりすると、必然的にそこの収益性を享受することになります。また、海外とのサプライチェーンの中にある企業が日本で操業している場合は雇用になるのは当然として、知的財産になったり、国内に再投資されるなどして潤います。

 問題は、そういうグローバル経済の中で日本の地位が低下しているんじゃない? という話で、日本が稼ぐ力である貿易収支や経常収支は昨今やや下がり気味です。ただ、これらは直近数ヵ月で言えば中国経済の大幅な減退で輸出が減ったことが背景で、別に日本が貧しくなったからではありません。

 突き詰めると、日本駄目だ論というのは、より成長している海外市場でしっかりとした収益を得られない仕事をしていたり、投資先しか見つけられていない人は勝手に駄目になっていってしまっている、というだけかもしれません。英語と技術を使って世界で稼ぐ日本人が増えるほど、日本の人口減少や経済低迷・伸び悩みとは無縁に所得を上げることができますし、日本資本・企業の稼ぐ力もまた、実のところそれほど衰えていません。むしろ、日本が沈没しているさなかにそれなりに海外で稼いでいるからこそ、日本国内の衰退ムードを穴埋めするぐらいの状況になっているのだ、とも言えます。

 そういう日本の衰退とは無縁の稼げる人になるような、自己研鑽や教育をご自身やご子息ご息女にさせておられますか、というのは大事なテーマです。大学入試改革で使える英語を学生に学ばせる苦労をしている政治的局面もありますけれども、おかみがどうこう言う以前に、英語力や稼げるスキルをしっかりと獲得することは、意識も知能もある人間の嗜みであり義務じゃないかと思います。戦える人がしっかり戦って、なかなか戦えない困難に陥っている人たちを社会全体で助けながら、衰退する日本の減った分を穴埋めしていくぐらいの何かが無いと駄目なんじゃないかと思います。

 で、冒頭の話に戻るわけですけれども、そういう状況に危機意識を持つのはいいことだと思うんですが、国内経済の、おそらく長期にわたるであろう衰退だけを根拠に煽っていいのかという話はもっと議論されるべきだと思います。繰り返しになりますが、日本が衰退する、政策の失敗で国民が苦労するという話は半分正しく、半分誤りであって、政策がないから私たちは駄目なのだというのは、自活的で自由な選択のできる民主主義下の日本の現状を愚弄しています。政策のミスもあるかもしれないけど、当人の不勉強や努力不足が理由で駄目なままでいる人たちも沢山います。

 「これだから努力教は」とか「自己責任論はやめろ」などと言いたい人もいるかもしれませんが、政府や行政に自分の人生を委ねることが、民主主義下において最善の身の処し方だと思っていますか。確かに、生まれつき何かの問題を抱えていたり、難病を抱えたり、人生において状況が意味のある努力をさせなかったという人も少なくないとは思いますが、誰かに何かをしてもらうのを待つ人生に誇りをもつことはできないという側面はあるんじゃないでしょうか。

 責任を果たさないのに権利だけを求めることの問題は、勤勉さの放棄と同義だと思っていますし、自身のうだつの上がらないことを棚に上げて社会の責任にすることで憂さを晴らしているだけで、己の可能性を己で捨てているだけなんじゃないかと感じます。

 佐藤尚之さんが「『現状から目を背けて、いままでのやり方を変えようとしない人』に警鐘を鳴らす目的」で主張することは、私は納得します。意味のある努力を続けて自分を高めることの大事さを見失っている人が多いように感じるからです。上野千鶴子さんが話していた「努力できる環境にない人」は救われるべきとして、少なくともネットをスマホで見てこの記事を読むような人たちは余裕があるはずなんですよね。

 大学生も然りで、苦学生も挙手ありましたが過半は親が出してくれたお金で、努力できる環境にあるのならば、その恵みをしっかりと活かして、大学や研究機関、民間法人で、その備わった能力に相応しい実力を発揮し、成果を挙げ、国内・海外からしっかりとした収入を得て立派に納税する社会人になってほしいと祈っています。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント