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MMT理論とか、どないするねん

 もう旧聞になってしまいましたけれども、参院選結果のフォローアップ会合とかいうのに顔を出してきました。まあ、置物である私には全く関係ないんですけれども、話題の合間合間に「山本太郎」という単語が出るたび、みんな私の顔をチラチラ見ていてムカつきます。次にこういう会合に来るときはハンドガンを装備してお伺いしたいと思います。

 で、政策別の話で最近一部で話題の「MMT理論」とかいうのが出てきました。

 最初、発言者の活舌が悪すぎて「MMR論理」と聞こえたため、なんでこんなそこそこ高尚な会議でキバヤシの話が出るのか不思議でしょうがなかったんですけど、空耳でした。屈辱です。

 きっと、私の心が汚れていたんですね。

 ちなみにこの漫画を読んだことはありません。すみません。

 珍しく、私のようなフラワーロックに声をかけてくる暇人がいたので、市場をある程度知る投資家のサイドの意見として、次のようなことを申し上げました。

・MMT理論が議論されること自体は違和感はなく、いろんな意見があってもよいと思う。

・一方で、無理に貨幣を回したところで、社会が持つ富が増えるわけではない。フリーランチはない。

・とはいえ、お金が多く循環することで経済合理性が高まる可能性はあるかもしれない。

・その結果として、富を生み出す源泉に近い人ほど、MMTで出回る貨幣よりも多くの貨幣を手にするため、ジニ係数が悪化して富がより集中する。

・なので、MMT理論で経済を回すのは良いとしても、サプライサイドの話だけでなく、社会的還元とか貧困救済などの別の手段が併用される必要がある。

 と申し上げたところ、総括し過ぎて話題が終わってしまうという苦渋を味わいました。これだから会議で発言するのは嫌なのです。

 お金がぐるぐる循環するのは景気も良くなるしいいんです。私も儲かりますしね。いいと思いますよ。

 ただ、お金が流れるのが早いということは、価値を生める人はより富むよね。また、価値1単位を得るために必要なお金はもっと必要になるよね。そして、働く人が減れば、生み出せる富も減っていくよね。

 ということは、価値を生めない人は、より貧しくなる。価値1単位を得るために必要なお金が増えれば、お金を一定額しかもらえない人たちは、より貧しくなる。そして、生み出せる価値が減っていくけどお金だけが循環する経済は、より速いスピードで社会が貧しくなる(可能性がある)。

 要は、お金がMMTによって多く循環するからといって、富が増えなければ貧しくなるトレンドは大して変わらない、儲かる人は儲かる、貧しい人はより貧しくなる、それについてちゃんと手当てできる別のシステムがなければ貧富の格差拡大マシーンにしかMMT理論はならないよ、という話でありまして。

 それでも、他の国がMMT理論すげーとなり、ジャブジャブにカネ突っ込んでいこうぜとなれば、理性で「あっ、流通するカネだけ増えても別に豊かにはならんな」と思っていても、そっちに引っ張られざるを得ない。私たちは徳川幕府の小判改鋳、とりわけ元禄期の荻原重秀さんみたいな面白経済に陥る歴史を繰り返すことになるのでしょうか。

 では、我らが日本銀行がせっせとアレしているのを見て、これはあぶねえぞ、もうバランスシートが何百兆だ、と言っても「これがアベノミクスや!」と言われればまあそうなのかなということで、なんだかんだ戦後最長政権に手がかかるぐらい安倍晋三さんの強運でどうにかなってしまったわけですよ。どうにかなっちゃったわけですね。

 世界経済が拡大して、流動性も増えているぞっていう状況の中で、クソみたいな低金利を各国が主導している状態では、確かにカネなど余ってる、価値だの富など言わずにバンバン貨幣を流通させるのだというのは環境適応という意味では最適解だったとは思います。

 ただ、これからアメリカと中国が対立するぞ、成長するセクターが世界で希少だぞ、スタートアップやベンチャー界隈がバブって馬鹿みたいな起業家に何千万円、何億円とお金がつくぞという状態になって、景気の先行きが怪しくなっていくと、MMTなんて本当に大丈夫なのかねと思ったりはします。

 私個人の心象としては「都合の良いことは、そう長くは続かないもんだぞ」という戒めアラートが鳴り響くわけですけれども、まあMMTについては議論するのはいいんじゃないですか。


神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント