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幻冬舎見城徹さんの件で「みんなウェルカム」が休みになるのは読み手として悔しい

 一読者として。

 やめないでほしい。

 というか、負けないでほしい。

 その佐久間裕美子さんが、誠実にやめるいきさつを記事にしておられるが、これを読んでなお、胸が張り裂けそうになりました。46歳のおっさんの胸が何枚張り裂けようとどうでもいいことではありますが、長らく佐久間さんの書いてこられたことを読んできて、自分にはない世界、興味を持つことのなかった価値観、知らない属性について広く大きく知見を広げてくださったという点で、本を売るとか、何部売れたとか、そういう次元のものとは異なる凄いでかい扉であったことを痛感するのです。

 見城徹さんが、己の立場と見解をもって「出版社しか知りえない情報が、作家を攻撃し、恥をかかせるための武器として使」ったのは事実として、拭い去れないものはあるでしょう。多くの人が憤りを感じています。

 ただ、筆を折る理由にしちゃいけないと思うんですよね。勝ち負けという簡単な話ですらなく、もちろん幻冬舎で何かを書き綴ることへのモチベーションは確かに下がってしまうかもしれない。でも、幻冬舎plusという媒体や、幻冬舎で作品作りに取り組んでいる人や、作家と向き合っている編集者は、必ずしも見城徹さんの考え方を良しとしているわけではないと思うんだ。

 興味深い連載を、しっかりと物事に相対している人が書く。それを担当する編集者がきちんと整えて、出版社がメディアとして多くの人に届ける。この営みそのものは、善悪でも勝敗でもない別の次元のものとして確固として成立し、たとえそのひとつの母屋である幻冬舎の大将たる見城徹さんがしょっぱいことを書き、ダサいことにTwitterをやめますという一連のことに、書き手である佐久間さんが巻き込まれる必要もないと感じるんですよね。

 幻冬舎plusにお金を払って佐久間さんの記事を楽しみに読んできたという点で、まあ確かに見城徹さんの会社の売上に貢献してきたという点では、読者である私も共犯なのかもしれませんが、仮にそうだとしても、また、見城徹さんが許せないという気持ちを持っているとしても、佐久間さんの記事が読めないのは惜しい。

 百田尚樹さんの『日本国紀』が幻冬舎にとっての売れ線であり、かつ、経営者である見城徹さんからすれば自己意識の投影として思い入れが深い作品であるがゆえに、津原泰水さんらがコピペ批判をしたことに対して腹に据えかねるほど怒った結果、実売を晒し、作家としてあれだけの特徴的な作品を作り上げることのできる津原さんを辱めたというのは残念なことです。

 ただ、それ以上に幻冬舎に善意で関わり、作品を作り、読者が待っている状況にある人たちの心が折れ、発表の場を失ってしまうのは悲しい。誰も幸せにならない。単に「なんてことをしたんだ見城徹」という拳の振り上げ方だけでは終わらない別の問題を起こしてしまっていると思うのです。

 確かに見城徹さんの振る舞いには書き手として恐怖を感じるのは間違いのないことです。ただ、どうか「これまでありがとうございました」とか言わないでほしい。絶対に、書き手として戻ってきてほしいんですよ。見城徹さんがどうとか、会社が何だというのは関係なく、佐久間裕美子さんの書いた記事を、ただ読みたいのです。

 単に好きな作家である津原さんが変に見城さんに煽られて面倒なことになっていただけかと思ったら、次々とこんなことが起きるとは。なんてことが起きているんだ。

 ベストセラーは確かに正義だけど、もう一方の正義として、いろんな人が、いろんな立場から、いろんな言論や知識や見解を述べられる場としての出版文化が担保されて初めて世の中が幸せに包まれるはずなのに。やっぱり幻冬舎的なるもの、そのビジネスの構造は、しっかりと論じておかなければならないのでしょうか。

 そういえば、誰だかしらないamazonでの匿名レビューで、箕輪厚介さんの本を酷評した書き込みがありました。その文体が私にとても似ているということであらぬ嫌疑が私にかかり、果てしない迷惑を蒙ったことはありました。確かに似たような幻冬舎批判をしたことはりましたが、あれは私が書いたものではないのです。

 しかしながら、いま思えばそういう幻冬舎批判というのは幻冬舎の一部の方や、幻冬舎を好んでいるファンの人たちには確かに「効いていた」のかもしれず、だからこそ犯人探しが行われ、山本一郎に違いないと思い込んだ人が野次のような連絡を取ってきて何も身に覚えのない私が「???」となったのかなあとは感じます。

 また、朝日新聞では『日本国紀』批判に端を発した今回の騒動について、当の百田尚樹さんがインタビューに応えていますが、また「津原さんの方から『それならもう出さない』というようになったと聞いていますけどね」とか書いていて、これまたどうしたものかと思うわけです。幻冬舎は百田尚樹さんに対してきちんと状況を説明する責任すら果たしていないのでしょうか。

 今回の問題は、紙の書籍、電子書籍という媒体に関する出版ビジネスの問題と、そのビジネスがかねて担ってきた出版文化の根幹を問う内容であったと感じます。単に一出版社の経営者である見城徹さんの一連の言動がダサいという話では終わらないぐらい、多くの問題を表出させました。売れるのが正義である一方、多様な言論を支えるという正義が踏みにじられる可能性もあるのだとすれば、やはりちゃんと一石投じなければならないのだろうと。


神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント