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イケダハヤト師と不動産取引と金融リテラシー

 文春オンラインの連載をまとめた単行本を出しまして、ぼちぼち先行で買われた方からのご反響をいただき始めた感じです。お読みいただきありがとうございます。

 連載の中でも比較的読まれた記事だけど諸般の事情で書籍への掲載を見送ったものが何本かありまして、そのうちの一本がイケダハヤト師が地方銀行にカネを借りに行って断られた経緯をまくらに書いた「本当に35年ローンとかこれからの時代で大丈夫か?」という記事です。

 その後、フラット35の固定低金利を悪用した馬鹿が摘発されるという事件にまで発展しましたが、住宅ローンというか庶民の資産形成というのはまだ戦後の土地神話の延長線上にあるのだなあという甘酸っぱい気持ちで一杯になる一件であります。

 イケダハヤト師の生き様は非常に興味深く、きょうびボットン便所の家に住み、市況かぶ全力2階建てではあの北浜せんせの後を襲う逆神としても定着する愛されキャラであり、あれはもうそのまま道を突っ走ってほしいと願うほどに悲しくも素敵な存在になっていて、凄いなあと思うわけであります。

 それとは別に、老後の資産形成というのは低成長のいまを生きる日本人にとっては避けては通れない未来への安心材料そのものであって、不安がきっかけでスルガ銀行からカネを借り、カボチャの馬車や大東建託に有り金を張るという華麗な事例が我が国のそこら中で勃発し、そして火を噴いたわけであります。あまり報道されませんでしたが、東海地方では被害を被った投資家のリストが出回り、その困っている人たちに対して「私たちに200万円を支払えば失った財産が取り戻せますよ」とかいうハイエナのような詐欺が横行することになります。人間貧すれば鈍するのであって、レオパレスではやられたオーナーがどうしようもなくなって自分が住んじゃう事案まで発生することになります。辛いですよね、本当に。

 そういうネタのような不動産投資はもちろん指さして笑ってればそれでいいという部分もあるわけですけど、でもいざそういう被害を蒙った立場の人たちの切実な事情を考えると「何千万か小銭を持っていたところで、その程度の金額では全く老後が安泰ではない」という事実と、また「その何千万かを持っているがゆえに生活保護も受けられず、わずかな年金では生活を維持できないのでどんどん減っていく貯金を観ながら切り詰めた老後を送る」という現実とがあります。年金制度を設計したころはこんな問題が起きるとは思っていなかったとはいえ、ある程度のお金を持っていても老後は不安であるというのが人間の摂理なんだろうなあと思う部分はあります。

 振り返って、文春オンラインのコラムは健康や社会問題がとても良く読まれる媒体なのですが、私の記事などは特に通勤時間帯の男性に読まれる傾向が強いのが特徴です。某サービスで計測してみたら96%が男性読者という際立った傾向が出ていたので、そっとブラウザのタブを閉じたわけですが、イケダハヤト師じゃないですがやっぱり人間そういう訴求する先の属性からはなかなか逃れられないのだろうなあということが良く分かるんですよね。

 そして、借り手に有利なローンというのは大概においてきちんとした勤め先の正社員であることが与信上は求められます。イケダハヤト師のように、人として面白いというヒューマンキャピタルは相手にされず、勤め先か担保がはっきりしていないとお金を借りることもできない社会で、どうやってレールから外れてしまった人が頭一つ出ることができるのか、という命題は常に付きまとうと思うんですよ。

 それなりに良い大学を出てきちんと就職できる20代は多く見ても2割程度しかいないけど、社会の制度設計がそういう2割の人たちを堅実で有望な市場と見る限り、まともな働き口のない地方に生まれただけで人生ハードモードであることは言うまでもないのです。

 そして、そういう生きる代表サンプルとして頑張るイケダハヤト師を記事中「好きだ」と書いたら、みんな「皮肉をやめろ」っていう反応をするんです。なんでだよ。もっと愛したほうがいいと思いますよ、イケダハヤト師を。みんなが注目しているということは、つまりはそれだけの作家性、コンテンツとしてのクオリティを生まれながらにしてイケダハヤト師はもっているよ、ということなんですから。


神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント